ポストモラトリアム時代の若者たち の商品レビュー
烏兎の庭 第六部 7.24.20 http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto06/doc/mora.html
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【要約】 第一章 フォーディズムからポストフォーディズムへの移行(少品種大量生産から多品種少量生産への生産体制の移行だけでなく、雇用の不安定化や労働量の増加なども指しているのだろう)に伴い、かつて若者のモラトリアムと呼ばれた人間形成の時期がもはや社会的に認められなくなっていく過程...
【要約】 第一章 フォーディズムからポストフォーディズムへの移行(少品種大量生産から多品種少量生産への生産体制の移行だけでなく、雇用の不安定化や労働量の増加なども指しているのだろう)に伴い、かつて若者のモラトリアムと呼ばれた人間形成の時期がもはや社会的に認められなくなっていく過程を明らかにした。 そして現在の若者たちが学生時代からすでに市場経済的価値観に飲み込まれていたことに加え、自己確立の場が社会的領域から心理的領域へと移行し、次第に目に見えないものになっていく状況を示した。 第二章 モラトリアム消失の背景として、1980年代以降の産業構造の変化と自由主義政策の中から「排除型社会」が浮かび上がり、その背景にある「リスク管理」への志向と相まって若者のメンタリティに大きな影響を与えていることを考察した。 第三章 ひきこもりの若者たちの事例を通じて、彼らが社会に包摂されることを願えば願うほど社会から排除されていくというジレンマがあり、そこには「スティグマ化」と「トラウマ化」という心理的プロセスが認められることを明らかにした。 第四章 「若者ミーティング」を事例として、ひきこもりの若者たちが直面している問題が、モラトリアムのための時間と空間の消失であること、その回復の道が具体的な人間関係における「承認」のうちに求められていることを考察した。 第五章 「腐女子」の事例を通じて、彼女たちのメンタリティの根底に少子社会における現実の脱構築の志向とともに、排除を恐れる若者たちの同質的集団への希求があることを示した。 第六章 戦後の若者たちのモラトリアムの変容(古典的モラトリアム→消費社会型モラトリアム→ポストモラトリアム)について、若者の内面、とりわけ彼らの主観性を規定している時間と空間のあり方に着目し、その歴史的変化を考察した。 そこで浮かび上がってきたのは、古典的モラトリアムにおいて求められた自己アイディンティティの核心である「自己の物語」とそれを物語る「自己」が今や不可能になったことである。さらに、かつての「成長」が「ペルソナの交換」へ、「人間形成」が「人材開発」へと意味が変化したことを示した。 「自己の物語」の喪失は、近代社会の「大きな物語」の喪失と深い部分で結びついている。
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http://d.hatena.ne.jp/showgotch/20130601/1370136347
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「引きこもり」「腐女子」…殊更異端視されやすい若者の性質は、実は古典的モラトリアムが(主に経済・教育)制度的に押しつぶされ、高度成長期以来の消費社会型モラトリアムがいまだに苦しみを生み出している、現代という時代の移し鏡である。そしてまた、そこには「ポストモラトリアム」の中で世界と入れ子になった自己を描いていく、現代ならではの青年期の姿の萌芽を見てとることが出来る。 上掲のような若者の臨床記録として興味深く読めるだけでなく、モラトリアムという概念が戦後日本の中でいかなる意味を表象していたかを丹念に追いかけているところにこそ、本著の面白みはあると感じた。登場する各理論の奥まりを犠牲にしているかわりに、ひとつの概念「モラトリアム」をめぐる議論の丁寧さとアプローチの多様さは出色。徹底的な思考と実践によりこれだけの考察が展開出来ることを、力強く示していると思う。 ところで全然本筋とは関係なく、本著の価値を貶めるものでもないのだけれども、「『大きな物語の終わり』という大きな物語」を誰か早いところ解体して欲しいという思いは、どうしても消えない。
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以下のエントリーを興味深く読んだので、こちらに記録しておくものである。 http://d.hatena.ne.jp/showgotch/20130601/1370136347 上記エントリー内で、読む気を喚起された部分を引用しておく。 ”そこから導き出される結論は「再帰性の内...
以下のエントリーを興味深く読んだので、こちらに記録しておくものである。 http://d.hatena.ne.jp/showgotch/20130601/1370136347 上記エントリー内で、読む気を喚起された部分を引用しておく。 ”そこから導き出される結論は「再帰性の内面化」である。再帰性とはすなわち「自分はどうか?」という問いかけが自分に飛び掛ってくる頻度のことで、たとえば教室で誰かが人をバカにしたとき、笑いながらも自分はどうか?彼にバカにされる領域にいないか、自問自答する経験は誰しもがあるだろう。 メディアなど種類や語り口が変わることで自問自答の頻度、すなわち再帰性は格段に高まった。” わたしは若者期を終えてしまい、その頃の苦しみに拘泥することもなくなって、とまどいを肯定する生き方を選んでいる。それがどうして若者論を読みたいと感じるのかと言えば、結局これもまた、弱さへの同情なのだろうか。それとも、珍しい生き物についての洗練された図鑑を眺めたい気持ちの延長なのだろうか。 いずれにしても、ちょっとした好奇心でミイラ取りがミイラになるような真似は避けたいものだ。
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就職のためには資格取得、資格取得のためには単位の取得、単位の取得には真面目な勉強――だってこの世はリスク社会だもの。 読みやすく、また丁寧な説明・考察の一冊。 第一部では青春もののドラマの変遷を通じて時代ごとの若者のありようの変遷を追い、現在若者が置かれている状況について考察...
就職のためには資格取得、資格取得のためには単位の取得、単位の取得には真面目な勉強――だってこの世はリスク社会だもの。 読みやすく、また丁寧な説明・考察の一冊。 第一部では青春もののドラマの変遷を通じて時代ごとの若者のありようの変遷を追い、現在若者が置かれている状況について考察。フォードシステムからパイプラインシステム(それなりの学校を出ればそれなりの人生、学校教育制度における人間の選別)、肥大化した消費者の自己と矮小化する労働者の自己に引き裂かれて行く変遷を追い(一章)、ハイモダニティ化した(特に若者を取り巻く)現代社会の有り様を描く。 第二部では「スティグマ化」と「トラウマ化」という視点を通じて、引きこもり・腐女子という、どちらかといえば日の当たらない場所にいる若者に焦点をあてる。また、「スティグマ化」「トラウマ化」して傷を負った自己信頼の回復の場の例として若者ミーティングを取り上げる。 第三部では若者と社会とのかかわり方の変遷を「旅」の例えを通じて追う。バックパッカー型の旅行(彷徨? 成長型)が容認されていた社会から、パック旅行型(の中でも団体旅行→個人旅行へ。スマートだけどミスが許されない。ペルソナ交換型)へと社会が変化し、それに合わせて若者のありようも変化しているのではないかと論。第二章で扱われている若者とは対照的な(故に主流と感じられる)若者に焦点。 終章でルソーの社会契約論が語られていたのが興味深かった。
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