あと少し、もう少し の商品レビュー
『ぼくらのご飯はあしたで待ってる』以来の瀬尾まいこ作品、最新刊。 中学生の対抗駅伝にまつわる物語。 それぞれ一区から六区までの区間を走る生徒たちの心情を区別の個人視点で、襷をつなぐように描かれている。 様々な悩みを抱えつつ、中学最後の駅伝に挑む生徒たち。 全体的に、これまで私が読...
『ぼくらのご飯はあしたで待ってる』以来の瀬尾まいこ作品、最新刊。 中学生の対抗駅伝にまつわる物語。 それぞれ一区から六区までの区間を走る生徒たちの心情を区別の個人視点で、襷をつなぐように描かれている。 様々な悩みを抱えつつ、中学最後の駅伝に挑む生徒たち。 全体的に、これまで私が読んできた瀬尾さん独特の、楽しくも微笑ましい笑いの表現に、やや物足りなさを覚えた。 子どもたちの一所懸命さは伝わってくるが、物語自体の起承転結も盛り上がりに少し欠けた印象。 琴線に響いてくる部分があまり多くなかったような……。 そんなわけで、今回は星三つ、とさせていただきます。
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瀬尾まいこの小説を読んでいると、自分が中学生だった頃のことが次々と思い浮かんでくる。もちろん彼女の描く主人公たちが中学生だからということもあるだろうけれど、きっとそれだけではないだろうとも思う。思春期の少年は(少女のことは実体験としては解らない)思ったよりも複雑で、そのくせ案外単...
瀬尾まいこの小説を読んでいると、自分が中学生だった頃のことが次々と思い浮かんでくる。もちろん彼女の描く主人公たちが中学生だからということもあるだろうけれど、きっとそれだけではないだろうとも思う。思春期の少年は(少女のことは実体験としては解らない)思ったよりも複雑で、そのくせ案外単純だ。そのことを瀬尾まいこは的確に描く。そこに共振する場が生まれるのだと思う。 「大人はわかってくれない」というのが思春期の子らの前提となる思いだ。この言葉の置かれ方に、既に思春期特有の複雑さと単純さの対立がある。自分の思いは大人が考える程に単純ではなく(例えば、お腹がすいているから機嫌が悪いのだろう、とか)、もっと高尚なことで悩んでいるのだ(例えば、自分は何のために生まれて来たのだろう、とか)、という主張がこの言葉には込められている。しかしそれを誰に向かって言明しているかといえば(もちろん仲間内で、どうせ分かっちゃくれないからなあ、というような文脈で表明されることもあるとは思うけれど)、ほとんどの場合は、わかってくれない筈の当の大人に対してではないだろうか。 そこには、被保護者の保護者に対する依頼心がある。それを感じ取って大人は、しょせん子供だな、というような受け止めをする。依頼心のかけらもなく、自分は自分一人で悩んでいるのだ、と主張しつつ、そのことを解って欲しいという気持ち。その相反する思いを持つことは思春期特有の状態なのだろうと思う。余談だけれど、だから「上司はわかってくれない」などというと「早く大人になれ」などと言い返される羽目に陥る。 当たり前のことだけれど、個々の悩みは大人でも子供でも、自分自身にしか解り得ないと思う。それは一般論としての解決が無いということではなく、もちろん似たような悩みは多かれ少なかれ誰しも抱いていて、大半の人々は同じようにその問題を片付けていくのだと思う。しかし、似たような過去の事例を持ち出されて、ほら君の悩みはこんなことが原因でだからこうすれば解決するんだよ(例えば、機嫌が悪いのは人生に悩んでいるからではなくてただお腹がすいているだけのことなんだからご飯を食べればいいんだよ)、とかアドバイスされたところで、一気に問題が解決する訳ではない、という意味だ。 悩みの解消には、自分の中で問題が問題でなくなるまで、無為の過程をやり過ごさなければならないものなのだ、と思うのである。その過程は時として誰かのアドバイス通りのこともあるだろうし、偶然に自分が発見した道筋によるものかも知れない。あるいはただ単に一晩寝るだけで解決するようなことかも知れないし、もっと言えば、昔の人が言うように多くの問題は時間が解決するものなのかも知れない。恐らく、この自分の中である程度の時間を掛けてゆっくりと問題が氷解するのを待つ過程が、何よりも大切なのであろうし、そのことを人生の中で初めて体得するのが思春期なのだと思う。もちろん、そこには友人や教師と言った他人からの入力もあるだろうけれど、それを消化するのはしょせん自分自身しかいない。今すぐに身体がエネルギーを欲するからと言って、食物を直ちにエネルギーに変えることはできないのだ。 瀬尾まいこの小説には、そのゆっくりともやもやした時間を過ごす子供たちの姿がきちんと描かれているのだと思う。そこに彼女自身の教師として体験と眼差しがあることは間違いない。だから、彼女の多くの小説の中で、一見すると嘘くさくて照れてしまうような話の展開があっても、それを素直に受け止めることができる。そんなことで人生の悩みが解決するのだろうか、などと言っても始まらない。ある意味、典型的な夕日に向かって走れ的エピソードの持つ効果の実感を、自分自身の過去を振り返って追体験することができること、それが瀬尾まいこの小説を読むことの最大の価値なのではないだろうか。
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6区間の駅伝が舞台。 区間ごとに主人公が変わるって、まま見られる手法だよな、と思いながら読んでいると、5区間の俊介まで来て、なぜか急に登場人物がみなビビッドになる。みな内面に色々なものを抱えて、この駅伝に臨んでいる。相手にタスキを渡した瞬間に何かが弾けている。 とにかく瀬尾さん...
6区間の駅伝が舞台。 区間ごとに主人公が変わるって、まま見られる手法だよな、と思いながら読んでいると、5区間の俊介まで来て、なぜか急に登場人物がみなビビッドになる。みな内面に色々なものを抱えて、この駅伝に臨んでいる。相手にタスキを渡した瞬間に何かが弾けている。 とにかく瀬尾さんの中学生の描写がうまくて、うなる。それも今回は全員男子だ。同性愛も。
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「モノがあるから、心の豊さが失われていく」 ということを、僕は信じない。 それは、日々進化していくモノについていけない大人が、 「あのころは、モノがなくても、楽しかった」と言いたいだけの、 ノスタルジーだと思うからだ。 それと同じように、たとえば、中学生の心の問題などを、 昔...
「モノがあるから、心の豊さが失われていく」 ということを、僕は信じない。 それは、日々進化していくモノについていけない大人が、 「あのころは、モノがなくても、楽しかった」と言いたいだけの、 ノスタルジーだと思うからだ。 それと同じように、たとえば、中学生の心の問題などを、 昔と対比して、深刻になったように思わせる姿勢は、違うと思う。 豊かさを失うのは、大人の方だ。 それを大人が子どもに押しつけてるだけだ。 瀬尾さんの新刊「あと少し、もう少し」は、 中学駅伝が、舞台。 特別ではない、6人の男子中学生が、 襷をつないでいく、それだけのお話。 それだけの話なのに、 それぞれの想いを知るとき、 もはや「それだけ」ではなくなっていく。 相変わらず、瀬尾さんが描く中学生は、カッコイイ。 その「かっこよさ」は、決して、 さわやかとか、優しいとか、モテるとか、 そういうことではない。 この話に登場する中学生も、 いじめられっこ、ヤンキー、 お人よし、知的に見せたがり、 先輩に憧れる後輩、和ませキャラ、 と、単純にカッコイイわけではない。 しかも、それぞれの内面には、 様々な葛藤を抱えている。 けれど、それぞれがそれぞれと関わりあうことで、 それぞれは、自分や「世界」をわかっていく。 思春期は、みんなそうだったのだ。 瀬尾さんは、中学教師だったこともあり、 そのことを、たぶん、わかっている。 そして、本当に中学生を「カッコイイ」と思っていると思うのだ。 それが、失われていない「心の豊かさ」だ。 自分の心の中に違和感を抱えたり、 どういう立ち位置で生きていくのかを、 選べない中で毎日を過ごすことは、理不尽に思うはず。 その対処法すら覚えかけの中学生の毎日は、 思っている以上に、しんどい。 そんな中学生が、「豊かさがない」わけないのだ。 泣いたり、笑ったり、絶望したり、でも前を向いたり。 そんな中で生きることは、カッコイイ。 陸上部顧問に「なってしまった」上原先生が、 カッコ悪くも、少しずつ、誰かに影響を与えていると思うと、 やっぱり、それもカッコイイ。 人が人のことを「わかる」というのは、 錯覚なのかもしれない。 でも、その錯覚で心は動いていくし、 関わり合って絆は生まれる。 そんな当たり前のことを、 ぼくらは学んできたはずだ。 それを忘れるような「豊かさを失った大人」では、いたくない。 中学生のときの自分に、 それを耳打ちされたような、 そんな気持ちになったのだった。 ちなみに、1区から6区までをそれぞれの主人公を立てて書く感じが、 「風が強く吹いている」のようだなぁ、と思った。 これも映画化されないかな、と密かに期待している。
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