橋本治という立ち止まり方 の商品レビュー
『どうしてかというと、「本を読む」ということは、「読んだ結果をどうするか」ということとからんでいると思うから』―『本の未来、人の未来、社会の未来』 すごいなあ、やっぱり。橋本治は。一見したところ突飛に思える話の流れの裏側で、橋本治の脳内細胞が活発に結合している様が見えてくるよう...
『どうしてかというと、「本を読む」ということは、「読んだ結果をどうするか」ということとからんでいると思うから』―『本の未来、人の未来、社会の未来』 すごいなあ、やっぱり。橋本治は。一見したところ突飛に思える話の流れの裏側で、橋本治の脳内細胞が活発に結合している様が見えてくるようだ。例えばここで引用した「本を読む」という話だって「読むことの動機」という平面ではなくて、「何で人は本を読んだりするのかな」という荒野に立って問いを立てている。そういう思考の方法をする知識人って数が少ないけれど、更にそれをすごく庶民的な平地から考察できる人って他にはいない気がする。 『「ヒット曲の寿命が長かった」というのは、「その曲を所有したい」と思う人と、「その曲が流れたら聞いてしまう」という人の両方がいて、それが咀嚼され消化吸収されるまでの時間が長かったからだろうと思う。「その曲を所有したい」の人が多くなったら、その人達がCDを買ったり、曲のダウンロードをした段階で「ヒット」は終わってしまう。「咀嚼する」という時間が不必要になる』―『「本」はもう閉ざされているのかもしれない』 ね、こういう考察って、出来そうで出来ないと思うよ。問題と正面から向き合っていないように見えて実のところ本質的な洞察が行き届いている。余りに切れ味の鋭い刀で切られるから、切られて血が流れているのに痛いと感じることも出来ないって感じかな。 この時事批評のアンソロジーは、リーマンショックや民主党による政権交代の予兆から始まって、東日本大震災とご自身の闘病の話までが時系列に綴られているものだけれど、今更ながらに「自分の頭で考える」ってことの重要さを思い知らしめてくれるものばかり。もし橋本治が現在進行形のコロナ禍の状況を見たらなんて言うのかなとつい想像してみたくなるけれど、きっと『分からない時は焦ってもしょうがない。「えーと、なにが分からないんだ?」と悠長に構える――すると、分からないことだらけなのに、妙に落ち着いてしまう。「眠れない時に羊の数を数える」というのと同じことかもしれない』ー『焦ってもしょうがない』なんてことを言うんだろう。それにすぐに法律で規制しろとか基準を示せとか言う声に対しても、自ら考えない、自明のことをあたりまえと思えない人の多さに何か一言あったに違いない。 本の背景のことを備忘録的に書いておくと、この時事批評は朝日新聞出版の「一冊の本」に2001年7月号から2012年4月号まで計130回にわたって連載されたものをまとめた『橋本治という生き方』『橋本治という考え方』そして『橋本治という立ち止まり方』の三冊の最後の掲載分。その後は、発表の場を筑摩書房の「ちくま」に移し「遠い地平、低い視点」として連載を続け、2014年7月号から2018年8月号までの掲載分を『思いつきで世界は進む ――「遠い地平、低い視点」で考えた50のこと』として出版。「遠い地平、低い視線」は2019年1月号の第54回「観光客が嫌いだ」で断筆となっている。出版されていない連載4回分の最初の第51回の2018年10月号は「闘病記、またしても」で、著者自身も振り返っていたように、多くの読者は本書の中に収められた2010年12月号分の「闘病記」のように再び執筆活動を続けるものと信じていた筈。因みに「観光客が嫌いだ」では『「東京オリンピックになったら、そういう観光客に東京の街は占拠されるんだろうな」と思うから、東京オリンピックもいやだ。自分の知っている町がある日突然バカの群れに埋め尽されているのを見るのはいやだ』と言っていた橋本治だから、コロナ禍の状況下で静けさを取り戻した街には、安らぎを覚えたかも知れない、などと夢想してみたりする。 (「遠い地平、低い視点」の第35回以降の連載は、この時点でまだWebちくまから読むことが可能です)
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物事の本質をすっと捉え、自身の考えを易しい言葉で論理的に説明する。なぜそうなのか、自分はなぜそう思うのかと、自分が納得するまで考えることの楽しさを教えてくれる。
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この本は『橋本治という行き方』『橋本治という考え方』に続くもので、 タイトルはすでに考えられていたものだというけど 実際に難病を患って、立ち止まらざるを得なくなったというのが凄いというか。 前半は政治的な話が多く、途中から病気が発覚し、 入院して治療を受けながら書いたもので 時事...
この本は『橋本治という行き方』『橋本治という考え方』に続くもので、 タイトルはすでに考えられていたものだというけど 実際に難病を患って、立ち止まらざるを得なくなったというのが凄いというか。 前半は政治的な話が多く、途中から病気が発覚し、 入院して治療を受けながら書いたもので 時事的な話の中にも、他に様々な個人的な背景が影響してたのがわかる。 病院にいて「病人として生き方を変える」となるところが橋本さんだなと思う。 終わりの方にある「自明の理は自明の理でしょう?」という文章が もっと普通に通らなければいけないなと思う。 あえて問いただして解剖するまでもないものまで フラットな場所に置いてつつきまわすから、わけわからんことになるのだ。
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日本の病院には幽霊がでる 高度経済成長を支えた団塊の世代のエラソーな幽霊が。 なんて書き出しの小説が書けそうな闘病記
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図書館で借りて読んだのですが、とても面白かった。 面白いというのは、これまで「考える」ことをしなかった問題について、「考える」ことができた、そのきっかけにこの本がなったことである。 今度は書店で購入して、手元に置いておきたいと思う。
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賢い人だなぁ と 思ってしまう 「わからない」ということを これほど「わかりやすく」書けてしまう その柔軟な思考力と筆力に そりゃ そうだ と 何度も 頷いてしまう 読んでいて 一緒に 思考ができる 作家のお一人です
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DVD ブロークバック・マウンテン 「普段の自分の状態とは違う状態」になっているのが病気というもんで、年取って病気になると、その違う状態とつきあっていくしかなくなる。だったらすこしは、「自分の思い通りにならない状態」と付き合って行くことに慣れようとするべきなんじゃないかな 「...
DVD ブロークバック・マウンテン 「普段の自分の状態とは違う状態」になっているのが病気というもんで、年取って病気になると、その違う状態とつきあっていくしかなくなる。だったらすこしは、「自分の思い通りにならない状態」と付き合って行くことに慣れようとするべきなんじゃないかな 「絶対反対」という人を説得することは不可能に近いと思う。 「絶対反対」をいう人は妥協点を探すということをしない。それをしたら負けだとおもっているから、議論とか対話をするといっても、根本の所でこれを拒絶している。なにしろ説得されるはイコール負けなんだから、妥協しないおうに、私のいうことを聞けばかりを繰り返す 全体状況というのは、歩み寄ってよりマシな全体状況を作ろうといううごきを持たない限り、全体状況にはなれないものだ。 譲歩しない個人状況同士のぶつかり合いなんて不毛じゃないか 人はあんまり忙しすぎると、「忙しすぎてもう無理」とは言わずに、「えー、どうすればやれるかな?」などという算段を始めてしまいます。過労によって、自分を守ろうとする防衛回路ばぶっとんでしまうから
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