空と風と星と詩 の商品レビュー
読み終わったがよくわからない。 よくわからないが伝わってくることは多い。 満州での生活、人々の様子、キリストの教えを背景にした描写。 訳者のあとがきによって、知識のなさはかなり補足されるがまだまだ足りない。 末永く読んでいきたい作品。
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「行こう 行こう/逐われる人のように行こう/白骨に気取られない/美しいまた別の故郷へ行こう」(また別の故郷) ー 「明日 明日 と言うので/訊いたのだ。/夜 眠りにつき 夜明けがくるとき/明日であると。//新しい日を求めていた私は/眠りから醒めて見回すと/その時はもう明日ではなく...
「行こう 行こう/逐われる人のように行こう/白骨に気取られない/美しいまた別の故郷へ行こう」(また別の故郷) ー 「明日 明日 と言うので/訊いたのだ。/夜 眠りにつき 夜明けがくるとき/明日であると。//新しい日を求めていた私は/眠りから醒めて見回すと/その時はもう明日ではなく/今日であった。//輩よ!/明日はありゃしない。」(明日はない)
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日韓関係の本は、幕末まで遡って随分読んできたつもりだが、戦争末期の日本に留学し、何の政治色もないにも関わらず、ただ母国の言葉で詩を書いたというだけで捕らえられ獄死した詩人がいたとは知らなかった。 しかもクリスチャン。 私は日本のクリスチャン詩人八木重吉の詩が大好きで、時々読んで...
日韓関係の本は、幕末まで遡って随分読んできたつもりだが、戦争末期の日本に留学し、何の政治色もないにも関わらず、ただ母国の言葉で詩を書いたというだけで捕らえられ獄死した詩人がいたとは知らなかった。 しかもクリスチャン。 私は日本のクリスチャン詩人八木重吉の詩が大好きで、時々読んでいるのだが、どこか彼に通ずるものを感じた。 ただ八木重吉の詩が、常に自分独自のフィルターを通してから表現されているのに比べると、この人の詩は、もっと素直でストレートな表現をしているように思われる。日本人と韓国人の違いなのかもしれないけれど。 私が特に印象に残ったのは「ツルゲーネフの丘」という詩である。3人のホームレスの子供たちに出会い、何かあげるものがないかと考えるが適当なものがなく、この人は何なんだという目で見られ、子供たちは行ってしまった。という内容の詩である。 穿った見方をすれば支配する者とされる者との関係を、浮き彫りにした詩のようにも見える。実際、支配者と被支配者とは、このような関係なのだろうが、勿論彼は個人の感慨として書いただけなのだろう。 原語がわからなくて、こう言っては何だが、詩は凄く上手いとは言えない。でも、どこかでドアをノックする音が聞こえてくるように、心に響いてくるものがあった。 こういう歴史的事実があり、1人の詩人がいたということがわかっただけでも、大きな収穫だった。
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「空と風と星と詩」尹東柱 金時鐘 編訳 岩波文庫 「弟の肖像画」 ほのあかい額に冷たい月が沈み 弟の顔はかなしい絵だ。 歩みをとめて そっと 小さい手を握りながら 「大きくなったらなんになる?」 「人になるよ」 弟の説はまこと 未熟な答えだ。 何食わぬ顔で手を放し 弟の顔を...
「空と風と星と詩」尹東柱 金時鐘 編訳 岩波文庫 「弟の肖像画」 ほのあかい額に冷たい月が沈み 弟の顔はかなしい絵だ。 歩みをとめて そっと 小さい手を握りながら 「大きくなったらなんになる?」 「人になるよ」 弟の説はまこと 未熟な答えだ。 何食わぬ顔で手を放し 弟の顔をまた覗いて見る。 冷たい月が ほのあかい額に濡れ 弟の顔はかなしい絵だ。 (1938.9.15) 「아우의 印象画」 붉은 이마에 싸늘한 달이 서리아 아우의 얼굴은 슬픈 그림이나. 발걸음을 멈추어 살그머니 애딘 손을 잡으며 「늬는 자라 무엇이 되려니」 「사람이 되지」 아우의 설은 진정코 설은 対答이다. 슬며시 잡았든 손을 놓고 아우의 얼굴을 다시 들여다 본다. 싸늘한 달이 붉은 이마에 젖어 아우의 얼굴은 슬픈 그림이다. 尹東柱(ユントンジュ)の詩集岩波文庫版が21世紀のこの時に至って、やっと出版された。韓国における詩の位置付けは、本屋に行けば圧倒的に高いということがわかる。一番いい場所をいつも陣とっているのである。その一番人気が未だに出ていなかったことが不思議でならない。 「死ぬ日まで天を仰ぎ、一点の恥じ入ることもないことを」という有名な詩句を聞いたことはあっても、その詩業の全容を知っている人はほとんどいない。私も知らなかった。 リリカルな優しい心と、キリスト教に支えられた強い精神、中国に国境を接する場所を故郷とする心像風景、時代が常に死と接することを強要した覚悟、若くして才能を花開かせ散らしていった運命、平易な言葉で豊かな内容を表した表現力、それらは、ここに収められている66編を読むことで納得するだろう。 原詩を巻末に載せているのも嬉しい。尹東柱の人生を紹介した訳者の解説も力がこもっていた。 2012年12月14日読了
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平明な言葉でここまで細かい心の襞を描き出すことができるのかと思った。 透き通った詩たち。 素朴で若干幼稚とも思える表現が、複雑さを讚美するような風潮に逆に鋭く問いかけてくるようです。
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「星を歌う心で/すべての絶え入るものをいとおしまねば/そして私に与えられた道を/歩いていかねば」。このような「序詩」の印象的な一節が象徴するように、尹東柱の詩は、無数の星々を一つひとつ数え上げるかのように、小さきものたち、儚きものたちの一つひとつに細やかな眼差しを注ぐ。そのこと...
「星を歌う心で/すべての絶え入るものをいとおしまねば/そして私に与えられた道を/歩いていかねば」。このような「序詩」の印象的な一節が象徴するように、尹東柱の詩は、無数の星々を一つひとつ数え上げるかのように、小さきものたち、儚きものたちの一つひとつに細やかな眼差しを注ぐ。そのことが、孤独のなかに吹き溜まった心情を研ぎ澄ますことと一体になっているのだが、そのことが時に、例えば「こおろぎと ぼくと」に見られるように、童謡のように口ずさみたくなるような素朴さにまで純化されているのには、逆に胸を衝かれる。しかも、そのなかで詩の独特の形式感が損なわれることはない。さらに、詩作をつうじて自分自身の心情を突き詰めていくことが、聖書を読み抜き、みずからの信仰の揺れを跡づけることと結びついているのも、尹東柱の特徴と言えるかもしれない。そのことが、パウル・ツェランの「テネブレ」を思わせるほどに、神と厳しく対峙する地点にまで立ち至っていることにも瞠目させられる。おそらくはこうした葛藤のなかから生まれた作品である「夜が明ける時までに」のなかで、「すべての絶え入るもの」への眼差しは、極限まで純化されているのではないだろうか。死にゆく者と生き続けようとする者が分け隔てられることなく休息の場を得るなかで、生の営みが静かに続くことへの研ぎ澄まされた祈り。それを言葉にした詩人は、帝国日本が敗亡する半年前に、福岡で獄死させられた。彼の詩のなかには、その危険に曝されながら、また友人が捕らえられていくなかで詩を書きえている自分への恥じらいと、呼び出されることへの怖れの両方も刻まれている。本書は、そのような「非命の」詩人の遺稿による詩集『空と風と星と詩』に収められた詩と、それ以外の詩、合わせて66篇を集めて、在日の詩人金時鐘が日本語に翻訳して編まれたものである。ある朝鮮語の言葉を「すべての絶え入るもの」と訳した訳者の金時鐘による解説が、一つの詩学とも呼ぶべき次元に達していることも特筆されるべきであろう。その末尾には、今あらためて銘記されるべき思想が刻まれている。
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