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8・15と3・11 の商品レビュー

3.5

6件のお客様レビュー

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2019/05/16

3.11以後も原発に依存する組織の論理がいっこうに改まらない現代日本を批判するとともに、かつて日米戦争を回避する機会があったにもかかわらず無謀な戦争に突き進み、戦後は8.15という破局を忘却してきたこの国の歴史のなかに見いだされる「ニッポン・イデオロギー」について論じています。 ...

3.11以後も原発に依存する組織の論理がいっこうに改まらない現代日本を批判するとともに、かつて日米戦争を回避する機会があったにもかかわらず無謀な戦争に突き進み、戦後は8.15という破局を忘却してきたこの国の歴史のなかに見いだされる「ニッポン・イデオロギー」について論じています。 著者は、日露戦争が最後の国民戦争であり、それ以降の戦争は世界戦争としての性格をもっていると主張します。太平洋戦争を経て、アメリカは従来の国民国家に対するメタ・レヴェルの審級に立つことになったにもかかわらず、戦後の日本ではそのことの意味が明確に把握されていませんでした。憲法九条を護持する左派も、日本の伝統を守るべきだと主張する右派も、この点では変わりがありません。さらに著者は、武谷三男に代表される「原子力の平和利用」論も、保守の政治家が説く「潜在的核保有」論も、この通弊をまぬかれていないと主張し、そのことが福島第一原発事故以降の議論における思想的根拠の欠如につながっていると指摘しています。そのうえで、こうした戦後日本の思想的問題の根底に、「ニッポン・イデオロギー」と呼ばれている問題がひそんでいるという著者の考えが提出されています。 著者自身のことばでは、「ニッポン・イデオロギーとは、挫折し頽落したアニミズムの精神的基層と、原型をとどめないまでに変形された輸入観念や外来思想の、アメーバのように無定形な複合体である」と説明されています。そこに、山本七平の「空気」に関する論考や、丸山真男の「古層」論などがかさねあわされて、歴史意識の欠如としての「ニッポン・イデオロギー」の内容を明らかにしようとしています。ただ、著者がその克服の道筋をどのように描こうとしているのか、明確に見えてこないように感じます。

Posted byブクログ

2014/09/07
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

著者が本書を執筆するモチベーションは何なんだろうかと考えてみると、それは歴史を俯瞰してみることで真理を追究しようという発想ではないということがわかった。学問の世界では一般的であるこうした真理追究というのは、欧州キリスト教による宗教観によるもので、日本を含む欧州以外の地域においては、そのような価値観にもとづく世界史というものを押し付けられ、そうした世界秩序を強要されているに過ぎないと評しているからだ。 筆者のモチベーションは、何の論理もない単なる空気によって、先の大戦で200万人もの国民を死においやりながら、その責任に対峙せず、更に3・11における原発問題においても、事実に向き合わない「ニッポン・イデオロギー」というものに対する怒りである。 本書においては、護憲平和主義を唱える左派をも、歴史修正主義の右派同様に自己欺瞞だると切り捨てている。その意味で左翼自虐史観論などとは全く一線を画す意義があると思うのだが、最終章に書かれる結論は難解だ。近代的な論理思考をも否定してしまっているので理解が難しく、読みようによっては、従来の左翼的な発想と混同され、批判されてしまうだろうと懸念する。

Posted byブクログ

2013/04/12

なぜ日本人は、負けると知ってて対米開戦に踏みきったのか そしてなぜ日本人は、 津波やテロや仮想敵国からのミサイルといった危険を知りつつ 海岸ぞいにいくつもの原発を建設してしまったのか このふたつの「自爆」は ニッポン・イデオロギーとでも呼ぶべきものによって通低している 日本人は、...

なぜ日本人は、負けると知ってて対米開戦に踏みきったのか そしてなぜ日本人は、 津波やテロや仮想敵国からのミサイルといった危険を知りつつ 海岸ぞいにいくつもの原発を建設してしまったのか このふたつの「自爆」は ニッポン・イデオロギーとでも呼ぶべきものによって通低している 日本人は、現実的あるいは精神的な危機に直面するたびに ニッポン・イデオロギーを発露させることで切り抜けてきた しかし同時に、それこそが「自爆」の呼び水でもあったわけだ この本では、3.11から対米敗戦、 日露戦争、黒船来航、さらにヘーゲルの言う「世界史の終わり」 果ては日本の成立といったところまでさかのぼり、 ニッポン・イデオロギーとはいかなるものか検証している

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2013/01/03

8・15の敗戦を招いた「ニッポン・イデオロギー」についての前半の論考は、丸山眞男、山本七平等の説を踏まえて精緻で興味深い。後半の反原発論は、一見論理的に見えるが、反「ニッポン・イデオロギー」と反原発論が等価とするなど粗雑で納得できない。

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2012/10/28

「考えたくないことは考えない、考えなくてもなんとかなる」という思考様式を、日本史の起源にまで遡って問い直してみること」。二つの大破局を重ねながら日本の戦後精神史を検証。【自著を語る】『8・15と3・11 戦後史の死角』笠井潔さん:東京新聞 http://www.tokyo-np....

「考えたくないことは考えない、考えなくてもなんとかなる」という思考様式を、日本史の起源にまで遡って問い直してみること」。二つの大破局を重ねながら日本の戦後精神史を検証。【自著を語る】『8・15と3・11 戦後史の死角』笠井潔さん:東京新聞 http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/jicho/list/CK2012102302000234.html この「考えたくないことは考えない、考えなくてもなんとかなる」という思考様式を著者は「ニッポン・イデオロギー」と呼ぶ。天皇制ファシズムや空気(を読め)も同じ幹からのびた木の枝。歴史を学ぶことを閉ざすとの指摘は正鵠を得ている。 著者は近代化の過程で近代(西洋)の骨格となる一神教的価値観を身につけなかったのも不幸の原因という。対峙なき安直さが、「空気」が支配する無責任体制は危険な技術を制御できず原発事故へ至ったと読む。 ただし、脱ニッポン・イデオロギーとして注目するのは「和製一神教」的側面のある親鸞の思想。ここは飛躍がありすぎな感(加えると「一神教」という用語自体を安易に使う点も)。ただし問題の指摘と思考実験と認識としてはありか。 たとえば、親鸞における阿弥陀信仰を、単純にキリスト教信仰とアナロジーするクセが日本人には多いが、これは近代日本の知識人の誤りの拡大再生産なのではないかとは思っている。

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2012/10/17

8.15(終戦)と3.11(大震災)は同じ原因によりもたらされた災厄であり、きちんと反省しなければまた繰り返すことになるだろうと警告する。 文芸評論家としての笠井潔の鋭いメス、笠井史観、なるほどと考えさせられることが多い。評論として読む分には、とても優れた分析批評を知的興奮と共に...

8.15(終戦)と3.11(大震災)は同じ原因によりもたらされた災厄であり、きちんと反省しなければまた繰り返すことになるだろうと警告する。 文芸評論家としての笠井潔の鋭いメス、笠井史観、なるほどと考えさせられることが多い。評論として読む分には、とても優れた分析批評を知的興奮と共に味わえる。 しかし、これを自分の課題として引き受けようとすると、割り切れなさ、戸惑い、ためらいといった感情がわき起こる。 原因は笠井にも私にもあるように感じるが言語化できていない。 もう少しこの違和感と向き合いたい。 笠井の批判するニッポンイデオロギー。確かにそういう補助線を引くことで鮮やかに浮かび上がる私(たち)のよろしくない思考/行動様式がある(空気を読む)。 目をそむけ忘れようとしている過去がある(戦死者)。自然だと思いたがっている不自然がある(稲作)。 だが、その前提になっている「ニッポン」という枠組みは本当に全編を通してふさわしいのか。ある議論ではふさわしくても、別の議論に敷衍してはいけないのでは。 また、ニッポンの課題と据えた場合、その解決の主体になる「ニッポン人」と「この私」の間には何かまだ溝か壁があって、それは怠惰ゆえではなく、安全装置として必要なバッファのようにも感じる。 などなど、まだ上手く言えない違和感があって、半年から一年くらいは温めたいと思う。 (そういう意味では豊かな読書であった。)

Posted byブクログ