復興の書店 の商品レビュー
災害直後は衣食住に関わるところが大切だけど、人はそれだけでは生きていけない。 震災から1ヶ月後、子どもたちに絵本を送る活動に携わり、本が必要とされていることは、現地からの声でわかった。 今も本に関わる仕事をしているので、あの日から、本のためにたくさんの人が動いたこと、その思いは忘...
災害直後は衣食住に関わるところが大切だけど、人はそれだけでは生きていけない。 震災から1ヶ月後、子どもたちに絵本を送る活動に携わり、本が必要とされていることは、現地からの声でわかった。 今も本に関わる仕事をしているので、あの日から、本のためにたくさんの人が動いたこと、その思いは忘れずにいたいと思う。
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被災した書店が地域でどんな役割を果たしてきたか、どう復興してきたかという話。 移動型であれ、「本屋が営業を再開した」ということが、地域に与えた希望が描かれています。古い雑誌でもいい、人はパンのみに生きるにあらず、心を充電するツール、本屋は神社の大木のようなもので、切られてしまって...
被災した書店が地域でどんな役割を果たしてきたか、どう復興してきたかという話。 移動型であれ、「本屋が営業を再開した」ということが、地域に与えた希望が描かれています。古い雑誌でもいい、人はパンのみに生きるにあらず、心を充電するツール、本屋は神社の大木のようなもので、切られてしまってはじめてその価値に気がつく…。 地域の本屋は、そもそも結構苦しいはず。それでも本屋にはやっぱり大きな価値があると再認識できる本です。 同時に、震災絡みの本もそれなりに読み、被災地にも何度か足を運びながらも、いろんな記憶が薄れていることに気がつきました。 本の価値と、震災による生活の変化、どちらも忘れられがち。よいタイミングの出版です。読め!
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震災後、確かに郡山の書店には新刊は入ってこなかった。15日に発売だったみをつくしの「小夜しぐれ」をようやく手に入れることができたのは、28日のことだった。固まってしまった心を溶かすような、その暖かな物語が、本当に宝物のように思えた。あのとき、書店には確かに人がたくさんいた。本書に...
震災後、確かに郡山の書店には新刊は入ってこなかった。15日に発売だったみをつくしの「小夜しぐれ」をようやく手に入れることができたのは、28日のことだった。固まってしまった心を溶かすような、その暖かな物語が、本当に宝物のように思えた。あのとき、書店には確かに人がたくさんいた。本書にもある通り、それはきっと本を求めて、というよりも、ありふれた日常の風景を求めていたのだろうと思う。 それぞれの信念と想いを持って、復興を目指した書店関係者たちの取材記事。「書店のある風景」を愛する人たちの物語だ。何人もの方が登場するが、「ほんの森いいたて」と「おおうち書店」の章は涙した。また、霊山生まれの佐藤さんのエピソードも素敵だった。 「心を充電するためのツール」「本棚を耕す」という言葉が印象に残った。
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東日本大震災で罹災した「書店」は宮城・福島・岩手の3県で391店とのこと。 全てが津波に流されて、泥にまみれ、多くの「本」が失われていきました。 衣食住と比べると軽く考えられそうな本、そして文化ですが、決してそうではなく。 全てを失い心が折れるような状況だからこそいっそう、己を...
東日本大震災で罹災した「書店」は宮城・福島・岩手の3県で391店とのこと。 全てが津波に流されて、泥にまみれ、多くの「本」が失われていきました。 衣食住と比べると軽く考えられそうな本、そして文化ですが、決してそうではなく。 全てを失い心が折れるような状況だからこそいっそう、己を保つためにも必要とされていると感じます。 - 書店は"小さな日常"を取り戻せる場所 これは、1995年の阪神大震災のときにも見られた風景とのことで、 - 人はパンのみにて生きるにあらず という事を、強く実感させてくれました。 また、個人的に興味を覚えたのは書店に図書館のエッセンスも加えたという、 「ほんの森いいたて」というお店、ここは是非、震災前に訪れてみたかった。 - 書店があるかどうかは、町の文化度を表すバロメーターです このことは、遥か幕末のころから変わっていないと思います。 訪れた外国人が、江戸の町中で立ち読みしている庶民に驚いた、そんな時代から。 ん、"いつも本があった"、とある本のそんなフレーズを思い出しました。
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本に携わる仕事をしている一人として、胸が熱くなった。 私の住む北関東の街に津波はこなかったけど、何万冊と書架から落ちた本の海を前に呆然としたあの日。ひたすら本を拾って棚に戻す日々。余震でまた落ちる。仙台のロフト店の店員さんと、おんなじ思いを抱えてた。 こんな時ここに人が来るの?...
本に携わる仕事をしている一人として、胸が熱くなった。 私の住む北関東の街に津波はこなかったけど、何万冊と書架から落ちた本の海を前に呆然としたあの日。ひたすら本を拾って棚に戻す日々。余震でまた落ちる。仙台のロフト店の店員さんと、おんなじ思いを抱えてた。 こんな時ここに人が来るの?そう思っていた職場も、再開されると人が集まった。本のある場所が支えているのは、人の知識欲だけじゃなく、日常なんだ、と初めてわかった。 あの時と同じ気持ち、東北の書店員さんの誰もが語っていて、涙が出てしまった。 どんなにネットが便利でも、やっぱり本屋が大好きだ!
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何もかも無くし。その日一日を生き延びていくことで精一杯だという状況の中でも、人は「本」を必要とする。 復興された書店が、そんな人々の生きていく光となることがうれしくて。 でも「復興されなかった書店」が、それ以上にたくさんあった、ということを忘れてはいけない。
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地震のとき、わたしも「本屋」だった。 ただしその日は出勤していなかったし、 大体店は都心にあった。津波なんか来なかった。 短縮営業から店は再開して、 津波の写真集や原発の本が飛ぶように売れた。 文字通り飛ぶように。 だけどこれは「被災地」じゃないからで、 現地ではやっぱり誰も本...
地震のとき、わたしも「本屋」だった。 ただしその日は出勤していなかったし、 大体店は都心にあった。津波なんか来なかった。 短縮営業から店は再開して、 津波の写真集や原発の本が飛ぶように売れた。 文字通り飛ぶように。 だけどこれは「被災地」じゃないからで、 現地ではやっぱり誰も本なんて読む余裕はないだろうと思っていた。 「本物」を目の当たりにしているのに、写真集なんて触れる気も起きないだろうと思っていた。 でも、そうではないということを、この本に登場する人たちは口を揃えて繰り返し語った。 現地にいるからこそ、マクロの視点で自分たちのおかれた状況を理解したい、しなければという人。 援助のお礼に写真集を贈る人。 余裕のないときだからこそ、 自分とその周りの人のことを考えなければなければならないのか。 それが、人間の本質なのかどうか。
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