歌に私は泣くだらう の商品レビュー
妻であり歌人である河野裕子の10年間の癌闘病。闘病記を数冊読んできたけれど、こんなに壮絶な物語は初めて。かなり赤裸々に書かれています。どちらも追い詰められている。でも、乗り越えていった。あそこまでお互いにさらけ出すことができる関係だったということでもあるし、お互いが真実にかけがえ...
妻であり歌人である河野裕子の10年間の癌闘病。闘病記を数冊読んできたけれど、こんなに壮絶な物語は初めて。かなり赤裸々に書かれています。どちらも追い詰められている。でも、乗り越えていった。あそこまでお互いにさらけ出すことができる関係だったということでもあるし、お互いが真実にかけがえのない存在であったということなのだと思う。 この本に記されている短歌が心を打つものばかり。短歌を作る才は無いけれど、作ることができたらどんなに素晴らしいかと思った。 著者の恩人市川康夫先生とのくだりも涙した。膵臓癌を患い、見舞うのはこれが最後かもしれない、だからどうしても「ありがとうございました」と言いたい。でも、どうしても出せなかった。言ったらお終い、別れの挨拶になってしまうから。平静を装って病室から出たら、突然市川先生の驚くほど大きな声が・・・「永田君、ありがとう」。 (以下本文より転載) 「ありがとうございました」。私も廊下から叫んだのだったが、こみあげてくる嗚咽のほうが強くて、それは声として市川さんに届いたかどうか。 これから死のうとしている人。その人への感謝の気持ちを伝えるということがこれほどむずかしいものであるとは。 様態はその夜に急変し、明け方近く、亡くなった。
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「あの胸が岬のように遠かった」を読んだのをきっかけに手に取った。 河野さんにとって歌を作ることが人生だったんだな〜としみじみ思う。抗がん剤の副作用がどんなに苦しくても、一つでも多く歌を残すためなら耐えますという強さ。だからこそ、最期の時が近づき医師からモルヒネを勧められても、夫...
「あの胸が岬のように遠かった」を読んだのをきっかけに手に取った。 河野さんにとって歌を作ることが人生だったんだな〜としみじみ思う。抗がん剤の副作用がどんなに苦しくても、一つでも多く歌を残すためなら耐えますという強さ。だからこそ、最期の時が近づき医師からモルヒネを勧められても、夫である永田さんは歌が書けなくなるとそれを断った。 一見残酷な選択のようだけど、歌人としての河野裕子を最も深く知る夫だからこその選択だったのだろう。 そして生まれた素晴らしい最後の一首、 「手をのべてあなたとあなたに触れたきに 息が足りないこの世の息が」 愛する人を残して死んでいく無念さが痛いほど胸に染みてくる。 もっと生きて、素晴らしい歌を作って欲しかったな〜。
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- ネタバレ
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和田たんぽぽ読書会にて語り合う。OTさんは、短歌は難しかった、生きる事を赤裸々に描いてあると述べた。忍耐強い夫であり、息子がフォローしていると、自分の体験を含めて語った。 TKさんは、2回、興味のある所は3回、読んだそうだ。夫婦に愛憎がありながら、支え合い高め合う、同志・ライバルだった所に感銘したようだ。 僕は、2歌人の出会いから死別までを描いた、永田和宏の「たとへば君」(文春文庫)のある事と、この2冊は「伊勢物語」等の歌物語に通じる所がある、と述べた。 IYさんは、闘病史、家族史と読んだ。永田和宏の能力、体力、維持力を讃えた。 ATさんは、短歌を読むのは好きだが、詠まないとの事。自分が先に死んだら夫はどうなるのだろう、との共感を示した。 MMさんは、かつてアララギ系の歌誌「柊」の会員だった事、また夫との相聞歌があると述べて、皆の拍手を受けた。今もある献詠を続けているとの事。
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歌人の家族でそこにある感情の複雑な渦巻きを思うと、短歌とは文芸なのか芸術なのか闘争なのかと考えて、宇宙の深淵を覗き込んでため息が出てしまう。どんなに美しい短歌を作る人にも死は訪れるが、短歌は残る。後世に残る短歌の詠う過程を克明に記録したのがこの本である。
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歌人・河野裕子との最後の10年を綴った1冊。 正直、きれいごとではない場面が多くて痛々しいものがあるが、傷つけあい、ぼろぼろになりながらも、やはり歌人同士として、夫婦として、ともにあるべき運命の二人だったのだろうということが感じられた。
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言葉に託されたものが生き続けるさま、生き続ける言葉を生み出すこと、生き永らえる意義、元は他人である人同士が家族であること。歌人である河野裕子さんの10年に渡る闘病の記憶を、やはり歌人である夫・永田和宏さんが辿る言葉たちに打たれた。
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絶唱の向こうにいろんな思いがあることを教えてくれる一冊。 前著では、すれ違い噛み合わなかった部分が目について 痛ましかったがこの本はしっとりした感じがどこかにある。 少し時間が空いたせいで、ゆっくりと振り返る事ができてこの本が出来たのかもしれない。 河野裕子さんのこころの振幅の...
絶唱の向こうにいろんな思いがあることを教えてくれる一冊。 前著では、すれ違い噛み合わなかった部分が目について 痛ましかったがこの本はしっとりした感じがどこかにある。 少し時間が空いたせいで、ゆっくりと振り返る事ができてこの本が出来たのかもしれない。 河野裕子さんのこころの振幅の激しさや 感じやすさの内実をよく知るご家族も苦しまれたろうが、 河野さんご自身も、伝えきれない思いと 時間の足りなさの中で、それでもご家族を深く愛し、 歌人としても精一杯の成果を残そうとしたことがわかる。 傷ついても唯一無二の人生の交差がある。 ぎりぎりの、「私」という居敷が保たれている限り、 ひとは愛する人と思いを交わしあいたいものなのだと知る。 私には? その問いがすっくりと立ち上がってきて どんな答えも、どこかに諦念が滲んだり、 自分が見ないことにしている寂しさがあることがつらい。 せっかく今日までを生きてきたのに。 終わりの日が近くなったなら、せめて。 愛しき言尽くして。 そう胸張って言える日々が欲しい。
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いうなれば「たとえば君」の続編。河野裕子発病から死去に至るまでの闘病とそれを抱えた夫婦の、家族の、物語。泣ける。
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京大の教授でありながら、歌人。そして奥様も子息、また子息、娘も歌人という傍目からはすごい家族です。しかし、乳がん判明後の河野裕子の最期の10年は、壮絶な家族との葛藤で大変だったようです。妻の不安定な精神状態に振り回され、大の大人の男子が泣かざるを得ないような状態で、妻への愛は変わ...
京大の教授でありながら、歌人。そして奥様も子息、また子息、娘も歌人という傍目からはすごい家族です。しかし、乳がん判明後の河野裕子の最期の10年は、壮絶な家族との葛藤で大変だったようです。妻の不安定な精神状態に振り回され、大の大人の男子が泣かざるを得ないような状態で、妻への愛は変わらない!あまりにも凄すぎて、哀しすぎ、愛情の深さが怖いほどでした。 「淳の肩にすがりて号泣したる夜のあの夜を知るひとりが逝きぬ」和宏
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歌人でもありまた生物学者でもある永田和宏が、その妻で、また歌人であった河野裕子が、乳ガンの宣告を受けた2000年から、2008年に再発し2年後に亡くなるまでの闘病の十年をつづった記録である。自然、そこには多くの歌が詠まれている。たとえばタイトルは「歌は遺り歌に私は泣くだろういつか...
歌人でもありまた生物学者でもある永田和宏が、その妻で、また歌人であった河野裕子が、乳ガンの宣告を受けた2000年から、2008年に再発し2年後に亡くなるまでの闘病の十年をつづった記録である。自然、そこには多くの歌が詠まれている。たとえばタイトルは「歌は遺り歌に私は泣くだろういつか来る日のいつかを怖る」という、妻の死を目前にした永田が歌った歌の一部である。二人は相聞歌集『たとえば君』という本を出すほど、結婚後もお互いを愛し、お互いを歌に詠みこんできた。ぼくは和歌というものはほとんどつくったことがないが、この31文字という日本の伝統文学が、なぜ今も滅びず続いているわけを、本書を読んでひしひしと感じさせられた。ぼくも和歌をつくってみたい。二人は歌の世界の賞を総なめするほどの才人どうしである。夫はまた国際的にもすぐれた生物学者で、しばしば学会出張で家を留守にする。東京の会社をやめて京都大学へやってきたときは、無給の研究員で、バイトをしながら実験、論文執筆にあけくれるから、当然家事育児は妻の裕子にかかってくる。妻の病気がわかってからも、永田は病気を特別視しないために同じように国際学会へ出かける。もともと不眠症をかかえていた河野はおそらく半ば寂しさも手伝い、睡眠薬をウイスキーで飲むという行為をくりかえし、晩年は統合失調症の症状を呈し暴れまわる。しかし、そうなっても、河野は生きているかぎり歌を一つでも多く詠みつづけた。(ちょうど本書が300冊目のレビューとなった。)
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