間主観性の現象学 その方法 の商品レビュー
感情移入という簡単で日常な概念から、他者の主観を自己の主観が把握する様子を徹底的に分析し、自己の主観的存在、自己の客観的存在の認識の無限の連関の中に、間主観性の働きを見出す。
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フッサール初体験。 ハイデガーの『存在と時間』は現象学的文脈をもって書かれていると言われている。その現象学の部分を知りたくて手に取る。 自然科学とは一線を画している現象学。フッサールが目指したもの、コトとその意図は面白いし、ある程度わかったつもりだ。確かにハイデガーと地続きで連関...
フッサール初体験。 ハイデガーの『存在と時間』は現象学的文脈をもって書かれていると言われている。その現象学の部分を知りたくて手に取る。 自然科学とは一線を画している現象学。フッサールが目指したもの、コトとその意図は面白いし、ある程度わかったつもりだ。確かにハイデガーと地続きで連関性が強い。しかしながら正直「来るもの」が少ない。心に深く突き刺さってくるような、あるいはそれに相当する衝撃を与えてくるような本ではなかった。同氏の別の著作のほうが良かったのか。 間主観性。書籍のタイトルにも謳われているキーワードである。人と人との思いなしが重なり合うことによって織り成されることのうちに現象は立ち上がってくるということか。広義のコミュニケーションの一種か。訳者まえがきでフッサールは他者論をうまく消化できていない件に触れていた。しかしそれゆえに後世の者(ハイデガー、レヴィナスら哲学者も、美術の世界でも)が他者について考察をすすめる素地になったという経緯には合点がいく。現象学の不完全性、幅や「あそび」の部分が、後の論考の余白になっている。
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難解だとか、退屈だ、時代遅れだと言うひともいるフッサールの思想。 そのような人たちには、この引用文を読んで欲しい。 臨床医学的な見地からのそれをみると、現象学はまだまだ発展し続けている。
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フッサールを読むのはとても苦手だ。難解なだけではなく、彼の文章はあまりにも緻密すぎてまどろっこしく、どうしても眠くなってくるのだ。 とはいえ、フッサールは20世紀以降の哲学にとって極めて重要な存在であり、日常的な判断をいったん停止してミクロな要素を厳密に分析するというその「現象学...
フッサールを読むのはとても苦手だ。難解なだけではなく、彼の文章はあまりにも緻密すぎてまどろっこしく、どうしても眠くなってくるのだ。 とはいえ、フッサールは20世紀以降の哲学にとって極めて重要な存在であり、日常的な判断をいったん停止してミクロな要素を厳密に分析するというその「現象学」は、現代の哲学ばかりか芸術全般にもおなじような傾向が見られる。ということは、まさに時代の思考様式をフッサールはいちはやく示したということになる。フッサールについてはなんとかして理解を深めたいと思っており、この晦渋な文章と格闘しなければならない。 しかし、今回読んでいると徐々にフッサールの論点が見えてきた。 最初の100ページくらいは現象学の基礎のおさらいのようなものだが、やがて「間主観性」つまり「他者」の問題にうつってゆく。(ちなみにこれはフッサールが生前に公表しなかった膨大な草稿を、日本の編者が独自にかいつまんだ本である。) けれどもフッサールの「他者」についての考え方は、どうも私の考え方と非常にかけ離れている。だからこそ、私はフッサールが苦手なのかもしれない。 「間主観性」における最大のテーマを、フッサールは「感情移入」と設定していたようだが、「感情移入」は単に「想像」行為であって、そんなにくどくど分析するほどのことだろうか? だが最近はミラー・ニューロンの発見により、この「共感」システムが話題になっているらしい。 フッサールに関してはまた再読をはかっていくことにしたい。
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