言葉を生きる の商品レビュー
片岡義男の書く「日本語と英語」論はいつも私の襟を正すものとして読める。彼は恐らく言葉の唯物論者なのだろうと思う。彼の中には少なくとも日本語と英語という2種類の言葉が備わっているわけだが、その言葉は単に話し言葉/書き言葉という次元を超えて彼の行動規範/価値観を左右するもの、思考回路...
片岡義男の書く「日本語と英語」論はいつも私の襟を正すものとして読める。彼は恐らく言葉の唯物論者なのだろうと思う。彼の中には少なくとも日本語と英語という2種類の言葉が備わっているわけだが、その言葉は単に話し言葉/書き言葉という次元を超えて彼の行動規範/価値観を左右するもの、思考回路を支えるものとして機能していることが話される。私たちだって同じように言葉を操りあるいは言葉に操られていると言えば言えるわけだが、彼の中で常に働くそうした「操る/操られる」という力学に彼は自覚的になり、こうした私小説的随筆に結実する
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片岡義男はこのところ『日本語/言葉』に関する言及をいろいろしているけれど、その立ち位置が「物書き」としてでも「学究的」なものでもないところがいかにも彼らしくて面白く読んでいる。 でもこの作品にはびっくりした。何と、自伝なのである。彼はいろいろなエッセイに自分の少年時代や就職前後...
片岡義男はこのところ『日本語/言葉』に関する言及をいろいろしているけれど、その立ち位置が「物書き」としてでも「学究的」なものでもないところがいかにも彼らしくて面白く読んでいる。 でもこの作品にはびっくりした。何と、自伝なのである。彼はいろいろなエッセイに自分の少年時代や就職前後の話などをちりばめているので、なんとなあくどういう経歴なのかはわかっていたつもりだったけれど、そんな「つもり」は吹き飛ばされるほどにユニークな生い立ちだったことに改めてへええ、と思わされた。 中味を書いちゃうとネタバレになるから抑えるけど、今までちょっと不思議に思っていた彼の文体、語彙の選択などについての理由が一挙(とまではいかないのだけれど)にわかったような気がさせられる内容といえる。 もちろん、彼とてこうやって分析をしながら育ってきたわけではないだろうけれど、今自分の職業の根幹にある『言葉』というツールをつかって、そのありようの変化をもとに自分の人生を見なおす、まさに「生きる」ということ、新しい視点をもらえたようでとても得した気分になった。
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学生時代は片岡義男にはまっていて、本棚が真っ赤な文庫本で埋め尽くされていた。あの、カッコいい世界に憧れていた。 そんな世界が描ける片岡義男ってひとは秘密のベールの向こう側にいるような感じだった。この本でそのベールがかなりとれた感じ。 それでも、居酒屋の壁にかかった品書き「塩らっき...
学生時代は片岡義男にはまっていて、本棚が真っ赤な文庫本で埋め尽くされていた。あの、カッコいい世界に憧れていた。 そんな世界が描ける片岡義男ってひとは秘密のベールの向こう側にいるような感じだった。この本でそのベールがかなりとれた感じ。 それでも、居酒屋の壁にかかった品書き「塩らっきょう」と「えんどう豆」だけで、如何に小説が書けるか は、さすが片岡義男ワールドです。 いいなぁ、やっぱり。
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片岡義男の自叙伝的エッセイである。 ペーパーバックを読み始めるところや翻訳するところ、どのように短編小説を書き始めるかという創作の一部が披露されているところなどは、なかなかおもしろく読める。
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片岡義男の文章を初めて読んだ。 父親はハワイの日系二世。日本岩国に帰国している時に戦争となり帰れなくなった。母親は岩国、教師。 ずっとバイリンガルで育つ。 東京に出て早稲田。神保町に通い、ペーパーバックを買い漁り、喫茶店に入り浸る。 「マンハント」誌に訳してみないかと誘われ、...
片岡義男の文章を初めて読んだ。 父親はハワイの日系二世。日本岩国に帰国している時に戦争となり帰れなくなった。母親は岩国、教師。 ずっとバイリンガルで育つ。 東京に出て早稲田。神保町に通い、ペーパーバックを買い漁り、喫茶店に入り浸る。 「マンハント」誌に訳してみないかと誘われ、それ以来文筆業。 書くものはフィクション。 自分の文章は英語が裏打ちしている、と思う。 私より5才くらい下か。 私はハヤカワミステリーマガジンの都筑道夫氏にいきなりペーパーバック1冊の翻訳を送りつけ、それが縁で何篇かの短編の翻訳を同誌に載せてもらったことがある。1956年頃だ。 それを続ける意思も才能も私には無かった。
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※このレビューにはネタバレを含みます
ちょっと変わったエッセイ集である。表題に『言葉を生きる』とあるように、自分と言葉のかかわりについて誕生から現在までを四つに区切り、通時的にまとめられている。自伝風エッセイと呼んでいいかもしれない。自伝風といっても、そこは片岡義男である。主題に関係のないアネクドートの類は一切切り捨てられている。ハワイ生まれの父は本土に渡り、いかにもアメリカらしい英語を身につけた人であり、母は日常的には関西弁を話すくせに片岡少年に対しては東京言葉で語りかける人、といった徹底的に言葉とのかかわりにおいてのみ読者の前に登場する。 父が日本を観光中に母と知り合い結婚する。当時は戦時中で母を連れてアメリカに渡ることができず、二人は日本で暮らすことになる。片岡は赤子のときから父からは英語で、母からは日本語で話しかけられて育つ。その結果、そのどちらもが母語となる二重言語の人として彼は育つ。戦争が激しくなり、岩国に移った片岡は八月六日のきのこ雲を目にしている。ここまでが第一部。 東京に戻った片岡は古書店でペイパーバックを見つけると買い集める。読むためではなく、そこにアメリカを感じていたからだ。ふとしたきっかけから彼はその一冊を読み、本の世界に触れる。大学生時代は、ビリヤードと古書店めぐりに明け暮れた。先輩の小鷹信光から翻訳してみるかい、と渡された一篇のミステリが彼の行く道を開いた。第二部の最後を飾る「美人と湯麵」がいい。片岡の小説のヒロインの原型がどこから来ていたかを明らかにする、上出来のエッセイになっている。 第三部は、雑誌に文章を書き出した時代。僕らが片岡義男の名を覚えたのはこのあたりからだ。テディというペンネームの由来がサリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』から来ていたことを初めて知った。田中小実昌のジョークをネタに、自分の日本語の文章を語る「西伊豆とペン」もいい。片岡は「拾う」という日本語を自分の文章で使えない。なぜなら、「拾う」という語が持つ日本人なら誰でもが理解するニュアンスを表す英語がないからだ。片岡は英語で考える。英語で考えたことを日本語で書くのだから、言葉として存在しないものは書けない。当然のことだ。彼の書く文章が好きだが、その秘密がこんなところにあったなんて初めて知った。 第四部は、小説作法について実例を挙げて書いていく。自分の小説がどうやって描かれているのかを、こんなにあからさまに書いてみせる作家を他に知らない。片岡の書く小説はほどよい具象と抽象の均衡の上に成立する。例えば、居酒屋の品書きに見つけた「塩らっきょう」と、その右隣にある「えんどう豆」。この絶妙の組み合わせから小説が生まれる。このあたりの進み具合は実際に読んでもらうしかない。 片岡の小説は完全なフィクションである。それは、彼が小説を書く言葉が日本語だからだ。英語で書くならノン・フィクションになる、と彼は言う。英語はアクションの言葉だから。英語で考えたストーリーやアクションを日本語で書くわけだが、片岡には生理的に書けない文章というものがある。先にあげた「拾う」もそうだが、心理的に書けない言葉もある。ある意味、きわめて不自由な作家ということになる。しかし、そのできないことの多くが片岡を他の誰でもない片岡義男にしているのだ。そういう意味ではなんと自由な作家だろう。 日本で小説家といえば、なんとなく胡散臭い人物を思い浮かべてしまう。自分の思ったことや考えを人物に託したり、あるいはもっと無意識に自分を垂れ流すように書き散らしたりすることに何の疑問も持たず、小説家でございとやっている、そんな作家の書くものを小説というなら、片岡の書くものをなんと呼べばいいのだろう。自分とは完全に無縁の虚構としての小説。この風通しのいい乾いた場所を好む少数の読者に向けて片岡は今日も書いている。何軒かの喫茶店をはしごしながら。
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