わが母の記 の商品レビュー
井上靖本人の母親の老いに関して 家族が経験したことを 本人目線で淡々と綴っている。 とはいえ、母親の面倒を見たのは 主に女姉妹家族や妻娘であるため、 だから、淡々と分析できているのでしょう。 母親がどんどん子供返りしていくとか、 家族や周りを困らせているさまは、 なぜ?と、 ...
井上靖本人の母親の老いに関して 家族が経験したことを 本人目線で淡々と綴っている。 とはいえ、母親の面倒を見たのは 主に女姉妹家族や妻娘であるため、 だから、淡々と分析できているのでしょう。 母親がどんどん子供返りしていくとか、 家族や周りを困らせているさまは、 なぜ?と、 分析せずには居れないのかもしれません。 別荘があったり、お手伝いの方がいたり、 家族が助け合えたり、 恵まれているとはいえ、 大変な時間をすごされたことでしょう。 人が亡くなるということは、 大きなことです。 そして、全ての人が、行く道なのです。 状況などは違えども、 全ての家族が通る道なのです。 感慨深くよませてもらいました。
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著者の自伝的小説三部作「しろばんば」、「夏草冬濤」、「北の海」に続いて読んだ。小説中の洪作、すなわち井上靖は長じて文豪となったわけだが、この「わが母の記」の三つのエッセイでは、その見事な筆致で惚けてゆく母親の晩年を冷静に、しかし優しく描写している。本作を読むことで洪作三部作は完結...
著者の自伝的小説三部作「しろばんば」、「夏草冬濤」、「北の海」に続いて読んだ。小説中の洪作、すなわち井上靖は長じて文豪となったわけだが、この「わが母の記」の三つのエッセイでは、その見事な筆致で惚けてゆく母親の晩年を冷静に、しかし優しく描写している。本作を読むことで洪作三部作は完結したのだと感じ入った。
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認知症により記憶が失われていき理解に苦しむ行動をとるようになった母親の晩年の思い出。淡々と描いている。事実がもつ力と文豪の確かな表現力。
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晩年の母との日々を綴った作品。約5年ずつを空けた3つの作品から構成されている。5年ごとに老いが進む母。自らの人生の記憶を少しずつ消しゴムで消していくような母。世話をする子供たちのことも分からなくなっていく。しかし、母の中では母なりの世界が展開されているようだった。 井上靖の簡易で...
晩年の母との日々を綴った作品。約5年ずつを空けた3つの作品から構成されている。5年ごとに老いが進む母。自らの人生の記憶を少しずつ消しゴムで消していくような母。世話をする子供たちのことも分からなくなっていく。しかし、母の中では母なりの世界が展開されているようだった。 井上靖の簡易でありつつも味わい深い文章がまた素晴らしい。
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耄碌していく母 井上先生の生活が伺える本でした。 旭川記念館へ行った記念で購入致しました。 ご冥福をお祈りいたします。
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井上靖初読、映画は過去、樹木希林氏ご逝去の直後に観ていた。 著者の母が老い、主に認知症を進行させていく様を長男の立場でありながら極めて客観的に描く。 耄碌していく母は少女性を復活させ、我儘な振舞いを見せる。 人は歳を取る毎、ある一定の年齢を経ると子供へ還っていくと言うが、彼女の...
井上靖初読、映画は過去、樹木希林氏ご逝去の直後に観ていた。 著者の母が老い、主に認知症を進行させていく様を長男の立場でありながら極めて客観的に描く。 耄碌していく母は少女性を復活させ、我儘な振舞いを見せる。 人は歳を取る毎、ある一定の年齢を経ると子供へ還っていくと言うが、彼女の場合は無垢と狡猾がせめぎ合っている様だった。 淡々とした文章は、殆ど悲哀を介在させぬ。 靖自身はあくまで物書きとして実母を観察・取材していたのだ、と思う。 「全身小説家」と自称した井上光晴のみならず、近代の作家にはこう言ったタイプが多く見られる。 樹木氏は映画の見所を訊かれる事に辟易としていたが(没後展覧会の映像より)、本書にも同様の姿勢が窺えた。 昨今の過剰に情緒と泣き所を盛り込んだ小説の合間に読む事で、読書脳がリセットされた様な思いも。
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大作家が老いとともに生きる自分の母について書いたもの。母への思いを綴るというよりは、「花の下」「月の光」「雪の面」という3編で足かけ10年を追っていく。作家ならではというべきか、明治の男らしいちいうべきか、感情はあまり出さずに、いまでいう認知症の症状がだんだんと濃くなっていく母に...
大作家が老いとともに生きる自分の母について書いたもの。母への思いを綴るというよりは、「花の下」「月の光」「雪の面」という3編で足かけ10年を追っていく。作家ならではというべきか、明治の男らしいちいうべきか、感情はあまり出さずに、いまでいう認知症の症状がだんだんと濃くなっていく母について書いている。 書かれているのはおそらく昭和30~40年代頃のことなんけど、周囲の人たちの認知症の人への対し方がいまとちょっと違うなと思った。いまほど研究が進んだり人々の意識のなかでも「普通のこと」「誰でもなること」というものではなかったであろう頃。それゆえの忌避感やこういう接し方しちゃダメじゃんみたいなこともあるんだけど、一方で接し方にゆとりがある感じがした。ま、それは時代のせいでもあれば、みんなでおばあちゃんを看るような家族・親族の一体感もあってのものなのだろうけど。 著者は長男風吹かせてるわりには、結局母と長く一緒に暮らしてくれたのは、(母の希望もあったからだけど)妹2人だったようで、息子とは役に立たないものよ。この頃にしてそうなんだから、いわんや現代をや。
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米子市の「アジア博物館・井上靖記念館」を訪れた折、購入した本の内の一冊が「わが母の記」だった。「母」という存在は年齢を重ねれば重ねるほど大きく、そして、感謝の度合いも深まってくるものだ。その恩の最たる存在である「母」を井上靖はどんなふうに書き記しているのだろう、という思いから読...
米子市の「アジア博物館・井上靖記念館」を訪れた折、購入した本の内の一冊が「わが母の記」だった。「母」という存在は年齢を重ねれば重ねるほど大きく、そして、感謝の度合いも深まってくるものだ。その恩の最たる存在である「母」を井上靖はどんなふうに書き記しているのだろう、という思いから読み始めた。最初の方に父との最後の思いが書いてあったが、さもありなん、男同士というのは、そのようなものだろうということを感じ、自分も息子達からそのような思いを抱かれながら、この世を去っていくのだろうという思いを持った。 主題は「母」。「母」の脳が次第に壊れていくにつれ、記憶がどんどん消されていって、しまいに幼児、赤ちゃん化していく、そして、自分が産んだ子達さえ、その消去の中へ組み込まれていく。著者本人もしまいには「亡き者」にされてしまうが、その中であっても、淡々とした筆致の中に、母に対する著者の「母」への深い思いを感じた、というのも「母」の顔の表情やら行動の観察がとても細やかだったから。 現在の私には実母と義母の二人の母がおり、幸いに存命中だ。その二人の母のことが読書中、しばしば意識に昇ってきて、著者の母が老耄し、行動が変質していく姿に、著者と同じ思いを抱いたり、同苦したりした。私の二人の母は、やはり老齢による劣化は免れられず、変化していっている。変化の仕様が全く異なっているというのは、どんなことに生き甲斐を感じたのか、どのようなことに幸せを感じたのかにも依るのでは、と思う。中には、老耄の果て、別人格になってしまう人もいるということも聞く。我が身のことも含め、死ぬまで予断を許さないのが人生、ということを肝に銘じながら、「自己最優先」という「我」の膨張には特に注意を払い、人の中にあって、「生きる」ことの意味を学び続けていきたい。
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樹木希林の映画を見て購入。学生時代にしろばんば、あすなろ物語、とんこう、天平の甍など五十年前読んだ記憶が呼びさまされる。硬派な小説だけど爽やかさが感じられる。
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人が年老いていくと食べて排泄するだけの一本の管になる。そもそも、それこそが生物の基本的な活動なんだと・・・他の出来事は薄ぼんやりと霧の彼方へ・・・DNAを無事に次世代へ引き渡したのなら、わが身は死を待つばかりなり(合掌
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