チャイコフスキー・コンクール の商品レビュー
ロシアがソ連の時代。今と異なる国際情勢、審査員たちの人間味あふれる評価、すべてが新鮮に映って見える。 音楽的なことで気になったのは、「なぜバッハをショパンのように弾いてはいけないのか」ということを言及していたこと。 しかし、「音楽性」ということばが私には難しく、正直理解に苦しん...
ロシアがソ連の時代。今と異なる国際情勢、審査員たちの人間味あふれる評価、すべてが新鮮に映って見える。 音楽的なことで気になったのは、「なぜバッハをショパンのように弾いてはいけないのか」ということを言及していたこと。 しかし、「音楽性」ということばが私には難しく、正直理解に苦しんだ。私もピアノを習っていた頃にベートーヴェンをショパンのようには弾かないと教わっていた。そういうもんだと思ってたから、理由について詳しく知りたかった。 それにしても、トランシーバーでコミニケーションとりながら順位を決めるシーンは笑えた。 ・1位は2人がいい。ひとりは皆同じ意見で、もうひとりは審査員によって異なる。それなら、その人を1位にして2位を決めればよくないか(正論) ・「ソ連製のトランシーバーはダメだなぁ」「東京でやったときはソニー製だったからうまくいったのかもしれない」←国際ジョークで紅茶噴いた 中村紘子さんの文章は冷静で読みやすい。絶妙に感情も混じるのでそれがまたいい。 今回は図書館で借りた本だから返さないといけない。だけど、また読みたいな。
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ピアニスト・中村紘子さんが見たチャイコフスキー・コンクール。 著者が1986年の同コンクールで審査員をつとめた時の経験談を中心に、同時代のクラシック業界の事情を考察する。 コンクールとは、音楽にとってそもそも何なのか。コンクールの情景・審査員たちの生態は? そこに登場してくる...
ピアニスト・中村紘子さんが見たチャイコフスキー・コンクール。 著者が1986年の同コンクールで審査員をつとめた時の経験談を中心に、同時代のクラシック業界の事情を考察する。 コンクールとは、音楽にとってそもそも何なのか。コンクールの情景・審査員たちの生態は? そこに登場してくるのはどういう「ピアニスト」なのか。日本人がそこに参加する意義と限界とは? 彼我のピアニズムの違いとは? さらには、「ペレストロイカ」を経て、音楽地図の方はどう変わったか? などなど、今から見るといささか古い本には違いないけれども、その辺のコンクール事情・音楽事情がよくわかって面白かった。
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国際コンクールがどのように行われているか興味深いです。 小川典子先生のお名前を見つけ、小川先生もチャレンジされていたことを知りました。 その他、有名人のお名前がわんさか。楽しかったです。
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20140724蔵書 20140626読了 ピアニスト中村紘子氏が1986年のチャイコフスキー・コンクールに審査員として携わり、その様子を記したエッセイ集。●コンクールは水もの!●王侯貴族に庇護されて発展してきた音楽社交界は、実質的に第一次大戦までモーツァルトの時代とたいして変わ...
20140724蔵書 20140626読了 ピアニスト中村紘子氏が1986年のチャイコフスキー・コンクールに審査員として携わり、その様子を記したエッセイ集。●コンクールは水もの!●王侯貴族に庇護されて発展してきた音楽社交界は、実質的に第一次大戦までモーツァルトの時代とたいして変わらなかった。それ以降、コンクールによる才能発掘という手法が確立された。●ホロヴィッツの「放言」が強烈!●P252 オケとソロが合わせることについて。●P256 モスクワの聴衆たち ●P299 優勝者の行方 ●P305 「コンクールの時代」のピアニスト教育
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チャイコフスキー国際コンクールとは、四年毎にモスクワで開催される、まことに権威のある音楽コンクールであります。その権威の高さの割には歴史は案外新しく、第一回開催は1958(昭和33)年ださうです。開催国ソ連の威信をかけたコンクールで、その歴史はさまざまなエピソオドに事欠きません。...
チャイコフスキー国際コンクールとは、四年毎にモスクワで開催される、まことに権威のある音楽コンクールであります。その権威の高さの割には歴史は案外新しく、第一回開催は1958(昭和33)年ださうです。開催国ソ連の威信をかけたコンクールで、その歴史はさまざまなエピソオドに事欠きません。 著者の中村紘子さんは、1982年の第七回コンクール以来、審査員として度々招かれてをります。本書は1986年、第八回コンクールの模様を、6月のモスクワに降り立つところから最終審査の結果が出るまで、著者の批評メモを織り交ぜながら、わたくしのやうな素人にも分かりやすく叙述されてゐるのであります。その内幕はまことに興味深い。 参加資格は案外ゆるく、年齢が17-32歳ならそれほど厳しい制約はないさうです。もつとも、それなりの自信と実績がないと、出ても恥をかくだけで、実際さういふ人も中にはゐるみたいです。出しちやふ師匠がいかんよね。 また、「ツーリスト」と呼ばれるパフォーマーもゐて、それは何かといふと、珍奇ないでたちで愛嬌をふりまき、肝心の演奏は噴飯物で、審査員たちも笑ひを噛殺すのに難儀する演奏者のことださうです。アメリカ人に多く、わが日本からもそれに次いで多いらしい。うーん。 また、現代のコンクール事情についての考察や、日本におけるクラシック音楽の問題点にも触れてゐます。 今時のコンクールの目的は、はふつてゐても勝手に出てくる神童や天才を期待するのではなく、「正常な才能のための定期的発掘装置とでもいうべきものなのだ」(本文より) 著者もいふ通り、何となく淋しい目的ではありますが、一般の音楽愛好家からすると、さういふ人材もやはり多く発掘してもらひたい喃。 日本はクラシック音楽の「鑑賞者」または「享受者」としては一流レヴェルに達しつつあるといっても、あくまでそれは消極的な意味であって、本来のよき「鑑賞者」としての積極性を残念ながらいまだ持つに至っていない、とでもいえよう。(本文より) 本書から30年近く経つのですが、日本はよき「鑑賞者」として変貌を遂げたのでせうか。 ま、わたくしなんぞは難しいことは考へずに、ただ聴くのみですがね... http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-160.html
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選ばれるほうにドラマがあるように、選ぶほうにもドラマがある。 些細なことから意外なことまで、彼女自身の言葉で綴られるコンクールの舞台裏。 時々軽妙だったり、時々憂えたり。流れるように、或いはテンポの緩急をつけて。音楽そのもののようでもある。 「 例えば極端に乱暴で大雑把な言い...
選ばれるほうにドラマがあるように、選ぶほうにもドラマがある。 些細なことから意外なことまで、彼女自身の言葉で綴られるコンクールの舞台裏。 時々軽妙だったり、時々憂えたり。流れるように、或いはテンポの緩急をつけて。音楽そのもののようでもある。 「 例えば極端に乱暴で大雑把な言い方になるが、クラシックの演奏家、特にピアニストは、要するに他に面白いことがいっぱいある社会では成熟しにくいのではあるまいか、と私はかねがね考えてきた。経済的にも豊かで、多元的な価値観のもの、文化的にも技術的にも次々と新しい知的冒険と刺激が生まれ、多様なライフスタイルが試みられる社会では、長時間に亘る持続的で精妙な鍛錬を必要とするピアニストの育つ土壌は極めて限られるのではないか。」というのは少々意外。 音楽、とりわけクラシック音楽の教育は、どちらかというと裕福な良家で受け継がれてきたもの、という印象があるからだ。 単純に言って、あまり裕福でなく、選択肢のないほうがいいということ? それってクラシック音楽に限らず、ポップミュージックでもスポーツでも言えることなのではないか。。。 26年前のエッセイなのに、古さは感じない。 課題も明確に提示されている。 良書だと思う。
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