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聴衆の誕生 の商品レビュー

4.3

9件のお客様レビュー

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2023/09/14

 初版1989年、増補1996年、文庫化2012年。  クラシックの演奏会の、現在の聴取マナーのようなものや「楽聖」等の神話化が出来ていったプロセスを、19世紀の演奏会の歴史に沿って明かしていくのが最初の方。  それから20世紀になって自動ピアノとか複製、カタログ文化、商業主義な...

 初版1989年、増補1996年、文庫化2012年。  クラシックの演奏会の、現在の聴取マナーのようなものや「楽聖」等の神話化が出来ていったプロセスを、19世紀の演奏会の歴史に沿って明かしていくのが最初の方。  それから20世紀になって自動ピアノとか複製、カタログ文化、商業主義などが目立っていき、いよいよポストモダン期に至って「軽やかな聴取」が席捲する、という点を著者は強調する。  何と言ってもボードリヤールのケレン味ある思想に興奮していた、日本80年代のポストモダン期である。その文脈で見ればこんな考え方にもなるかなという感じだった。  96年の増補版で加えられた補章では、本文をものの見事に相対化し、「今の考え方は違う」と転向してしまっている。バブルがはじめて不況が到来し、日本は新しい、暗い時代に突入したのである。  このように、面白くはあっても、本書のパースペクティヴは「あの時代のもの」という限定を付けざるを得ない。それでも、なかなか興味深い指摘もあってそれらは一概に無効とは言えないと思えるし、結論や描く将来像に古さはあってもその前段階の分析は有効であるという気がする。  そんな部分については、なかなか参考になる本だ。私の言葉で言えば、19世紀ヨーロッパのベートーヴェン崇拝は確かに「権力」そのものであったし、権力であるからには、外部を除去するためには暴力も活用したのである。  その権力を否定し身を反転させようとしたのが20世紀であったが、ある程度ポストモダンの勢いが減退したとはいえ、古い権力がそのままで復活するなんていうことは無い。知の権力に対して経済の権力こそが現在もっとも凄まじいのだが、我々は権力による暴力や疎外に屈することなく、一人一人の生命を全うしなければならない。出口は個人の中にしかないのかもしれない。

Posted byブクログ

2021/06/18

壮大だった。1989年の初版に、1996年に補章が加えられたものを、2012年にあとがきを足して文庫化された版を読んだ。 以下、1996年の補章より。 「真の歴史的事実」などというものは実はないのであって、それぞれの時代によって理解された「事実」があるにすぎず、その「事実」が時...

壮大だった。1989年の初版に、1996年に補章が加えられたものを、2012年にあとがきを足して文庫化された版を読んだ。 以下、1996年の補章より。 「真の歴史的事実」などというものは実はないのであって、それぞれの時代によって理解された「事実」があるにすぎず、その「事実」が時代の中で様々に変化しつつ、文化を形成してきたと考えた方が理にかなっているのではないだろうか。 この文章を踏まえると著者の言う「軽やかな聴取」がより深く、面白く感じられるように思う。読み応えがあって良かった。再読必須。

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2019/02/17

シンと静まりかえった客席で、ひたすら耳を傾ける演奏会の風景は近代になってからのもので、現在クラシックと言われる音楽が現役であったころには、貴族の社交の場におけるBGMであったという導入から始まって、音楽を聴く姿から、その聴衆に対峙する演奏の姿までを論じており、クラシックを聴きに行...

シンと静まりかえった客席で、ひたすら耳を傾ける演奏会の風景は近代になってからのもので、現在クラシックと言われる音楽が現役であったころには、貴族の社交の場におけるBGMであったという導入から始まって、音楽を聴く姿から、その聴衆に対峙する演奏の姿までを論じており、クラシックを聴きに行く私にとってはもちろん、あまり聴きに行かないという人も面白く読めそう。 発表されたのがバブル期であったせいか、クラシックを聴きに行くことに特別感がありすぎる描き方をしているように思える部分もありましたが。自分が演奏会を聴きに行くときのことを振り返ると、演奏をしている方への敬意はあるけれど、修行のように静まっているわけではないし、隣の席でプログラムをめくるのはともかく、ビニールをガサゴソされたり、ぼそぼそ話されるのは楽しむ気持ちに水をさされる気がします。一方、対比してロックのコンサートではと挙げられているけれど、私はロックでも座って聴きたいし、手拍子はともかく、観客の合唱より出演者の声や演奏が聴きたいけれどなあ。 神格化、偶像化される「巨匠」がなぜ行われたか、パガニーニのヴァイオリンやリストのピアノを聴きに行く形から、「演奏」でなく「作品」を聴きに行くのが良しとされるようになり、パガニーニらが「ヒーロー」であったのが作曲者が「ヒーロー」に仕立て上げられたというのも面白かった。 複製芸術の普及による聴衆の変質が非常に大きな転換として取り上げられていました。ちょうど昨年末に読んだベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」でも論じられていた「アウラの消失」について論じられていました。ただ、この本では増補版発行時に、初版の後の7年の変化がくわえられましたが、その1996年以降の内容は文庫版でも加えられていないので、インターネットの登場、音楽のネット配信、曲ごとの個別ネット販売、無料での配信といった、音楽を聴くことへの影響がより大きいと思われるネット普及後の内容が書かれていないのは残念でした。その辺りを論じたものをぜひ読んでみたい。 グールドの「継ぎはぎ」による録音デザインでの新しい音楽への試みは初めて知ったので興味深かった。聴き手が自分の好きなようにテンポやピッチを調整し、編集して聴取する時代というのは、まさしく今来ていると思います。アルバムを頭らか順に聴く制約もなく、曲ごとに、それも頭の辺りを聴いて気に入ればそのまま聴き、気に入らなければ他の曲に移ると言う、まさに本で言われている「軽やかな聴取」が現在、行われていると思います。それは聞き手にとって自由度の高い環境ではありますが、読書会の参加者の方が言っておられた「交響詩などを続けて聴くことによるドラマ性」は届けにくくなっているように思います。そして本書でいう「垂直方位」の消失、「価値の平板化・水平化」というのは、現代にも、十分あてはまるように思います。

Posted byブクログ

2019/02/17

後ろでブーニンのベートーヴェン《ワルトシュタイン》(ピアノソナタ第21番ハ長調作品53)が鳴っている。私は晩年のバックハウスのしっとりと艶のある《ワルトシュタイン》も好きだけれど、ブーニンのまさに疾風怒濤、Sturm und Drangな演奏も嫌いではない。青い空の下、広い草原を...

後ろでブーニンのベートーヴェン《ワルトシュタイン》(ピアノソナタ第21番ハ長調作品53)が鳴っている。私は晩年のバックハウスのしっとりと艶のある《ワルトシュタイン》も好きだけれど、ブーニンのまさに疾風怒濤、Sturm und Drangな演奏も嫌いではない。青い空の下、広い草原を猛スピードで駆け抜けていきながら、しかし極めて精緻で正確なピアノタッチは聴く者の心を掴んで離さない。 さて、本書。 18世紀、モーツァルトやベートーヴェンらが活躍した時代から、ベルリンの壁が壊れるちょっと後くらいまでの音楽、殊にクラシックの「聴かれ方」に焦点を当てて書かれた論文である。18世紀から遥々こちらに走ってきたわけで、やや総花的になっている感が否めないではないが、要所要所の記述は種々の研究を踏まえて書かれていてとても興味深い。また所々にベートヴェンがキリストになっちゃった話や、掃除機をうっとりと眺める10等身の女性たち、冷蔵庫の扉を肴に酒を飲む紳士淑女なども登場し、読む者を飽きさせない。 音楽を巡る状況は、本書が書かれた頃よりも大きく変化を遂げながら現在に至っている。本書で出てくる《コンパクトディスク》(今の10代くらいに《コンパクトディスク》といっても通じないだろうな)から、MDが出現し、ウォークマンのように音楽をスマートに外に持ち出せるようになったかと思うと(MDはカセットテープのようにかさばらず、テープがびろびろしたりしない)、あっという間にMDは廃れ、デジタル音源をしかも1曲単位で買えるようになった。欲しいところを欲しいだけ買えるようになった。クラシックの曲も例外ではない。またYouTubeなどの動画サイトにより、演奏会でアーティストが演奏している映像も見ることができるようになった。しかも無料で。こうしためまぐるしい変化はこれからも加速しながら進み続けるだろう。「軽やかな聴衆」はより軽く、綿毛のように鼻息で飛んでいくくらい軽くなっていくだろう。 他方で、このような状況が普通になっていると、ライブに行った時の感動は一入だ。楽器が間近で鳴り、空気を振動させて、我が身にぶつかってくる衝撃は言葉が追いつかない。 生物学者福岡伸一氏は、「動的平衡」と言った。 音楽も例外ではなく、「動的平衡」を保つだろうと私は思っている。軽やかな聴かれ方がどんどん進んでいくと、ある所で振り子は大きく揺れ、しっかりと聴く音楽の復権が次第になされていくだろう。 語ることが尽きない一冊だが、この本に出てくるいろいろな曲を後ろでリアルに掛けながら、読み進めるのも楽しそうだ。

Posted byブクログ

2015/01/24

『ソーシャル化する音楽/円堂都司昭』にて紹介されていたので試読。 本書で述べられていることは至極シンプルで、自動ピアノや環境音楽など様々な例を挙げられているが、主張していることはただ一つ。 かつての芸術音楽 対 娯楽音楽という図式は、複製技術の発展と大量消費社会の到来によりもはや...

『ソーシャル化する音楽/円堂都司昭』にて紹介されていたので試読。 本書で述べられていることは至極シンプルで、自動ピアノや環境音楽など様々な例を挙げられているが、主張していることはただ一つ。 かつての芸術音楽 対 娯楽音楽という図式は、複製技術の発展と大量消費社会の到来によりもはや通用しなくなり、聴衆は全てがフラットになった世界で各々が好き勝手に聞きたいものを聞くようになった、という聴衆の変容を描いている。 現代では当たり前に思えることだがそれを80年代に既に語っていてたという部分は評価するが、内容的には少々薄っぺらく読み応えもなかったので☆3つという結果。

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2013/12/31

自分はこの本で言う軽やかな聴衆どっぷりなひとりで、 曲や作曲家の基礎知識すらないが、 非常に面白く読め、また考えさせられた。 音楽の歴史や捉えられ方にとどまらず、 芸術、文化、そして社会全体まで網羅していながら 自然に頭に入ってくるような構成はすごい。 また抽象的で多岐に渡る話題...

自分はこの本で言う軽やかな聴衆どっぷりなひとりで、 曲や作曲家の基礎知識すらないが、 非常に面白く読め、また考えさせられた。 音楽の歴史や捉えられ方にとどまらず、 芸術、文化、そして社会全体まで網羅していながら 自然に頭に入ってくるような構成はすごい。 また抽象的で多岐に渡る話題を、 ひとつの大きな流れに落とし込んでいるのも、ありそうでない、というか並みの書き手にはできないだろう。 補章と文庫版のあとがきも、 さらに深くまで掘り下げていて必読。 音楽好き、クラシック好きだけでなく、 すべての人に訴えかけてくるのではと思わせる名著。

Posted byブクログ

2013/04/29
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

クラシックは映画のサントラだけで聞くというくらいの、 まさにこの本で主張されるポストモダン時代の聴衆のひとりです。 この本についてもとくに音楽史に興味をもっていたわけじゃなく、 聴衆といいう群衆の一形態に興味を持って読みました。 動機は不純でしたが、 創作側の変遷ではなく、文化を享受する側の変遷がテーマになっているので、音楽の知識を持っていなくても楽しく読むことができました。 ルネサンス期の画家が貴族御用達の肖像写真家程度の扱いしかされていなかったということを、堀田善衛の本で読んだことがあります。 なんでもベラスケスも宮廷の催しに出席するときは道化と同列だったとか・・・。 それは音楽家たちも同様で、演奏会も貴族の社交のための慰みごとだったようです。 それが『楽聖ベートーヴェン』のように作曲家たちを神聖化しつつ、音楽を真面目にたしなむ時代がはじまり、その時代を打ち壊すのが現代の音楽聴取のあり方だと本書は説きます。 現代における音楽の聴取における諸特徴、商業主義の台頭、精神性の没落、差異化と拡散などは、音楽だけに限られた現象ではないでしょう。そういう意味で音楽をケーススタディとして、時代を読むことができる本でした。

Posted byブクログ

2013/01/21

たいへんにおもしろかった! 音楽文化だけではなく、歴史とは何かということも考えさせられた。 言葉にしにくい内容を、いかにも平易な言葉で綴った著者の力技を実感させられた。 すばらしい著作である。

Posted byブクログ

2012/04/18

20年ぶりくらに再読。 出てくる事象が古臭くなってしまうのは仕方がないが、論点は古くなっていないと思う。ipodのようなものが出てきた視点も追加であると面白いかも。 初めて読んだ時は気にもならなかっただろうけど、章ごとに話題が拡散するところが気になるかな…

Posted byブクログ