生き延びるためのラカン の商品レビュー
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〜女性を言葉で明確に定義づけることはできない。なぜなら精神分析における性はセックスのことではないから。でも男は定義づけられる。なぜなら男はペニスをもつ存在だから。~ これはそもそもペニスを精神分析の根底に掲げていること自体男性中心的でおかしい。エディプスコンプレックスにおいてファルスを絶対的なものとして、母の体力や戦闘能力の欠如をペニスの欠如と結びつける点から何の根拠もない男目線の賜物。その男の特権意識をひきづりおろさなきゃ「存在の根拠はファルス」で女性はファルスのない性、男ではない性としてしか解釈されない。フロイトの論をそのまま借用してファルスを存在の前提に置いたままじゃ女性は永遠に謎のまま。筆者はフェミニストに対して、ラカンは男性がえらいとか優秀だとか考えている訳ではないことを強く弁明しているが、問題の本質が全く分かっていない。ファルス(男)を主にして女は謎だと言う、その土台が男性中心的だということ。様々な分野で西洋中心主義だとか、自文化中心主義だとかがはびこっているが、精神分析の分野は酷いものがある。過去の誤った権威を未だにひきずりおろさない。そこを切り崩さない限り女性は永遠に謎のもままだ。女性はこの想像界において男ではない性としてしか存在させてもらえない。 「女性は無意識の領域ではペニスが欲しくて男性なしでは語り得ない生き物」だという理論が未だに信じられているなんて。
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「なんですかねえ、この『許されてる』感は」 葉月はため息混じりにそんなことを言った。 「それは『女性は存在しない』っていうところかな?」 彼のその言葉は、問いかけというよりは確認のようだった。 「ああ、それかも。お見通しですね」 葉月は、あっさり認めた。 彼は頷く。 「既存の価値...
「なんですかねえ、この『許されてる』感は」 葉月はため息混じりにそんなことを言った。 「それは『女性は存在しない』っていうところかな?」 彼のその言葉は、問いかけというよりは確認のようだった。 「ああ、それかも。お見通しですね」 葉月は、あっさり認めた。 彼は頷く。 「既存の価値観の脆弱さに安堵するのかもしれない。だってそうだろ、欲望なんて他人に与えられるものだと言われたら、そして誰も本当に求めるものに触れることができないと言われたら、あるいは生殖とヘテロセクシャルであることとは無関係だと言われたら、他者への共感など自己イメージでしかないと言われたら―――そうやって、自分を取り巻くあらゆる『当たり前』を疑われたら、心地よいだろ」 彼は意地の悪い笑みを浮かべていたが、それは嫌味というよりは、暗にそれらを肯定しているという合図のようだった。 葉月はそれを受けて、思いつくままを言葉にする。 「この世界は、本当の現実とは違う。結局のところ、人は言葉がつくり上げた世界でしか生きていない。その中でしか関われない。完全で満たされた世界を失って、他者と自己という概念を手に入れて、失ったものを他者に求めて」 それはなんて孤独だろうと、葉月は言う。 孤独で、素敵じゃないかと。 「他者への共感など、所詮は思い込みでしょう? 結局は、自分ならこう感じるというものを、他人に押しつけているだけでしょう?」 彼は、恐らくは自らに向けられたわけではないであろう問いかけに、静かに口を開く。 「そうかもしれない。でもそれを忘れないとコミュニケーションは成立しないのかもしれない。相手も同じ、満たされないものを抱えていて、同じように感じているのだと思わなければ―――イデオロギーってそういうものだろう。共同体が共同体であるためには、皆が好き勝手のことを考えていては困るだろうしね」 それから少し、沈黙があった。 「段々、何の話か分からなくなってきましたが」 「言葉は空虚なものだから、かもしれないね」 彼は冗談めかして、そんなことを言った。
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ラカンの著作はフロイトやユングの何倍も難解で、更にその解説書もやたら難しいという困った状況が長らく続いていて、それがここ数年、2冊ほど良質の入門書がでたのは喜ばしいことだけど、とっつきやすさではこの本に勝るものはまだなさそうだ。 象徴を理解する際、ラカンの精神分析理論を読むと目から鱗が落ちる。彼の理論、例えばこの世界を現実界・象徴界・想像界に3つの観点に分けた説明は、ポスト構造主義に大きな影響を与え、そこを経由してサブカル等にも多大な影響を与えた。ある意味、彼こそがフロイトの正当な継承者と言えるかもしれない。
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精神分析を身近に感じる貴重な機会。 7/7の七夕の日に、久しぶりに猫町倶楽部の読書会に参加してきました。 今回はラカンが課題本とあって、非常に楽しみにしていました。 なぜなら僕は昨年から哲学を読むことに挑戦しており、 ラカンはいつか読んでみたいと望んでいたからです。 この本自体、精神分析入門の本だと読書会に参加するまで知らず、 少々恥ずかしい思いもしたのだが、それでこそ読書会。 自分が気付かない視点を気づかせてくれるのが何といっても読書会の醍醐味。 ラカンの入門書をこのように簡単にまとめて下さった斎藤環さんには本当に感謝です。 特に僕が印象に残ったのは「欲望は、他社の欲望である」、 「他社の欲望の根源にファルスがある」という言葉。 人間は自分では決して欲望に気付かない。 それは他の媒介、ラカンの言葉でいう対象a (通な言い方では対象アーという)を通して欲望を持つんだとか。 斎藤環先生は欲求と欲望は違うと説明された。 欲求は一時的にしろ満足できるけど、欲望は満足することがない。 前者の例は食欲や性欲。食べたら満足するし、SEXすれは一時的にしろ快楽を得られる。 後者の例はお金だそうだ。 いくらお金をいっぱい稼いだところで、満足することはなかなかできない。 人間が他者と交わることで生きていく動物なので、 欲望がないというのは少々考えられないことだ。 日本の生活は豊かになりすぎて、「ほしいものがほしい」という言葉にもあるように 対象aが具現化されてこない。自我に作用を及ぼさない現象が起きているのか? なんかわからなくなってきたぞ! もうひとつ、ラカンの有名な「想像界、象徴界、現実界」というお話。 ラカンによれば我々が普段目にしているのは想像界の世界で、 これはすべて偽物なんだとか。そもそも自分の顔って本当には見えないよね。 本では鏡像現象という言葉で表現されていたけど、 鏡の中に写る自分は左右反対の自分。それは本物ではない。 だから我々が見ている世界はすべて意味がない。 そう思うと少し気が楽にならないだろうか? 上司に怒鳴られたとしても、その起きた事に全く意味がないと感じることだってできるし、 逆に大好きな女性・男性と一緒に手をつないでデートをしている自分も 実はそこに何も意味はないともいえる。 おや、じゃあ僕はなんのために生きているのかって? それがわかれば生きていく意味ないでしょう。 とまあラカンを読みながら、こんなことまで考えてしまいました。 ラカンを読めば世界が変わる、少なくともそう感じる事ができた本でした。
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ラカンの基礎用語について平易な日本語を使用して解説した本。その範囲は、3つの世界図式、欲望、主体と他者、感情転移まで広範にわたる。精神分析は人間の存在構造を探求する学である。それは夢の分析、つまり意味不明なものを意味あらしめる作業から始まった。ラカンは、「意味不明なもの」と「意味...
ラカンの基礎用語について平易な日本語を使用して解説した本。その範囲は、3つの世界図式、欲望、主体と他者、感情転移まで広範にわたる。精神分析は人間の存在構造を探求する学である。それは夢の分析、つまり意味不明なものを意味あらしめる作業から始まった。ラカンは、「意味不明なもの」と「意味あるもの」-シニフィアンとシニフィエ-の関係性を軸に、言語活動の側面から、人間の意味不明な状況-精神病-を分析する。「意味」と「意味不明」の間にある動的な関係性を元に人間存在の外的/内的構造を学べる、手ごろな入門書である。
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1読目は難しくてよくわからなかった。 2読目はなんとなくわかった。 斎藤さんの話をきいて全体がわかった。 なんとなく生きやすくなったかな。
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SNSの普及により、ネット上には「他者の欲望」が言語(象徴)や写真(想像)で溢れかえっている(まさにボランティアから犯罪までの存在証明で)。一方で、欲望追求の空虚さに気がついた「ひきこもり」も増えている。この現状についての著者は両面を懸念しているように思える。 コミュニケーション...
SNSの普及により、ネット上には「他者の欲望」が言語(象徴)や写真(想像)で溢れかえっている(まさにボランティアから犯罪までの存在証明で)。一方で、欲望追求の空虚さに気がついた「ひきこもり」も増えている。この現状についての著者は両面を懸念しているように思える。 コミュニケーションの発達により欲望を先送りしそれだけで満足しているか、隣人の存在無き状況において欲望がリアル化されずに行動できないという両極端の問題が発生しているのではないか?。で、書名の「生き延びる」とは「生の欲動」すなわちエロスの必要性を説いており、要するに「生身の人間と恋愛しろよ」(但し、無欲を装え)って事なのかな?と。ヘテロ・ホモ・バイなんでもいいんだろうけど。 男は「存在を問う」から引きこもり、女は「性別を問う」から関係を重視するし、そもそも男女は非対称なので、「(一般的な)女は存在しない」ってのが、「女はわからん」って事なのかなと。また、おたくと腐女子の比較も、同一化および立場重視と関係重視の対比説明で納得できる。 シェーマLの説明は不十分ではあるが、欲望の原因である、対象a≒カネであるという説明はわかりやすい。まさに空虚で幻影を投影可能なものだし。 このように、理論で現象を鮮やかに説明してくれるのは快楽であるのだが、著者があとがきで述べているように、「わかりやすさ」や「正しさ」の度が過ぎるとカルトになってしまう危険性には留意しなければならないと思う。
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これを読んだだけでは特に面白さを感じなかったかもしれないけど、読書会で分からないながらもあーだこーだ言い合うのは楽しかった。 時間の経過によって解釈も変わるだろうなと思う本。
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「日本一わかりやすいラカン入門書」との謳い文句だが、ラカンに関係なく精神分析の読み物として面白い。著者はひきこもりやおたく論関係の執筆も多いけど、自ら「精神分析は科学ではないし、治療のツールでは忘れられつつある」と言ってしまう様に精神分析の限界を認めた上であくまでツールとして出来...
「日本一わかりやすいラカン入門書」との謳い文句だが、ラカンに関係なく精神分析の読み物として面白い。著者はひきこもりやおたく論関係の執筆も多いけど、自ら「精神分析は科学ではないし、治療のツールでは忘れられつつある」と言ってしまう様に精神分析の限界を認めた上であくまでツールとして出来ることを提示していて、その態度にはとても好感を持ててしまう。統合失調症で損なわれているのは「文脈」であるという言葉の通り精神分析と文学というのは相性が良く、精神分析とは人や社会を1冊の書物として読み解く行為と言えるのかもしれない。
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参加やめよかな。 精神分析系は苦手。答えになってないし、あまり慰められもしないから。 男女は非対称、性愛は人工的な幻想。
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