瓦礫の中から言葉を の商品レビュー
出版から10年も経って辺見庸ということだけで買ってみたものの、時事問題をテーマに扱ったものとしては古くなるだろうし、石巻出身の作者の心情は今まで触れてきた本から割と想像ができてしまうものだから、長らく本棚に眠っていた。 ネットで辺見庸の文章にたまたま触れて、そもそも最も気に入って...
出版から10年も経って辺見庸ということだけで買ってみたものの、時事問題をテーマに扱ったものとしては古くなるだろうし、石巻出身の作者の心情は今まで触れてきた本から割と想像ができてしまうものだから、長らく本棚に眠っていた。 ネットで辺見庸の文章にたまたま触れて、そもそも最も気に入っていたその文体、言葉遣いを味わいたくてなんとはなしに紐解いてみた。 東日本大震災から広島の原爆、東京大空襲、果ては鴨長明の方丈記に至るまで、厄災の歴史上での考察を10年後の現在に当てはめて、エキスパンドしてみればそのあまりのフィット加減に慄いてしまうほどだ。いや言葉の主語は画一化され全体化され「絆」だの「思いやり」だの「団結」だのと言葉の間の屍どころかもはや何も言っていないに等しい空虚だけが飛び交っている。 そしてその空気をがより固まって出来ていくオリンピックなる象徴体すら用意されている始末。まさに今本書を読むことの意味が腹を抱えるほどの苦笑に涙するほど実感する。
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初読。3.11を辺見さんが切り取るとこうなるのか。腫れ物に触るように鋭さを失っていたマスコミの言葉の中に潜む、日本の危うさをあぶりだす。自分の中にある集団主義に自主的に取り込まれる無責任さを指摘され、なるほどと納得させられた。
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本書は、東日本大震災で最大の人的被害を受けた石巻市出身の著者が、震災から1ヶ月後の2011年4月24日に放送されたNHK番組「こころの時代 瓦礫の中から言葉を~作家・辺見庸」(収録は3月下旬)で話したことをきっかけに、日本の「言葉の危うさ」と「言葉の一縷の希望」について書き下ろし...
本書は、東日本大震災で最大の人的被害を受けた石巻市出身の著者が、震災から1ヶ月後の2011年4月24日に放送されたNHK番組「こころの時代 瓦礫の中から言葉を~作家・辺見庸」(収録は3月下旬)で話したことをきっかけに、日本の「言葉の危うさ」と「言葉の一縷の希望」について書き下ろしたものである。 著者は、「われわれの身にいったいなにが起きたのか、なにが起きつつあるのか、それはどのような性質の出来事であるのか、なにが壊され、潰え、なにが生まれたのか、このさきにどんなことどもが出来しようとしているのか、歴史はこれからどう変わるのか―を感じとり、ひとつひとつ言葉にしていくのは、作家であるわたしの義務であり運命であると考えます」というが、一方で、「言葉でなんとか語ろうとしても、いっかな語りえない感覚です。表現の衝迫と無力感、挫折感がないまぜになってよせあう、切なく苦しい感覚。出来事があまりにも巨大で、あまりにも強力で、あまりにも深く、あまりにもありえないことだったからです。できあいの語句と文法、構文ではまったく表現不可能でした」と漏らす。 そして、震災後に多くのスポンサーがCM放送を自粛したために、ACジャパンのCM「あいさつの魔法」(「こんにちワン ありがとウサギ 魔法の言葉で 楽しいなかまが ぽぽぽぽーん」)や金子みすゞの「こだまでしょうか」が、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』に描かれた“ニュースピーク”のごとく繰り返し流されていたこと、福島原発の事故について、報道は「福島原発から放出された放射性セシウム137は広島に投下された原爆の168個分」と数値を示すだけで、その書き手が生きた言葉で何も表現していないこと、震災直後に自らいくつかのインタビューを受けたものの、記者の既定の世界像に合わない発言は全く無視されたことなどを挙げ、「言葉についていえば、この破壊、かぎりない破壊を表現する言葉を、わたしたちは、失うもなにも、ひょっとしたら最初からもっていなかった、用意していなかったのではないか」と思い至る。 その上で著者は、シベリア抑留を体験した石原吉郎や、東京大空襲を体験した堀田善衛の言葉を手掛かりに、我々はどのような言葉を発し、どのような言葉を死者ひとりひとりに届けられるのかを思索している。 『もの食う人びと』など、これまでも人間とその営みの本質を洞察してきた著者が語る、奥深い書である。 (2012年3月了)
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辺見庸、考えさせられる。この一冊を手に東北、2週間。とてつもない経験でした。しかし、まだまだこれからです。
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数ヶ月前に「もの食う人びと」で初めて辺見作品に触れてから、むさぼるように彼の作品を読み続けています。 その作品どれにもこれにも、 僕が欲しかった「ことば」がありました。 頭の中でその輪郭を描きつつも、誰かには伝えられなかった、自分の持ち合わせる語彙では表現できなかったことばです。 対して本著には、自分がそのことを一番良く分かっていたけれど、表現することを逃げていたことば、一番言われたくなかったことばが書かれていました。だから、読みながら、しばしば体が芯から熱くなるような感覚に襲われていました。どんどん、と誰かが内側から僕を叩くのです。 ”一身の百分の一も賭しているわけでもない、皆が問う問いをわれも問い、聞く前からできている記事のパターンに合う、手垢のついた言葉のみをひろって、他は聞かなかったことにするような言葉のやりとりの、はてさて、どこにやりがいがあるのでしょうか。(中略)われわれはほんとうのところは、言葉に真な切実な関心をもっていないのではないでしょうか。それは...人間そのものへの関心の薄らぎを示すものかもしれません。” 人は言葉を食って生きている生き物です。 誰かの言葉を食べ、それを血肉にして生きている以上、誰かの言葉を反復してしまうのは、仕方がないこと、避けられないことなのかもしれません。 ですが、文中で辺見が言及しているように、「言葉は人のモノ化への抵抗」のしるしです。言葉に向き合ってこそ、私たちは個でありうる。なのに、最近の自分と言ったら、、、と恥じるばかりです。 常套句や決まり切った言葉を反復する日々、目の前のものに当てはめる言葉を持っていながら、それを表現する努力を怠っている。反復や複製、紋切型が口から漏れ出ない日はありませんでした。 主語が不在の言葉の集団化に抗い、個であるためにも、言葉や表現を求めたい。 私が生きるこの世界を、言葉という網でしっかりと捉え、その輪郭を確かめたい。 他の作品よりもずっと荒削りなこの本が、2013年22歳を生きる私に気付かせてくれたことはあまりに多い。
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震災後の言葉の貧弱を、ここまで真正面から痛烈に批判した本もそうそう無いと思う。 ただ、「じゃあどうしろと?」感は否めない。
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上半期に読んで、とても衝撃を受けた本です。 なぜ著者は暴力的ともとれる言葉を投げかけるのか? 物を知らない奴と話したくもないと言われショックでした。 そのことで、自分は何を知らないのかを知りたいと思いました。まずは彼がなぜ凶器のような鋭い言葉を投げてくるのか、知りたいと思いました...
上半期に読んで、とても衝撃を受けた本です。 なぜ著者は暴力的ともとれる言葉を投げかけるのか? 物を知らない奴と話したくもないと言われショックでした。 そのことで、自分は何を知らないのかを知りたいと思いました。まずは彼がなぜ凶器のような鋭い言葉を投げてくるのか、知りたいと思いました。 この本で上げられた本のうち、興味が湧いたものを読んでみようと思い購入して読んでいますが、知らないことを知るのはおもしろいですね。
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とりとめもない言葉や思考停止を徹底してこの作家は排除する。そういう惰性や妥協を表すような言葉の働きを作家は認めない。自分には言葉をその臨界点までつきつめる力がないという自覚がある。過酷な現実を燃え尽きるほどに対峙する対象にする。それがこの作家の定めなんだろうなと思う。
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3.11震災後にマスコミで語られる言葉に違和感があるまま過ごしてきたのが、すっきりしました。2月に石巻の光景を見て原民喜の「夏の花」を思い出したのは私だけじゃないのですね。関東大震災の焼け跡を折口信夫が詩に描いている、というのは発見でした。言葉に直観的な強さを感じるかどうか、響き...
3.11震災後にマスコミで語られる言葉に違和感があるまま過ごしてきたのが、すっきりしました。2月に石巻の光景を見て原民喜の「夏の花」を思い出したのは私だけじゃないのですね。関東大震災の焼け跡を折口信夫が詩に描いている、というのは発見でした。言葉に直観的な強さを感じるかどうか、響きにごまかしがあるかどうか、この時代状況では、もっとこだわる必要がありそうです。
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震災後鬱な状態で書いた本 あの震災を受けて敏感な人間がどういう状態になるかわかる だからこそ言ってることは鬱で主観的だ
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