遅い男 の商品レビュー
小説家の女性が出てこないバージョンも書いてほしい。そっちも読みたい。 タイトルはどういう意味なのか謎だった
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遅い男 60代、偏屈、一人暮らしのフランス系オーストラリア人のポール。 ある日、自転車に乗っているときに車にはねられて、片足を失うことになります。 そんな中で介護師のスロバキア系の移民のマリアナに恋をして。。。 老いらくの恋やら、身障者になった老人の苦悩やらの話だと想って予習?のために読んでみようと思い手に取ったのですが、途中から物語に作家自身が闖入してきて、あちらこちらで物語をかき回していく展開に。 純粋無垢、前途揚々と思っていたマリアナの息子は普通の若者だし、恋の相手のマリアナは生活に疲れた普通の中年女性だし、その他の家族もポールに様々な面倒毎を持ち込んできて、徐々にドタバタ劇になっていきます。最後は、少ししんみりしますが・・・ 異国で地に足を付けずに暮らす自分は何者なのか?というアイデンティティの喪失などの苦悩が無い、竹蔵にはちょっと感情移入が難しく読みづらい物語でした。 竹蔵
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事故で片足を失った老人がうじうじ悶々とこれからの人生を憂う物語。 介護師として派遣されたマリアナに恋心を抱き、老人かつ要介護者の恋物語(しかも不倫)というえぐい展開に。 さらには作者を体現するかのような存在、コステロなる作家が現れメタフィクションの様相も呈してくる。 全体として、似たような思考ゲームが繰り返される思索的な作品。 ラストの展開には、必ずしも輝かしい面だけではない人と人の心のつながりとは何なのかを考えさせられた。
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クッツェーは「恥辱」に続いて2作目。 老年に差し掛かる男性を主人公にした、似たような話。 読みやすいと思ったら鴻巣さん訳だった。
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ポールレマンもヨキッチ家もコステロ女も皆あいまいで解釈が許される状態。だからオチも揺れてる。まぁ、ハッピーエンドではない事は確かだけど。。。 物語の外側にいるような奇妙な登場人物コステロが、最後は一番切ないという衝撃的なラストに驚く。
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コステロ女史が面白い 自身の足首の捻挫の痛みと、衰え行く走力、肥大していく脂肪にめをそむけながら。 やはりノーベル賞作家だけあって、奥が深い(と何となく思われるw)。
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ノーベル賞受賞第一作。初期の作品に比べると、時代背景や作風がずいぶん変わっている(翻訳だけれど)ように感じるが、テンポの良さ、読みやすさは変わらない。本書では不条理感が強調されているが、その原因が何なのかなかなか明らかにされないそして表題の持つ意味も。最後なで読むと、なるほど、思...
ノーベル賞受賞第一作。初期の作品に比べると、時代背景や作風がずいぶん変わっている(翻訳だけれど)ように感じるが、テンポの良さ、読みやすさは変わらない。本書では不条理感が強調されているが、その原因が何なのかなかなか明らかにされないそして表題の持つ意味も。最後なで読むと、なるほど、思わせる。大変わかりやすいうえに、深いと思う。
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クッツェーを以前読んだ時の記憶がふつふつと蘇る。それを一言でいうなら、嫌悪感、だ。すぐにでも頁を閉じてしまいたくなる程の。 小説の構造的な面白味や、全編を貫く疎外感、あるいはエトランゼ的感慨の普遍性などに、知らず知らず考えを巡らせている自分も居て、それはある意味で面白いというこ...
クッツェーを以前読んだ時の記憶がふつふつと蘇る。それを一言でいうなら、嫌悪感、だ。すぐにでも頁を閉じてしまいたくなる程の。 小説の構造的な面白味や、全編を貫く疎外感、あるいはエトランゼ的感慨の普遍性などに、知らず知らず考えを巡らせている自分も居て、それはある意味で面白いということなのだとも思う。それでも嫌悪感に近い感情を常に抑え込みながら読み進めざるを得ないのも、また事実。しかもそれは単純に、クッツェーが好きではない、などと言って折り合いを着けられるものではないことも薄々感じていて、余計に厄介。 ならば、と向き合ってみる。その嫌悪感の正体が何であるかを見極めてみようとする。そうして思い浮かぶのは、蛇を見ることに対する拒否反応のようなものに、これが似ているということ。そのことを意識に登らせてしまうと、その先の展開には馴染みがあることも同時に思い出す。この考察の先にある一番見たくないものに踏み込んで行くことも、瞬時に理解する。 蛇が何故怖いか、と言えば、それは蛇が危険だという認識があるからではなく、そもそもそういう刷り込み以前に本能的に拒絶する機構が脳にはあるらしい。その、ある意味ナイーヴな、脳の働きは、進化の過程で構築され選択されて来た有意義なものであるのだろうけれど、同じ脳の働きが差別を生む要因にもなっている。例えば、ハンセン病に罹った人に対する差別。自分と同じであると視覚的に看做せない者への偏見なども同じ脳の動きが絡んでいるのだという。 そういう理屈をなぞってみて、自分の中にもあるその脳の機能を上手く制御できるのならば問題はない。しかし、その反応は無意識に起こるものなので如何ともし難い。せいぜい反応が起こらないように意識すること位しか対応のしようがない。ところが反応が起こらないようにするということは、それを直視しないということであり、社会的なコンテクストでみれば、それは正しくないと分かっていながら是認するのと同じ行為。悪しき全体主義に繋がる道筋へ踏み出すことである。 もちろん諸々の表象をそこに貼り付けて言いつくろうことも可能だけれど、そもそも、そういう反応はリトマス紙のように人を善人とそれ以外に仕分けるものであるように自分には思える。その試験紙によって自分は明確に善ではない方に分類される。それを善のように表向き見せようとする努力は、偽善的な行為とやはり看做されるのであろう。 自分には見たくないものがある、ということを自分自身からも隠しておきたい。そんなことを突き詰められるのが、クッツェーを読むことであるように思う。ふつふつと湧き上がる嫌悪感は、実のところ誰に向けられたものでもなく、自分自身に向けられたものなのだ。それ故にクッツェーを読むことはある種、宗教的なくびきを噛まされることに似た行為に思えてならないのだ。
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いきなり知らない女小説家が現れてその日から同居をはじめるとか、初対面の盲目の女性と関係をもつとか、ありえない筋書きだが、介護士に勝手に恋をしてそれが失敗する主人公の気持ちがおかしみを持って語られている
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クッツェーによる2005年の作品。翻訳が出たのは昨年だが、長い間積読していてようやく読み終わった。 主人公は突然の交通事故で片足を失った老齢の独身男性で、「突然の暴力」、「惨めな境遇の主人公」、「作家自身の小説内への登場(作家の分身である女性作家、エリザベス・コステロ)」など、...
クッツェーによる2005年の作品。翻訳が出たのは昨年だが、長い間積読していてようやく読み終わった。 主人公は突然の交通事故で片足を失った老齢の独身男性で、「突然の暴力」、「惨めな境遇の主人公」、「作家自身の小説内への登場(作家の分身である女性作家、エリザベス・コステロ)」など、彼の作品にこれまでも見られる幾つかのモチーフが繰り返される。彼の文体は非常にドライで、救いようのなさが際立つが、エンディングが多少救われる感じだったのは意外。
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