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遅い男 の商品レビュー

3.5

17件のお客様レビュー

  1. 5つ

    2

  2. 4つ

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  3. 3つ

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2024/08/28

鴻巣さんの訳は読んでいて楽しい妄想を広げてくれるので好み。。 とまぁ、機嫌よく読み始めたクッツェー 「恥辱」「マイケル・K」「エリザベス・コステロ」「意思の女」だけは既読。 裏表紙に乗る彼の画像を見るとなかなかのいい男・・と言うのもこの作品の主人公 P・レマンが何やらクッツェー...

鴻巣さんの訳は読んでいて楽しい妄想を広げてくれるので好み。。 とまぁ、機嫌よく読み始めたクッツェー 「恥辱」「マイケル・K」「エリザベス・コステロ」「意思の女」だけは既読。 裏表紙に乗る彼の画像を見るとなかなかのいい男・・と言うのもこの作品の主人公 P・レマンが何やらクッツェーとダブってきて妄想の境地と化す所以(笑) アングロ系オーストリア人と自称する彼は60歳代の肖像写真家。 衝撃に事故による大腿部切断で要介護の実と化し、経済t系には悠悠自適ながら、不自由をかこつことに。 舞台となるアアデレードは馴染みがないが多々の人種が混在しているエリアの様子。 介護士として関わるマリアナはクロアチア人、【闖入?】してくる悪友エリザベス・コステロはバルカン女。 いわば不慮の事故で車にぶつかり、ヨキッチ一家と人間衝突した人生ドラマの風情が綴られて行く。 面白くもあり情けない。 2人の会話は「もう、時間がない」と言いつつ…同パターンの繰り返し。コステロがポールの気に障り、だんまり木目込みがコステロが出ていくでチャンチャン。 とはいえ、他作品の主人公である彼女はポールの「内省世界」を具現化する存在であるかのようで、実際はこの作品の人物。 性への憧憬が消えないポールにマリアンナを紹介・・だが【「彼女が盲目であるため障障セックス」に類していく】のを嫌いポールは関係を断つ。 260頁辺からの二人の会話は哲学がかっており、なかなか含蓄ある。 言語の弱みを突くコステロ女がポールに対し、ネイティブ英語でないと批判・・ただ「言葉の箱」から次々と選んだ語をきちんと整理し用いるにすぎないと→「心で語れ・・」と。 ポールが中盤、グダグダ言う【家庭を築かなかっ時間、自分にて愛らしい賢い子を持てなかった悔いが再燃する。 一方、ヨキッチ一家の美青年ドラゴの登場の持つ意味。爺さんに取り、アポロンの様な美青年が憧憬になるのだろうか・・まさか同性愛はないでしょうが。 一時、同居もした場面が笑わせ・・若者言葉と状況が始めていた。 「教父」と認識したくてか、介護士としてのマリアナによからぬ思いを抱き続けたお詫びとして?学業資金の供与まで言い出す「富めるものから貧しき者への所得の再分配?」 当作品の現代は"Slow Man" 何の事だろうと思っていた疑問は巻末で判明。 手先が器用なドラゴが、世話になったお礼に申し出た「事故の時乗っていたポールの自転車の修理申し出で」で出来上がった手漕ぎ三輪車・・名付けて"Pr The Rocket Man でもねぇ、ポール爺さんは動きが遅いんだよね‥でなわけ。 ラストの哲学はクッツェーの本領を垣間見た! 若干ポールより年上のコステロ女が「子供たちの面倒にはなりたくないね。 「ポール❣、一緒にメルボルンで暮らそうよ」と誘うが・・彼は断る。膿にはたくさん魚がいるから、独りぼっちじゃないとと

Posted byブクログ

2020/05/06
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

事故で片足を失った老人がうじうじ悶々とこれからの人生を憂う物語。 介護師として派遣されたマリアナに恋心を抱き、老人かつ要介護者の恋物語(しかも不倫)というえぐい展開に。 さらには作者を体現するかのような存在、コステロなる作家が現れメタフィクションの様相も呈してくる。 全体として、似たような思考ゲームが繰り返される思索的な作品。 ラストの展開には、必ずしも輝かしい面だけではない人と人の心のつながりとは何なのかを考えさせられた。

Posted byブクログ

2019/03/05

クッツェーは「恥辱」に続いて2作目。 老年に差し掛かる男性を主人公にした、似たような話。 読みやすいと思ったら鴻巣さん訳だった。

Posted byブクログ

2017/12/03
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

ポールレマンもヨキッチ家もコステロ女も皆あいまいで解釈が許される状態。だからオチも揺れてる。まぁ、ハッピーエンドではない事は確かだけど。。。 物語の外側にいるような奇妙な登場人物コステロが、最後は一番切ないという衝撃的なラストに驚く。

Posted byブクログ

2017/06/19

コステロ女史が面白い 自身の足首の捻挫の痛みと、衰え行く走力、肥大していく脂肪にめをそむけながら。 やはりノーベル賞作家だけあって、奥が深い(と何となく思われるw)。

Posted byブクログ

2016/01/11

ノーベル賞受賞第一作。初期の作品に比べると、時代背景や作風がずいぶん変わっている(翻訳だけれど)ように感じるが、テンポの良さ、読みやすさは変わらない。本書では不条理感が強調されているが、その原因が何なのかなかなか明らかにされないそして表題の持つ意味も。最後なで読むと、なるほど、思...

ノーベル賞受賞第一作。初期の作品に比べると、時代背景や作風がずいぶん変わっている(翻訳だけれど)ように感じるが、テンポの良さ、読みやすさは変わらない。本書では不条理感が強調されているが、その原因が何なのかなかなか明らかにされないそして表題の持つ意味も。最後なで読むと、なるほど、思わせる。大変わかりやすいうえに、深いと思う。

Posted byブクログ

2013/12/05

クッツェーを以前読んだ時の記憶がふつふつと蘇る。それを一言でいうなら、嫌悪感、だ。すぐにでも頁を閉じてしまいたくなる程の。 小説の構造的な面白味や、全編を貫く疎外感、あるいはエトランゼ的感慨の普遍性などに、知らず知らず考えを巡らせている自分も居て、それはある意味で面白いというこ...

クッツェーを以前読んだ時の記憶がふつふつと蘇る。それを一言でいうなら、嫌悪感、だ。すぐにでも頁を閉じてしまいたくなる程の。 小説の構造的な面白味や、全編を貫く疎外感、あるいはエトランゼ的感慨の普遍性などに、知らず知らず考えを巡らせている自分も居て、それはある意味で面白いということなのだとも思う。それでも嫌悪感に近い感情を常に抑え込みながら読み進めざるを得ないのも、また事実。しかもそれは単純に、クッツェーが好きではない、などと言って折り合いを着けられるものではないことも薄々感じていて、余計に厄介。 ならば、と向き合ってみる。その嫌悪感の正体が何であるかを見極めてみようとする。そうして思い浮かぶのは、蛇を見ることに対する拒否反応のようなものに、これが似ているということ。そのことを意識に登らせてしまうと、その先の展開には馴染みがあることも同時に思い出す。この考察の先にある一番見たくないものに踏み込んで行くことも、瞬時に理解する。 蛇が何故怖いか、と言えば、それは蛇が危険だという認識があるからではなく、そもそもそういう刷り込み以前に本能的に拒絶する機構が脳にはあるらしい。その、ある意味ナイーヴな、脳の働きは、進化の過程で構築され選択されて来た有意義なものであるのだろうけれど、同じ脳の働きが差別を生む要因にもなっている。例えば、ハンセン病に罹った人に対する差別。自分と同じであると視覚的に看做せない者への偏見なども同じ脳の動きが絡んでいるのだという。 そういう理屈をなぞってみて、自分の中にもあるその脳の機能を上手く制御できるのならば問題はない。しかし、その反応は無意識に起こるものなので如何ともし難い。せいぜい反応が起こらないように意識すること位しか対応のしようがない。ところが反応が起こらないようにするということは、それを直視しないということであり、社会的なコンテクストでみれば、それは正しくないと分かっていながら是認するのと同じ行為。悪しき全体主義に繋がる道筋へ踏み出すことである。 もちろん諸々の表象をそこに貼り付けて言いつくろうことも可能だけれど、そもそも、そういう反応はリトマス紙のように人を善人とそれ以外に仕分けるものであるように自分には思える。その試験紙によって自分は明確に善ではない方に分類される。それを善のように表向き見せようとする努力は、偽善的な行為とやはり看做されるのであろう。 自分には見たくないものがある、ということを自分自身からも隠しておきたい。そんなことを突き詰められるのが、クッツェーを読むことであるように思う。ふつふつと湧き上がる嫌悪感は、実のところ誰に向けられたものでもなく、自分自身に向けられたものなのだ。それ故にクッツェーを読むことはある種、宗教的なくびきを噛まされることに似た行為に思えてならないのだ。

Posted byブクログ

2013/05/18

いきなり知らない女小説家が現れてその日から同居をはじめるとか、初対面の盲目の女性と関係をもつとか、ありえない筋書きだが、介護士に勝手に恋をしてそれが失敗する主人公の気持ちがおかしみを持って語られている

Posted byブクログ

2012/09/17

クッツェーによる2005年の作品。翻訳が出たのは昨年だが、長い間積読していてようやく読み終わった。 主人公は突然の交通事故で片足を失った老齢の独身男性で、「突然の暴力」、「惨めな境遇の主人公」、「作家自身の小説内への登場(作家の分身である女性作家、エリザベス・コステロ)」など、...

クッツェーによる2005年の作品。翻訳が出たのは昨年だが、長い間積読していてようやく読み終わった。 主人公は突然の交通事故で片足を失った老齢の独身男性で、「突然の暴力」、「惨めな境遇の主人公」、「作家自身の小説内への登場(作家の分身である女性作家、エリザベス・コステロ)」など、彼の作品にこれまでも見られる幾つかのモチーフが繰り返される。彼の文体は非常にドライで、救いようのなさが際立つが、エンディングが多少救われる感じだったのは意外。

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2012/09/08

初クッツェー。 果たして冗談なのか本気なのか、悲劇なのか喜劇なのか?? 滑稽で面白く、またひどく退屈、という恐るべき二面性。 読んでいても、序盤は猛烈に面白く、中盤コステロが出てきたあたりで混乱し退屈になり面倒くさくなり、最後は思いもかけない幕切れで、一体何だったんだろう?とい...

初クッツェー。 果たして冗談なのか本気なのか、悲劇なのか喜劇なのか?? 滑稽で面白く、またひどく退屈、という恐るべき二面性。 読んでいても、序盤は猛烈に面白く、中盤コステロが出てきたあたりで混乱し退屈になり面倒くさくなり、最後は思いもかけない幕切れで、一体何だったんだろう?という不思議な気分にさせられて終わった。 つまるところ、「移民」文学といっていいのだろう。終始一貫していたのは、その「移民」の纏わりついて離れない疎外感やもどかしさと、「老いる」ことの哀しさか。 彼の他の作品はどんな感じなのかよくわからないし、なんとも評価が難しいが、翻訳がうまいのには舌を巻いた。 鴻巣友希子さんの翻訳作品、他に読んだことなかったかしら??

Posted byブクログ