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自分をみつめる禅問答 の商品レビュー

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2024/08/27

宗教は必要か: 宗教の権威化 宗教を必要としている人がいる 価値観法界が招く自己存在への不安 回帰してくる根源的な問いー自己とは・生きる意味とは 自己への問い―私の根拠: 本当の自己は不可知 神的理念・アートマン 神も理念も設定しない仏教 わからなさという苦の直視 根源的な問い<...

宗教は必要か: 宗教の権威化 宗教を必要としている人がいる 価値観法界が招く自己存在への不安 回帰してくる根源的な問いー自己とは・生きる意味とは 自己への問い―私の根拠: 本当の自己は不可知 神的理念・アートマン 神も理念も設定しない仏教 わからなさという苦の直視 根源的な問い<どう生きるか 理性を根拠とする自由の欲望化 我所有する故に我あり 「苦」が生み出される仕組み― 「縁起」している「私」 自己を再建する 自己再建を支えてくれる「因果の教え」 仏教は自己を問う者に示す道を持つ

Posted byブクログ

2023/03/26

「宗教とはなにか」あるいは「仏教とはなにか」という問いをめぐって、著者自身の考えが語られている本です。 本書は対話形式になっていますが、もっぱら著者自身をモデルとしていると思われる僧侶が、相手の問いかけにこたえるかたちで議論が進められていきます。ただし「はじめに」で著者は、「質...

「宗教とはなにか」あるいは「仏教とはなにか」という問いをめぐって、著者自身の考えが語られている本です。 本書は対話形式になっていますが、もっぱら著者自身をモデルとしていると思われる僧侶が、相手の問いかけにこたえるかたちで議論が進められていきます。ただし「はじめに」で著者は、「質問者は、実は質問の形で回答を言い、回答者は実は回答によって質問している」と述べており、二人の対話を通して問いかけがしだいに掘り下げられていくようになっています。 「自己とは何か」という問いこそが宗教の「根源的な問い」であり、仏教はこの問いに対してどのようなスタンスをとるのかということが、中心的なテーマといってよいのではないかと思います。本書では、こうした「根源的な問い」になんらかの正しいこたえを示すのではなく、そうした問いをかかえつつ生きるわれわれが「どう生きるか」ということに焦点をあて、修行によって実践的な解決法を示したところに、仏教の意義があると論じられています。 著者自身の宗教哲学的な思索が提示されている本という印象ですが、仏教の思想的意義について真摯な考察がなされており、興味深く読みました。

Posted byブクログ

2017/12/11

恐山の副山主・南直哉師による対話形式の仏教入門書と言えば聞こえがいいですが、プッダや道元禅師を超えて、縁起を基軸に非己があるからこそ自己があるとする仏教理解に沿って世間を再構築する試みには難解さがつきまといます。 ここまでの理解にたどりつけるか、私自身に問われている気がします。

Posted byブクログ

2013/02/01
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

己とは何であるかという問いかけが「仏教」なんだそうだ。 哲学的な内容で難しく、読んでいる瞬間は分かったような気になるのだが、読み過ぎていくに従い、さらさらと行間から流れて落ちていくように忘れていってしまう。 その中で、「自殺」について触れられているところがあったので、少し端折りながら書き写しておきたいと思う。 --------------------- ブッダは「人生はまるごと苦しみだ」と言い切ったが、命は大切だとは言っていない。ならば、早く死んだほうがよい、自殺したって構わないと言ってもおかしくない。 しかし、彼はそう言わずに、困難な伝道の旅を野垂れ死ぬまで続けた。ブッダは苦しくとも生きるべきだと決断した。自殺を禁じる理屈はない。本当に死にたい人間は、どう理屈を説かれようとそれで説得されることはない。しかし、ブッダは苦しくとも生きていけと言う。理屈抜きでそう決めたそのとき、命は初めて大切なものになる。 「自分が愛しい」という感覚を持った人間は、たとえ困難な中にあっても、そう簡単に自殺するはずがない。「命の大切さ」の認識の根底には「自分の愛しさ」があるはずなのだ。 自分を愛しく感じることができるのは、自分の存在を大切にされ、肯定された確かな記憶があるかどうかによるだろう。自分の存在に根拠が欠けているにもかかわらず、自分を肯定し、愛しく思う気持ちがあるとすれば、それは他者からくる。 後に「親」となる存在との理由なく出会い、誰であるか、あらかじめ知ることのできない「非己=己でなはない存在」によって、無条件に受容され、慈しまれること。この事実のみ、自分の存在を肯定する感覚は由来するだろう。 ----------------------

Posted byブクログ

2012/11/12

死に方を考えることからでしか生き方を考えられないという文に強い共感を覚えた。 仏教を論理的に組み立てその価値について、またその必要性について論じていく。 「問い」のままにしなければならないという苦を受け入れながら生きていくことができるだろうか。

Posted byブクログ