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なぜ人は走るのか の商品レビュー

3.5

15件のお客様レビュー

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2012/05/05

太古におけるランニングは有事の伝令のためだった。その後、賭け事としても行われた。レースになってからも最初の頃は随分いい加減でいまと比べればひどい記録だった。そんなところからランニングブームが到来した。アマチュアレベルでは、健康や身体強化などがモチベーションで始まるが、いつの間にか...

太古におけるランニングは有事の伝令のためだった。その後、賭け事としても行われた。レースになってからも最初の頃は随分いい加減でいまと比べればひどい記録だった。そんなところからランニングブームが到来した。アマチュアレベルでは、健康や身体強化などがモチベーションで始まるが、いつの間にか走らずにはいられなくなってしまう。記録もそうだが、走った後の爽快感がランニング依存症を引き起こす。走りたいから走る。ただそれだけ。

Posted byブクログ

2012/04/22
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

古今東西のランニング(長距離中心)にまつわる歴史と逸話を収載。ランニングの歴史に興味がある人には○だが。。。 歴史的には狩人、そして文明世界では伝令が世界各地ではランナーであり、それを抱える貴族などがパトロンとなって家来の伝令同士の競争を行った。17-8世紀にはそれが見せ物に発展し、ようやくオリンピック以降に近代競技への道が開けた。現在一般大衆までがたしなむようになったジョギングの歴史はせいぜい50年程度ほんの短い期間でしかまだない。 そんな中でも高野山の修験者の話は凄まじい。何年にもわたる深夜の山岳マラソン+断食、死んだ者もいる。

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2012/03/18

ランニングの歴史書。太古の走りから、伝令としてヨーロッパにネットワークを作っていた頃、賭けの対象としてのレース、古代オリンピック、禅僧、近代オリンピック、まらそん、女子マラソン、ジョギング、瀬古、ケニアの選手、あらゆるランニングを取り上げ、歴史的な観点から、今のランニングはどのよ...

ランニングの歴史書。太古の走りから、伝令としてヨーロッパにネットワークを作っていた頃、賭けの対象としてのレース、古代オリンピック、禅僧、近代オリンピック、まらそん、女子マラソン、ジョギング、瀬古、ケニアの選手、あらゆるランニングを取り上げ、歴史的な観点から、今のランニングはどのようにして成り立っているのかを説く。日本の駅伝や瀬古選手、飛脚などにも言及されている。400ページ近くあるが、一気に読める。ランナーにはお勧め。

Posted byブクログ

2012/02/07
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

【2012 FEB05 日経新聞書評より】 「(前略)民俗学と文化史を専門とするノルウェー人の著者は人間の「走る」という行為に着目し、面白い人類の歴史をまとめ上げた。(中略)  《走り始めたときに人類になった》私たちは《人類であり続けるために(略)走らなくてはならないのだ。肉体的、精神的な機能を停止した、機械での移動を強いられる怠惰な生き物になってしまわないように》。  この単純素朴な結論に、心の底から首肯できることこそランニングの魅力なのかもしれない。  本書は、壮大な「走る人類史」を描きながら、走ることの魅力を(問題点も含めて)余すところなく正しく伝えている(と思える)。」(スポーツライター 玉木 正之)

Posted byブクログ

2012/01/13

年末恒例の"来年こそはシリーズ"の中で買ったものなのだが、年が変わると気も変わるもので、すっかり放り出しそうになっていた一冊。まあ人間には、向き不向きというものがありますからね。 しかし本書を少し読み始めると、自分の走る走らないはさておき、十分に楽しめる一冊...

年末恒例の"来年こそはシリーズ"の中で買ったものなのだが、年が変わると気も変わるもので、すっかり放り出しそうになっていた一冊。まあ人間には、向き不向きというものがありますからね。 しかし本書を少し読み始めると、自分の走る走らないはさておき、十分に楽しめる一冊であるということが分かった。古今東西の「走り」の歴史が一望できる、壮大な文化人類史となっている。 なぜ人は走るのか?その目的としては、古代のインカ帝国、中央ヨーロッパ、中国やインドなどに見られる伝令システムとしての役割や、古代ギリシャ、ローマなどに見られる競技としての役割などが挙げられている。 しかし最も興味深いのは、古代の時点で既に、現代と同じように自分自身の鍛錬を目的として走る人達が存在していたということである。ローマ帝国ストア派哲学者セネカはランニングを哲学の発想の源に置いていたというし、日本の霊峰、比叡山にも俗に“マラソン僧侶“として知られる修行僧の一団などが存在している。 その他、初期の箱根駅伝に関する牧歌的なエピソードなども面白い。まあ、読んでる暇あったら走れよって話なんですけどね。ほんとに。

Posted byブクログ