逆説の日本史 ビジュアル版(4) の商品レビュー
逆説の日本史シリーズを書いている井沢氏が、織田信長に関する歴史をまとめた本です。 信長ゆかりの城や戦場などを実際に井沢氏が訪れて、現在の姿とともに歴史についても解説がされていて、現地へ行った時の旅行ガイドブックにもなるような構成になっています。カラーも多く使われて綺麗な仕上がり...
逆説の日本史シリーズを書いている井沢氏が、織田信長に関する歴史をまとめた本です。 信長ゆかりの城や戦場などを実際に井沢氏が訪れて、現在の姿とともに歴史についても解説がされていて、現地へ行った時の旅行ガイドブックにもなるような構成になっています。カラーも多く使われて綺麗な仕上がりになっていて楽しめました。 以下は気になったポイントです。 ・応仁の乱後、尾張には守護・守護代が存国する状態になった、守護代は尾張上四郡を治める織田伊勢守家と、下四郡を治める織田大和守家があり、その下に清州三奉行(いずれも織田)の1つが信長の実家である、織田弾正忠家であった(p14) ・室町時代には関東にも幕府(鎌倉府)があり、京都の室町幕府と同じく将軍(鎌倉公方)がいて、補佐役の管領(関東管領)もいた、問題はその将軍が中央から任命された正式な役職ではなく、管領が正式な役職であったこと(p24) ・桶狭間の戦いの目的は、かつて言われていた「上洛作戦」ではなく、織田との領土の境目にある自勢力下の城(鳴海・大高)を確保すること(p31) ・管領は将軍につぐ室町幕府の最高職で、細川・斯波・畠山の名門三氏が独占した役職(p36) ・浅井に裏切られた信長は逃げるが、途中に浅井方の朽木氏を見方につけて、退路路の要であった朽木谷を越えることに成功した(p39) ・桶狭間の戦いで義元を討ち取った服部小平太は、秀吉に仕えて松坂城主(3.5万石)になったが秀次配下だったので切腹、毛利新介は、黒母衣衆になったが本能寺の変で二条城で討死(p53) ・天正10年正月に、信長は京歴を廃止して三島歴導入を朝廷に申し入れた、信長はキリシタン宣教師を通じてグレゴリオ暦を知っていて、これに近い三島歴を選んだ(p131) 2012年3月25日作成
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