火の鳥(文庫版)(4) の商品レビュー
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『火の鳥 鳳凰篇』 我王と茜丸、何もかも対照的な二人の主人公。 「鳳凰篇」が極めて人気が高いのも、この徹底的なコントラストをなす二人が、後に宿命的なライバルとして相まみえる所にあると思います。 我王は、容貌も心根も醜く、世の中を恨み、強盗・殺戮を繰り返しました。 ですが、速魚や良弁僧正との出逢いを通して、人間の心と生きる意味を取り戻してゆきます。 才能を開化させ、聖者の風貌を具えますが、悪に対する怒りは失いませんでした。 一方の茜丸は、容姿端麗・清廉潔白な青年です。 純粋な心と、ひたむきに没頭する資質とで、絶望さえも克服してゆきます。 愛する女性とも出逢い、理想的な人物となるはずでした。 そんな彼も哀れ、権力の渦中で自己を見失ってゆくのです。 このように『火の鳥 鳳凰篇』では人間の善と悪も、二つの典型を通して描かれています。 この二人が仏師として彫刻に生涯を捧げるという、一つの接点を持つに至ります。 そして、東大寺大仏殿の鬼瓦造りで、互いの技量を競うことになるのです。 物語中、茜丸と我王それぞれに「火の鳥」は現れ、彼らの心に働きかけます。 人間の業、輪廻転生、永遠の生命······。 あまりにも壮大なテーマが、対照的な二つの生涯、二つの結末を通して展開されてゆくのです。
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鳳凰編 我王 茜丸 大仏建立 橘諸兄 吉備真備 政治と宗教 我王の世に対する怒 茜丸の名誉欲 輪廻転生 飢饉の厳しさ
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罪を犯したことよりもそれをいかに悔い改めることができるか、そこから何を学ぶかが大切だと考えれば瀬戸内寂聴が死刑に反対なのも理解できる。
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徐々にハマりつつある、火の鳥シリーズ。 第4弾となる鳳凰編、時代は奈良飛鳥の頃の日本、 主人公は片手の悪党「我王」と、真摯に仏師を志す「茜丸」。 奈良の大仏が建立された辺りを題材にしているのかな、 なんとなく、子どものころに読んだのを思い出しました。 当時は我王の鼻の大きさ...
徐々にハマりつつある、火の鳥シリーズ。 第4弾となる鳳凰編、時代は奈良飛鳥の頃の日本、 主人公は片手の悪党「我王」と、真摯に仏師を志す「茜丸」。 奈良の大仏が建立された辺りを題材にしているのかな、 なんとなく、子どものころに読んだのを思い出しました。 当時は我王の鼻の大きさくらいしか印象に残っていませんでしたが、、 思想背景に仏教の“輪廻転生”と“業(カルマ)”があるのでしょうか。 物語が動くのは、周囲を傷つけながら生きている片輪の「我王」と、 仏師を志し旅をしていた「茜丸」が出会うところから。 我王に利き腕を壊された「茜丸」は、夢をあきらめることなく、 その後不断の努力を重ねて大成し、大仏建立の仏師に。 理不尽に茜丸を傷つけた「我王」は、その後も同様に、 世に背を向けて生き、そして堕ち続けていきます。 ここで終われば、努力で運命に打ち勝った仏師!的な、 よくある大団円の物語だったのでしょうが、この後も続きます。 「我王」は放浪中にとある僧と出会い、徐々に変わっていきます、 一方の「茜丸」も都での権勢を重ねるにつれて、徐々に変わっています。 それぞれがどう変わっていくのか、、そして、 単純に善悪の価値観が変わるのではないところが、凄いなと。 そんな二人が再会するのは、大仏建立の鬼瓦を競う場にて。 そこには何の因果か、造形師としての才能を掘り起こした「我王」がいました。 勝負の結果と、そこから引き出された“理不尽”のいきつく先は、さて。 ん、善悪の判断がクルクルと入れ替わりながら、 その判断基準すら溶けたところに“人の営みの業”を感じます。 生きていくということは“理不尽”に立ち向かっていこと、 その理不尽さとどう立ち向かっていくのかを、二人を通して。 それぞれの生き方のいきつく先が、これまた対象的です。 そして、輪廻と再生の象徴でもある火の鳥の、 二人に対する意外なシニカルさも、印象に残っています。
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鳳凰編を収録。 政治と宗教とが結びつき、政治のための宗教が発展した時代を描く。 東大寺の大仏は、現代に生きる私たちにとっては観光名所にすぎないが、創建当時は庶民の苦しみの苦役の根源だった。大仏を作るにあたって、多くの資材が全国から調達された。 例えば東北の金も、大仏に塗るために奈...
鳳凰編を収録。 政治と宗教とが結びつき、政治のための宗教が発展した時代を描く。 東大寺の大仏は、現代に生きる私たちにとっては観光名所にすぎないが、創建当時は庶民の苦しみの苦役の根源だった。大仏を作るにあたって、多くの資材が全国から調達された。 例えば東北の金も、大仏に塗るために奈良まで運ばれたものだ。その金を命がけで採掘し、時には命を落としながらも採掘したのは誰だろう。他ならぬ庶民だったのだ。 仏教は本来、庶民を救うためにあるものであるのにも関わらず、仏教の象徴である仏像を作るために庶民が犠牲になるという構図。当時生きていた人々は、大仏を作るという国家的大事業に怒りをおぼえていたに違いない。 完成したものだけを見ている私たちは、この大仏のために犠牲になった多くの名もなき人々の存在感など想像も及ばない。そうした点に着目した作者はすごい。
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「鳳凰編」 因果応報の考え方が薄れてきて、現代のモラルの低下を招いているのではないか。何か分からぬものへの怖れがあってこそ、人は善く生きることができるのではないか。ふと改めて、そう思い起こすことができた。 試練に耐えて得た力は、誰にも奪われない。自身を磨く努力を心掛けたい。
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僕が初めて読んだ手塚治虫作品は、『火の鳥 異形編』でした。当時小学校低学年だった僕にとっては、『火の鳥』は怖い作品、そして大人の漫画として印象づけられ、その後、そのスケールの大きさに圧倒されながらも読み漁ったものです。 日本人はなぜこんなに漫画が好きなのか、外国人の目には異様...
僕が初めて読んだ手塚治虫作品は、『火の鳥 異形編』でした。当時小学校低学年だった僕にとっては、『火の鳥』は怖い作品、そして大人の漫画として印象づけられ、その後、そのスケールの大きさに圧倒されながらも読み漁ったものです。 日本人はなぜこんなに漫画が好きなのか、外国人の目には異様にうつるらしい。なぜ外国の人はこれまで漫画を読まずにいたのだろうか。答えの一つは、彼らの国に手塚治虫がいなかったからだ。 1989年2月10日、手塚治虫が亡くなった翌日の朝日新聞・天声人語のこの一節を、彼のライフワークであった『火の鳥』を読み返すたびに思い出します。
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時は奈良時代。2人の仏師「我王」と「茜丸」が鬼瓦造りの腕を競う。我王の鬼瓦には、世の中の無情、権力闘争、生きることの苦しみといった「怒」が込められ、見る者を驚嘆とさせるが……。平城京の都を舞台にした『火の鳥』「鳳凰編」を収録。
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