道徳教育はホントに道徳的か? の商品レビュー
inculcationとしての道徳教育を批判して、市場モラルと共同体道徳の間で現在の道徳理解が揺れているとし、その両者をうまく止揚する形で道徳教育に活かしていこうと提案しているようだ。
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道徳教育の「読み物資料」を読んだときにいつも感じる居心地の悪さの正体を、丁寧に解き明かしてくれる。ただ、その理路は結構ややこしい。第1章だけだと、美談にただ難癖をつけているように見えなくもない。しかし、著者の議論に根気よく付き合っていけば、著者がこの問題について粘り強く誠実に考え...
道徳教育の「読み物資料」を読んだときにいつも感じる居心地の悪さの正体を、丁寧に解き明かしてくれる。ただ、その理路は結構ややこしい。第1章だけだと、美談にただ難癖をつけているように見えなくもない。しかし、著者の議論に根気よく付き合っていけば、著者がこの問題について粘り強く誠実に考えてきたことが分かる。要点は第9章と「おわりに」できちんと整理されいる。ブックガイドでは、ブーバーとかコミュニタリアンとかが紹介されていたが、私はレヴィナスとかハーバーマスとかをイメージしながら「共同体道徳」の話を読んでいた。あと、「市場モラル」と「共同体道徳」という議論の建て方を、「法家」と「儒家」、また儒家の中なら「朱子学」と「陽明学」、あるいは日本近世の文学なら「義理」と「人情」、等々の問題の建て方と似ているなぁと思いながら読んだ。いずれにせよ、生活世界が「市場モラル」一色に染め上げられることの危険性、および、「市場モラル」を適用(利用)する場の適切な設定について自覚的に考えることが、これから道徳教育を考える上でのポイントになると思った。
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高校生のときにたまたま図書館でみつけて一気に読んだ本。大学生になっても読み返した。後半はあんまり賛同できないが、「手品師」に対する筆者の考え方には同感。自己愛の重要性を認識できた。
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仕事の資料として完読。 なんでも「そういうもんか」と受け入れてきた人生だったから、「道徳」の授業に関して懐疑的になったことなんてなかったけど、学校社会と経済社会の間で乖離していることなんてザラにあったんだなと気づく。 「道化師」という有名(らしい)な教材に如実に表れているように、多様な選択肢や解決策を無視し、物事を「利己主義」と「利他主義」に二極化したうえで、自己犠牲の精神の美しさを説く。このような利他主義的な道徳教育が、市場主義を支えている「市場モラル」につながっている。それが生きづらさの原因になっているため、市場モラルを相対化するための「共同体道徳」を必要悪として位置づけることを著者は提案している。 現在の社会のルールと呼ばれるものは、一方的に押し付けられるばかりで、そこにこどもが意見を挟む余地がない。毎日毎日えらい大人たちが、「こどものため」にグレーゾーンを白か黒に塗りつぶしている。たった20年でこんなに変化してきたのだから、自分のこどもがおとなになるころには、もっと生きづらくなっているのだろうか・・・。失敗も過ちも経験して、自分の頭で自分の生き方を決めていける人間になってほしいとは思う。
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図書館で借りて読んだが、これはぜひ購入して手元に置いておきたい一冊。日常に照らし合わせて都度開かないともったいない。
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国家や社会の在り方が大きく変わりつつある中、新たな未来を切り開く創造的な力が求められる社現代社会では、社会に参画する市民の育成がますます必要となってくる。その中で、道徳教育の在り方についても再考が必要だと著者は述べている。 本書のメッセージは、「共同体道徳という支えを欠いた市場モラルの教育は、個人および社会の双方に深刻な危機をもたらす。」「共同体道徳という土台の上に市場モラルを位置づけることによって、共同体道徳の限界が乗り越えられ、また市場モラルも元来の輝きを取り戻す。」ということである。 共同体道徳は、行為に対する価値づけが人々の間で一致することによって成立する規範である。人々の<呼びかけー応える関係>の中で成立し、社会の変化や異論を申し立てる声に応える中で問い直され、修正されたり、廃棄されたりしていく。 一方、市場モラルは、利己主義を安全かつ確実に追求できるように自己抑制や自己管理を求める。共同体道徳は生活の内部から自生し、生活することを通じて人々が身につけていくが、市場モラルは、合理的な計算に基づいて設定され、生活の外側から命じられ、賞罰をはじめとする様々な人工的な仕掛けを通じて維持される。 こうしてみると、日本の学校教育が一貫して説いてきた「反利己主義」や「利他主義」の道徳は、市場モラルとしての位置づけであるといえる。近代国家主義的な道徳教育は、市場モラルにある自己否定や自己犠牲を求める側面を巧妙に利用してきたともいえる。 しかし、原発の事故で全てが崩れた。私利私欲を目指した社会と、ルールによる自己抑制や自己管理を求める道徳。近代日本の社会的側面と精神的側面はともに、もはやどうにもならないくらい行き詰まっている。 様々な人々からの呼びかけに耳を傾け、それらに応えようとする姿勢を基本として保つこと。その上で、各人が市場モラルがもたらす結果について価値づけをし、どのような使い方が社会を豊かなものにし、どのような使い方が問題を引き起こすのか、批判的に考えていくことが必要となってくる。もう少し踏み込めば、市場モラルを適用する範囲と適用すべきでない範囲を定めた上で、両者のグレーゾーンでは、市場モラルを適用した方がよいのか否か、現場の知恵を活かしながら慎重に吟味し、柔軟に決定していくことを批判的な道徳共同体の中でおこなうの今の日本に必要なのである。
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なんか、よくわかんない! 今ある道徳ってほんとに正しいの? いつもいつも正しいものとかないよね! 日本の道徳観ってこういう歪めしてるんだよ! 教材を通してこんな風にわかるよ!ほら!で!!!! ・・・・文章がわかりにくくって、飽きてしまいました。 でも道徳も人が作ってるもので、...
なんか、よくわかんない! 今ある道徳ってほんとに正しいの? いつもいつも正しいものとかないよね! 日本の道徳観ってこういう歪めしてるんだよ! 教材を通してこんな風にわかるよ!ほら!で!!!! ・・・・文章がわかりにくくって、飽きてしまいました。 でも道徳も人が作ってるもので、 誰か得する人がいるように作ってるものなんだなって 前より考えるようになったよ。
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どうしてあんなにインチキくさい「道徳」の授業を相変らず多くの学校の教師はまじめに行っているのか?(あとがきより)という著者の疑問から出発したという、道徳教育についての本。 最初の「手品師」という有名な教材(だそうだ)の扱いがなかなか面白かった。もっと多様な選択肢や解決法があるに...
どうしてあんなにインチキくさい「道徳」の授業を相変らず多くの学校の教師はまじめに行っているのか?(あとがきより)という著者の疑問から出発したという、道徳教育についての本。 最初の「手品師」という有名な教材(だそうだ)の扱いがなかなか面白かった。もっと多様な選択肢や解決法があるにもかかわらず、それを「自己の利益」と「他者の利益」の二項対立に矮小化して自己犠牲を美徳とする、というのは、この教材に限らず学校現場(というより日本社会)でありがちなことだと思う。 筆者の主張は、このような一見「反利己主義」的な道徳教育が、明治以降の市場主義を押し進めるための装置になってそれを支えている「市場モラル」であるということ、そして、それを必要悪として相対化するための「共同体道徳」の復権を求めていることである。 道徳の系譜を、明治以降の市場原理主義の導入と共同体道徳の相克で図式化しているあたり、ちょっと単純化されすぎのようで気になった。ブックガイドにある唐澤富太郎『教科書の歴史』も読んでみたい。
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