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「思春期を考える」ことについて の商品レビュー

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5件のお客様レビュー

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2018/11/05

1970年代後半から1980年代前半を中心とした文章が収められている。 まず?部が、タイトルどおり思春期や学校精神衛生をテーマにしたもの。70年代時点で大学=失業者プール説や高等教育のインフレ状況が見通されていたのかと感心した。 ?部は少し進んでサラリーマン労働や「熟年」期、...

1970年代後半から1980年代前半を中心とした文章が収められている。 まず?部が、タイトルどおり思春期や学校精神衛生をテーマにしたもの。70年代時点で大学=失業者プール説や高等教育のインフレ状況が見通されていたのかと感心した。 ?部は少し進んでサラリーマン労働や「熟年」期、軽症うつ病などに焦点を当てる。サラリーマンであることが典型的な生き方であるということは、ある時期にドラマティックな自己決定をせずになれる職業であると言うことだと。うつ病については、周囲の人間は激励と支持の微妙な一線を見分けること。 ?部は病跡学ほか。こういう遊びのあるテーマで中井久夫の魅力が最大限に発揮されると思う。忠臣蔵に森鴎外(詩『沙羅の木』)にバートランド・ラッセルである。 ?部はサリヴァンやロールハッシャについて。

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2015/07/21

烏兎の庭 第五部 書評 2.28.15 http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto05/bunsho/sishunki.html

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2013/01/08

 思春期にまつわる様々なテーマのエッセイ、論考を集めたこの本は、同時に教育論であり労働論にもなっている。教育について、あるいは労働について、考えを深めたいと思う人は、この本を読めば必ず有意義な示唆を得られるだろう。  同時に、これらの文が70年代から80年代に書かれていることを思...

 思春期にまつわる様々なテーマのエッセイ、論考を集めたこの本は、同時に教育論であり労働論にもなっている。教育について、あるいは労働について、考えを深めたいと思う人は、この本を読めば必ず有意義な示唆を得られるだろう。  同時に、これらの文が70年代から80年代に書かれていることを思い出す時、この教訓を生かせていない今を振り返って、暗然とする部分もある。  示唆に富む箇所をメモしていくと膨大な量になり、ほとんど全文にアンダーラインを引きたくなるほどに濃密で、それでいて見通しのいい平明な文章だ。  また、何度か書いたことだが、中井久夫氏の文章には、多くの著名精神医学関係者の文章が帯びる独特の臭気が全くない。あの、狂気を仰々しく祭り上げたり、逆に貶めたり、あるいはプレパラートに置かれた細胞の切片のように切り刻んだりする感覚と無縁である。  精神医学関係者に限らず、われわれ全ての者は、狂気というものを、認められない忌まわしい都合の悪いものをまとめて突っ込んで片づけるための便利なズタ袋のように扱いがちである。そういったものに対する解毒剤として、中井氏の文章は働いてくれる。  ともあれ、ここまで完成度の高い論考を前にすると、レビューというものの無力さを感じずにはいられないのである。

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2012/05/18

中井久夫は、「妄想にはそれ相応の力量が必要」だと説いている。例えば、言語能力それも抽象的な言語能力が必要、となる。逆に言えば、その力を得るのは、「思春期」になってからとなる。だから、作文などに個性が生じるのはこのくらいで、小学生の作文はどれも彼も「模範的」なものとなってしまう。中...

中井久夫は、「妄想にはそれ相応の力量が必要」だと説いている。例えば、言語能力それも抽象的な言語能力が必要、となる。逆に言えば、その力を得るのは、「思春期」になってからとなる。だから、作文などに個性が生じるのはこのくらいで、小学生の作文はどれも彼も「模範的」なものとなってしまう。中井からすれば、思春期は「空想家」であり、学童期は「現実主義者」なのである。つまり、学童期は、「外見のよさ」や「運動神経のよさ」、「勉学の力」などによって、明確に序列がつけられる。彼らは現実主義的であるから、「実力」や「金銭」などにこれでもかというくらいシビアに対応する。子供は純粋というが、純粋だからこそ却って「社会的」であり、排斥される子供が生じることとなる。つまり、外向的な子供はここで勝利者となり、内向的な子供は無理やり外向へ転じることを強いられるか、虐げられるかの二つに一つとなる。純粋と言えども、それが外交的に働くか、内向的に働くかで全く違った様相を呈するのである。ということで、「子供を侮れない」実例がここで挙げられている、というわけだ。 しかし、本著の醍醐味はサリヴァンの、「統合失調論」であろう。サリヴァンは、人間と言うのは、全てに意識をあてることは不可能に近い、と考えている。だから、選択的に注意するものと、非注意するものとにわけている。例えば、人間は生き物を殺すことに罪悪感を覚えるが、それでも、肉を食えるのは、選択的非注意を行っているからであろう。これが、統合失調症になると、「非注意できなくなる」わけである。そうすると、自分にとって都合の悪いものが自分に襲い掛かってくるし、それに押しつぶされそうになる。それだけで済めばいいのだが、価値観自体もあちらこちらに反転することになり、世界だ定まらなくなる。当然、自分自身すらも安定しない。それはそうだ。人間とは元来は不安定なものだ。なにしろ、人間は多面的であるのあから。有る人にはいい顔をして、有る人へは攻撃的になる、など、そういうことが可能なのも、この「非注意」があるからだ。ちなみにかくして人間の精神的衛生が損なわれつつあるとき、人間はあれこれ対処する。例えば、形を変えて現象させること。強迫症、などがその言い例であるが、実はここに、「昇華」も含まれる。昇華も代償作用なのだから、これで本来的な満足がえられはしない。なので、ここから、不満足による退行が生じ、統合失調症状態へと陥ることは十二分にありうる。要するに昇華作用が崩れ落ちれば、その裏には、選択的非注意が待ち受けており、解離されたものの侵襲が待ち受けているわけである。かくして、統合失調症状態に陥るが、この状態は「有る意味落ち着いた混沌」なのである。なので、回復するにはこの状態にある必要がある。だが、時にはここから更に悪化していくことになる。対人関係を自分に都合のよいように作り変える=変造を行ってしまったような場合である。これは、「妄想型的展開」だとか更に悪化すると「破瓜型的荒廃」となって、ますます世界が蠢いていってしまう。ここから引き戻らなければならぬのである。ともかくこの状態にくれば、満足の追求ではなくて、「安全保障感の確保」に奔走している状態なのである。結局のところ、人間は「安全感」が必要であり、それが損なわれると暗闇に投げ出されるような心許なさを覚えて、死へと近づくのだがそれを防ぎうるのは温かな、対人関係であり、だからこそ、サリヴァンは「精神医学の基礎は、対人関係である」と述べているのだろう。

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2011/12/10

ちくま学芸文庫の、中井久夫さんのこのシリーズも増えてきた。この本の著者あとがきに「このコレクションを半ばを超えた」と書かれているので、まだあと数冊出るのだろう。楽しみだ。 この本もやはり、70年代から80年代初頭にかけてのエッセイが収められており、エッセイと言っても医療関係者向け...

ちくま学芸文庫の、中井久夫さんのこのシリーズも増えてきた。この本の著者あとがきに「このコレクションを半ばを超えた」と書かれているので、まだあと数冊出るのだろう。楽しみだ。 この本もやはり、70年代から80年代初頭にかけてのエッセイが収められており、エッセイと言っても医療関係者向けの硬派な読み物が多い。 書名の「思春期」に関する文章は、第1部に収められているが、全体の4分の1程度である。他に、軽症うつやアルコール中毒、精神医学とほとんど関係ない歴史上・文学上の人物に関するものや、サリヴァンに関するものなど、バラエティに富んでいる。 著者は思春期=ほぼ中学生期に先立つ学童期=小学生期について、その自己意識は「one of them」で、自分はあくまで多数の同類の中の一人にすぎない、という認識を持っていると指摘する。 そういえば、小学生時代はそうかもしれない。乳児期は自己と世界とが未分化の状態から出発するのだが、小学生になる頃には、こういう世界観にまで到達するらしい。 思春期に、いわゆる「自我」が台頭し、「自己」は他者とは質量の異なる中心的存在ということになってしまう。ここから「自我の悩み」が発生してしまうわけだ。 「one of them」、私たちはこの事実を常識として知っていながら、自我の重力とのあいだで身をよじらせ続ける。大人になっても。

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