IBM奇跡の“ワトソン"プロジェクト の商品レビュー
コンピュータは、クイズ番組で優勝できるか?そんな難題にIBMが挑戦した。その取り組みが見事に成功し、アメリカの人気番組『ジョパディ』でクイズ王を破ったと報道されたのは、2011年2月のことである。あれから約七カ月、その詳細をまとめたルポがようやく出版された。それが、本書『IBM奇...
コンピュータは、クイズ番組で優勝できるか?そんな難題にIBMが挑戦した。その取り組みが見事に成功し、アメリカの人気番組『ジョパディ』でクイズ王を破ったと報道されたのは、2011年2月のことである。あれから約七カ月、その詳細をまとめたルポがようやく出版された。それが、本書『IBM奇跡の”ワトソン”プロジェクト』だ。 人類とコンピュータの闘いは、すでに三十年近い歴史を持つ。古くはチェスの世界チャンピオン・カスパロフとIBM製スーパーコンピュータ「ディープ・ブルー」による対戦が有名だ。また日本でも、将棋の世界において「あから2010」と清水 市代 女流王将が対戦したのは記憶に新しい。ちなみに、これらの戦いは、いずれもコンピュータが勝利をおさめている。 しかし、全人類の財産でもあるチェスや将棋と違い、クイズ番組への挑戦はずいぶんと勝手が違うようだ。問題には、洒落や語呂合わせ、凝った言い回しなどが頻発するうえ、ルールも質問形式で答えを解答しなければならないなど、複雑きわまりない。おまけに番組スポンサーがSONYということにより、企業間の代理戦争の様相も呈してきてしまうのだ。 このワトソンと呼ばれる人工知能のメカニズムは、人間の手による教育の賜物である。まず、膨大な量のWikipedia記事、プロジェクトグーテンベルクにある書籍などを大量に詰め込む。そして、大変なのはここからだ。言葉の意味を一語一語から汲み取らせ、さらに名前と事実を正しい文脈に置き、どのように関係しあっているかを教え込まなくてはならない。こうして、関係の網の目を正しく辿っていくことが、答えに到達するのための準備のプロセスとなる。気の遠くなるような作業の連続だ。 しかし、本書の最も特徴的な点は、人工知能の進化という側面ではなく、人間社会への適合という側面を色濃く描いているというところにある。それはIBMのブランディングチームが、マシンに個性やメッセージ性を持たせるために、世界的な広告代理店とパートナーシップを組み、名前や顔、声を与えたという点からも伺い知ることができる。 例えば、ワトソンという名前は、IBMの創立者の名前であるとともに、シャーロック・ホームズの友人ワトソンもイメージしているという。「一所懸命ながら飲込みの悪い相棒」という不完全さを、あえて組み込んでいるのである。また、顔についても同様だ。人間に近付けようとすればいくらでも近づけるものを、気味悪がられることのないように、あえて抽象的なデザインを施したという。 ここで注目したいのは、適合という行為の多くは、退化と受け取られかねない目的を持つケースが多いということだ。このプロジェクトは、あくまでもIBMの企業ブランディングの一環である。悪名高き「2001年宇宙の旅」のHALのように、コンピュータが人間を支配するのではという恐怖感を抱かせることには、あくまでも慎重であったということだ。まさに「智に働けば角が立つ」ということなのである。 一方で、人間社会はどうだろうか?我々もまた日々、進化と適合の間を行ったり来たりなのではないだろうか。人から抜きんでるための努力をしながら、周囲から浮かぬようなケアをしたりもする。状況に応じて自分のポジショニングを定めるのは、世の常だ。 突き詰めれば、人工知能の世界を覗き込むということは、人間社会を鏡に映した世界を見るということでもあるのだ。はたして自分が現在行っている努力は、進化のためなのか、適合のためなのか、自問したくもなる一冊だ。
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