幸・不幸の分かれ道 の商品レビュー
自分にとって何が重要かは、自分で決めていいということ。 いつものエッセイではないけれど、病院や学校でのエピソードはやはり楽しい。
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国家の品格とだぶる。面白く読めた。やっぱり自己犠牲とユーモアでしょ。自分の人生に被るなあ。共感を持てた。
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土屋氏の本はタイトル買いで2冊ほど手元にある。けれど、どれも読まずに積んだままにしていたところ、本書を読む機会を与えていただいた。 まず、”土屋賢二”とはどんな人物なのかと著者紹介を読む。これがまたなんというか、他に類を見ない著者紹介であった。哲学を専門にしていらっしゃることも、...
土屋氏の本はタイトル買いで2冊ほど手元にある。けれど、どれも読まずに積んだままにしていたところ、本書を読む機会を与えていただいた。 まず、”土屋賢二”とはどんな人物なのかと著者紹介を読む。これがまたなんというか、他に類を見ない著者紹介であった。哲学を専門にしていらっしゃることも、大学教授であることも初めて知った。著者紹介もご自身で書かれたのであろう。これは本文も期待していいなと喜々としてページをめくり始めた。 まえがきに書かれている。幸福な人より不幸な人の方が不幸から逃れる方法を説くのに適している。うん、それはそうだと私も思う。幸福な人は不幸から逃れることについて考えない。不幸な人の方がずーっと考えているもの。 あれ? 私はツチヤ・マジックにはまったのか?!(笑) 哲学とはそもそも疑う学問なんだと著者は言う。なんでも疑ってみることから始めるのだと。多くの人間が当たり前のように受け容れているモノについて疑いを抱くことから始める。人間は考え違いをしやすいから、哲学は常に疑わなければならない。「何でも疑える」ということ自体を疑う学者さんもいらっしゃるとか。終わりが見えない学問だ。 サラサラと読み進められる文章であり、どれもこれもが私にとって新鮮な視線で語られていて、ついつい引き込まれてしまうのだけれど、著者が「疑う」ことを勧めていることを忘れてはならない。ここに書かれていること自体も疑って見なきゃね(苦笑)。でも、読んでいて気持ちがいいくらい素直に受け容れてしまうのだ。ところどころに挟まれてくるユーモアのセンスも心地いい。 タイトルにあるように、本書の主題は「どうすれば不幸から逃れられるか」である。その答えが本書にあるのか、と言えばあるようなないような・・・。けれど、ヒントはあちこちに潜んでいる。 ポイントは「今までの自分の”常識”を疑ってみること」と「物事を多面的に見ること」かな。 「自分は『これこれこういうわけ』で不幸なのだ」と考えるとする。さて、『これこれこういうわけ』は、本当にその人の人生全てを左右するほどの大きな出来事なのだろうか。もう幸せになることはあり得ないのだろうか。 誰にも太刀打ちできないほどの大災害に見舞われたりしたら、それは気力も体力も限界に近い状態になることは想像に難くない。そんな状態で「見方を変えれば・・・」などと馬鹿なことを言うつもりは毛頭ない。 けれど、日常に潜む出来事であれば、大抵のことはその人の受け取り方次第で「不幸」にもなるし、「なんてことないこと」にもなり得る。 下手なメンタルケアの本よりよっぽどココロのクスリになるような本だと感じた。 最後に帯にもある本書の中の文句を引用しておこう。 「われわれは不幸を避けようと努力しますが、どれほど力を尽くしても不幸は避けられません。どんな人でも老いるし、病気になるし、最後は死にます。全力を尽くしてどうやっても避けられない不幸な出来事に襲われたら、じっと耐えるしかないんでしょうか。そんなことはありません。まだ笑うことが残っています。」 ユーモアのセンスとは、深刻になったときに、「そんなに深刻じゃない」と思う能力のことだと著者は言う。不安が大きいときほど、不幸だと思う気持ちが大きいときほど、たいしたことじゃないよと思うこと。これが、不幸にならない一番の方法なのかもしれない。それはとても難しい技術だけれど、日頃から習慣づけていくと、段々上手になって、不幸になる可能性は減っていくのかもしれない。
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何らかの事実から、だからこれをしなければならないという結論にはならない。 温室育ちだと抵抗力がなくてひ弱だと良く言われる。だから人間は苦労しなくてはならない 子どものころ何不自由なく育った人間はものごとを楽観的に見る人が多い。だから温室育ちが必ずしも悪いわけではない。ということ...
何らかの事実から、だからこれをしなければならないという結論にはならない。 温室育ちだと抵抗力がなくてひ弱だと良く言われる。だから人間は苦労しなくてはならない 子どものころ何不自由なく育った人間はものごとを楽観的に見る人が多い。だから温室育ちが必ずしも悪いわけではない。ということではなく、人間と植物は違うもの。前者と後者は全くの別物。比べる対象ではない。ということ。納得。 私が人と比べてしまうのは、同じ土俵にいる人に対して。だから男の人や年上の人にはそれ程劣等感を感じない。また、スポーツ選手など全く違う土俵の相手にもあまり感じない。同年齢の、数年前までは明らかに同じ土俵だったはずの大学の友達、後輩に対して。 でもこの本では、 同じ世代だからといっても細かいところでは個人は大きく違う。他人と似ているはずだと考える理由はないという。 これは全然しっくりこない。 ちゃんと食べていけて、生活していける状態になったら、それ以上目的を設定する必要はない。 閉塞感は目的を立てなきゃいけないんだけど、目的が分からないという心理状態。目的を立てている間は幸福とは言えない。なぜなら目的を達成していないから。 だから一番価値があるのは、それ以上何の目的もないもの。例えばテレビを見るのは情報を得るなどの目的がある場合もあるが、ただ楽しみのために見てそれ以上の目的はない。生存、娯楽、快楽、美などなど。 そういうものが人生を豊かにして余裕があるってことなのかもしれない。確かに目的がないと閉塞感に苛まれる。最近の雑誌はそういう話題が多すぎる気がする。自己実現のために、こんことしてます、みたいな。実際私も何か勉強してないと落ち着かなくてだめなような気がして勉強してる。それでよし、って無理矢理落ち着かせようとしてるけどそれって何なんだろうな。 一つの側面を拡大して単純化している件。 確かに頭では分かっている。みんなそれぞれ辛いこともあるって。でもそれを鑑みて全体的に見たとしても、楽しいことと辛いことの割合的には楽しいことが多いんじゃないかって思ってしまう。 じゃあ逆に自分はどうなのかって思ったらそんなに辛いことなんてないしみんな健康で生きているんだし概ね楽しいことが多いって思う。 でも自分の楽しさより他人の楽しさの方がよく見えるから嫉妬する。 不幸なこともそれを重要視しないでユーモアにかえる訓練を。人間が自由であることは、何が重要かを自分で決めれる。また、重要だと思うこともできるし違う角度からみることもできること。 自分の不幸な場合をユーモアで人に話せるようになる。 そしたら少しは楽になるかな。 また半年後、一年後に読みたい。
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