認識の対象 の商品レビュー
新カント学派のドイツ人著者による、1892年頃の書物。西田幾多郎がお薦めした本らしいので、読んでみた。 先日読んだラッセルの『現代哲学』とテーマはかなり重なっているが、もちろん考え方がかなり違う。観念論寄りではあるが、独我論を排し、読み応えのあるしっかりした論理を展開していた。 ...
新カント学派のドイツ人著者による、1892年頃の書物。西田幾多郎がお薦めした本らしいので、読んでみた。 先日読んだラッセルの『現代哲学』とテーマはかなり重なっているが、もちろん考え方がかなり違う。観念論寄りではあるが、独我論を排し、読み応えのあるしっかりした論理を展開していた。 結局、カントが「もの自体」と呼んだ世界の諸<実体>は、ここでは「超越的実在」と称され、その扱いにさんざん苦心している様子が見て取れる。 ただしこの本の限界は、デカルト以来の「コギト=意識」中心主義を貫いているから、「意識神話」が疑問に付されているこんにちから見ればやはり古い。「意識」が幻想であって絶対的なものでないならば、近代のドイツ哲学の多くと同様、灰燼に帰してしまう恐れもある。 しかし、それはそれとして、たとえここに最終的な「真実」が無くても、一流の哲学者が真摯に練り上げた論理の痕跡をたどること自体に、知的な読書の喜びを感じるのである。 ちなみに途中から出てくるキーワード「不許不」というのがよくわからなかった。この語は現在なら別の訳語が当てられていたことだろう。
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