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“私"だけの神 の商品レビュー

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2023/12/08

宗教は、仏教にしても神道にしてもキリスト教にしても、「それは所詮宗教でありフィクションだ」と、一歩引いた視点から見られており、本気で信じる対象ではなくなっている。このような所謂古典的宗教は「枯れた宗教」となってしまっており、人々が信じているのは、例えば「リベラリズム」であったり、...

宗教は、仏教にしても神道にしてもキリスト教にしても、「それは所詮宗教でありフィクションだ」と、一歩引いた視点から見られており、本気で信じる対象ではなくなっている。このような所謂古典的宗教は「枯れた宗教」となってしまっており、人々が信じているのは、例えば「リベラリズム」であったり、「科学万能主義」、「資本主義」、「エコロジー」、「スピリチュアル」などという、狭義の宗教ではない宗教なのではないだろうか。これらは現代的「宗教」と言って差し支えないのだろうか、または「宗教」として相対化された途端、それらは信じる対象ではなくなり、逆に「宗教」と言えなくなってしまうというパラドックスを孕んでいるのではないだろうか。などという疑問を最近抱いていたのだが、本書の中で論じられる「個人化された宗教」はその疑問にも一部答えて、視座を与えてくれる。

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2021/05/02

帯にある通り、脱魔術化・合理化を図るとされる近代化の 有り様や、テロなどに代表される原理主義的な宗教の回帰 現象、そしてグローバル化し、リスク化する世界における 宗教の可能性を説く。響くところ多かったのは確かで、 非常に良い読書だったと思うのだが、なぜだか感想を 上手くまとめるの...

帯にある通り、脱魔術化・合理化を図るとされる近代化の 有り様や、テロなどに代表される原理主義的な宗教の回帰 現象、そしてグローバル化し、リスク化する世界における 宗教の可能性を説く。響くところ多かったのは確かで、 非常に良い読書だったと思うのだが、なぜだか感想を 上手くまとめるのが難しい。それほど手に負えない大きな テーマということか、あるいはこちらに消化するだけの 準備が足りなかったということか。 エティ・ヒレスムの日記は読んでみたい。

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2014/03/31

社会学的な懐疑主義につきまとう非宗教性・反宗教性を乗り越えようと試みた労作。上記テキストの「宗教的」とは神秘的と同義であり、非科学的と言い換えてもよいだろう。ウルリッヒ・ベックは宗教社会学の空白を埋めようと意気込んでいるわけだが、出発点からして方向を誤ったように見える。相対主義的...

社会学的な懐疑主義につきまとう非宗教性・反宗教性を乗り越えようと試みた労作。上記テキストの「宗教的」とは神秘的と同義であり、非科学的と言い換えてもよいだろう。ウルリッヒ・ベックは宗教社会学の空白を埋めようと意気込んでいるわけだが、出発点からして方向を誤ったように見える。相対主義的観点からは新しい統合的な発想は生まれにくい。宗教と科学を相対的に捉え、聖俗を分けて考え、学問や科学を高みに置く考え方そのものを疑うべきだろう。 http://sessendo.blogspot.jp/2014/03/blog-post_31.html

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2013/07/25

ドイツの社会学者であり、リスク論を展開するベックが、ポストモダン社会における、コスモポリタン化した宗教について述べる。 「社会哲学」の授業で、私は「宗教と公共性」を扱う際にこのテクストを取り上げた。 ナチに殺害されたユダヤ人、エティ・ヒレスムの、「<私>だけの神」から、他...

ドイツの社会学者であり、リスク論を展開するベックが、ポストモダン社会における、コスモポリタン化した宗教について述べる。 「社会哲学」の授業で、私は「宗教と公共性」を扱う際にこのテクストを取り上げた。 ナチに殺害されたユダヤ人、エティ・ヒレスムの、「<私>だけの神」から、他者へと開かれていく公共性について端を発し、寛容と暴力の間にある宗教の問題について述べる。 「信じる者」と「信じない者」、異教や不信仰者における非寛容性。 組織や制度としての「宗教」から、個人の自由の依って立つ「宗教性」へ。 異端か、「自分自身の神の発明」か、神の「個人化」か「私人化」なのか。 また、近年における、新しい新宗教運動と、伝統的宗教の相互関係について。 真理と平和、寛容と暴力のはざまにある宗教を社会学者の視点から論じる。 宗教やスピリチュアルにおける暴力は、オウム事件のみでなく、何も今始まったことでもないし、匿名のインターネット、mixi上のことのみではなく、中世時代から異端審問などあったのである。 キリスト教は、樹立当時からグローバルであったが、また、歴史の中で「非信仰者」「異端者」に対して非寛容や暴力という手段を用いてきた。 エティの「自分自身の神」の在り方が、ポストモダン社会における、コスモポリタニズムのモデルとなれるように願いたいものだ。

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2012/04/19
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

宗教間対立の解消への提言とされるウルリッヒ・ベック『〈私〉だけの神』(岩波書店)読了。世界宗教の文明化(宗教を集団より個人の営みに重点移動、宗教的真理でなく平和と寛容を重視すべき云々)を説く。圧倒的に正しい。しかしなんだこの違和感は。恐らく模範解答すぎる点にがっかり感が強いのか。

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