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少年通訳アメリカへいく 幕末の遣米使節団に通訳として参加した の商品レビュー

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2020/07/26

鎖国時代長崎の阿蘭陀通詞は「話す」だけで文書解読を(通謀の恐れから)許されていなかった。蘭医は読めても話せなかった/ペリー砲艦外交。当時、日本人口三千万、米国数千万、欧州8億/翌年ハリス総領事着任、その通訳ヒュースケンに英語を習う/横浜の発展、伝染病の猖獗/遣米使節団に十七歳で随...

鎖国時代長崎の阿蘭陀通詞は「話す」だけで文書解読を(通謀の恐れから)許されていなかった。蘭医は読めても話せなかった/ペリー砲艦外交。当時、日本人口三千万、米国数千万、欧州8億/翌年ハリス総領事着任、その通訳ヒュースケンに英語を習う/横浜の発展、伝染病の猖獗/遣米使節団に十七歳で随行、無給。立石家に養子の便法/米国の新聞で大人気。ヒアリングに困らなかったのは彼だけ。小栗忠順はクリミア戦争を研究し/国のシステムの歴史で見るとき無価値な情念かも知れないが徳川家に忠義を尽くし、宇都宮市の戦いで貫通銃創、大正六年没

Posted byブクログ