原発報道とメディア の商品レビュー
『安心・安全を共同体の範囲で追求しようとすると他者を排除したり、外部との交流を制限することに繋がる。ジャーナリズムはそんな動きに加担するのではなく、共同体を横断して必要とされる最大公約数的な安全・安心の確保を目指さなければならない。』(217p) 『原発問題が二項対立的な議論し...
『安心・安全を共同体の範囲で追求しようとすると他者を排除したり、外部との交流を制限することに繋がる。ジャーナリズムはそんな動きに加担するのではなく、共同体を横断して必要とされる最大公約数的な安全・安心の確保を目指さなければならない。』(217p) 『原発問題が二項対立的な議論しかされなかったのは、核か、核ではないか、という単純化に起因する。それは、議論の受け皿となるメディアにも課題を投げかける。複雑な構造をそのまま受け止め、反照を繰り返して行きつ戻りつしつつ、均衡に至る息の長い散文的議論を受け止めるメディアが必要だ。』(229p)
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安全・安心を考え直す(守るべきは「基本財としての安全と安心」◆ジャーナリズムの公共性を巡って◆「知らせること」は正義なのか◆「警鐘を鳴らすジャーナリズム」の神話◆グレーゾーンの報道)◆マスメディアとネットメディア(原発事故とツイッター◆新しいメディア地図を描く◆「情報操作」の現在...
安全・安心を考え直す(守るべきは「基本財としての安全と安心」◆ジャーナリズムの公共性を巡って◆「知らせること」は正義なのか◆「警鐘を鳴らすジャーナリズム」の神話◆グレーゾーンの報道)◆マスメディアとネットメディア(原発事故とツイッター◆新しいメディア地図を描く◆「情報操作」の現在景)◆グーグルから遠く離れて(マスメディアと反検索型ジャーナリズム◆それでもジャーナリストになりたいあなたへ) 著者:武田徹(1958-、東京都、評論家)
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2011年刊。 著者は恵泉女学園大学人文学部教授。 フクシマが暴き出した従前の原発賛否論争の限界に報道機関が深く関わってきた事実に加え、ウィキリークスの如きマス・ジャーナリズムを越境する存在が生まれてきた現在。かつ、ネット環境の拡充やユーチューブ他の動画配信メディアにより「一人ジャーナリスト」が一定程度現実味を帯びてきた。 こういう状況を踏まえ、本書は現状と未来のジャーナリズムの在り方を検討していく。 この点、著者はジャーナリズムへの信頼を保持しようとする意思と作法に依らずして一人ジャーナリストは名乗るべきでないと考えている節も見受けられる。 この点を含め、確かに具体面では首肯できる内容は少なくない。。 例えば、 ① 報道を含め「試行」をすることで不確実性を下げていくこと、 ② 特に、現在の自分の報道が間違っていることを所与の前提に、間違いが判明したら大きく訂正し、これを許容するだけでなく、常態化していくこと(可謬性の保障)、 ③ 皆の眼を通じ報道の公平性と公益性を確保していく点(ただし徹底した公開性が重要なはず。後述)、 ④ メディアの分類はマスか否かではなく、現在のみに特化したものか、過去の検証も加味できるものかで分類すべき という点は是認しうる。 しかし、なんとはなしの違和感が残る。 それは、 (1) 情報不開示が措定される国家権力等、ルール策定側への批判がメディアの第一義的役割なのたが、この点をさほど重視しない。 (2) ⑴の具体的反映として、マスメディアにつき、原理的に対立した共同体間の調停役にすら措定する。 そもそも、機会主義的な主張を含め、主義主張を完全に避け得るメディアはあり得ない。このメディアの特性を無視したまま、ニュートラルな立場で行う調停役には不適だし、妥当ではない。 (3) 先の②を言いつつ、メディア(特にマス)提供情報の真実性を割と信用している、 (4) 情報ソースの開示が徹底できないのに、信用性を上げる方法としての公開性が可能と考えている点 がそれか。 良書かつ再読必要と思うが、斜めから読むべき書かな。
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原発報道に関してはさて置き、ジャーナリズム論、メディア論としては面白い。 鶴見俊輔を引き、ジャーナリズムの語源ジャーナルは、「日記」であり、ジャーナリズムは一人ひとりの志に基づくと主張する。 メディアが巨大化しても、最後の勝負は、確かに一人のジャーナリストに掛かっている。 筆者の...
原発報道に関してはさて置き、ジャーナリズム論、メディア論としては面白い。 鶴見俊輔を引き、ジャーナリズムの語源ジャーナルは、「日記」であり、ジャーナリズムは一人ひとりの志に基づくと主張する。 メディアが巨大化しても、最後の勝負は、確かに一人のジャーナリストに掛かっている。 筆者の、自身を含めたジャーナリストへのエールといったところかな。
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原発事故をケーススタディーとしたジャーナリズム原論。 従来のマスメディアとは別種の情報システムの有用性、優位性の提唱。 以下、引用省略
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うわべだけを見ず、福島第一原発事故であれば、福島に住む人たちを想うこと。彼らが見まわれた風評被害などにも目を向けること。そういうことが、ジャーナリストでなくても、個々人のジャーナリズム性であって、そういう目を養うことが大事になるんだ、というように読めました。 一般読者に向けられたというよりも、ジャーナリズムの道を目指す人に向けられた本のように読ましたしたが、それでも十分に面白く勉強できる、視野の広がる本でした。
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ジャーナリズムについて精緻な論考だ.ただ,ラジオはともかくテレビの質は見るに耐えない水準まで落ちている.だから,視聴者は激減している.正月番組で気になるものはなかった.本書はジャーナリスト必読だ.
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メディアは人間の拡張であると述べたのはマクルーハン。マスメディアは人間の欲望を拡張してきたが、ツイッターもまた人間くさい相互不信の現実を拡張して示してきたという意味でまさにメディアらしいメディアだった。 ヒラリーもツイッターは重要な表現手段と述べた。 福島は自分たちで原発を誘致し...
メディアは人間の拡張であると述べたのはマクルーハン。マスメディアは人間の欲望を拡張してきたが、ツイッターもまた人間くさい相互不信の現実を拡張して示してきたという意味でまさにメディアらしいメディアだった。 ヒラリーもツイッターは重要な表現手段と述べた。 福島は自分たちで原発を誘致した。1960年頃、原発が来れば福島は仙台のようになると受け入れた。
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3.11以後のメディアのあり方について論じる。ジャーナリストの守るべきは「基本財としての安全・安心」とする立場から、原発問題に関する報道を通して浮かび上がってきたジャーナリズムの歪みを俎上に載せ、その本質を抉り出しています。議論の対象は一般のマス・メディアからソーシャル・メディア...
3.11以後のメディアのあり方について論じる。ジャーナリストの守るべきは「基本財としての安全・安心」とする立場から、原発問題に関する報道を通して浮かび上がってきたジャーナリズムの歪みを俎上に載せ、その本質を抉り出しています。議論の対象は一般のマス・メディアからソーシャル・メディアなどのネットワーク・メディアまで広範囲に及んでおり、メディアの輪郭を捉え、その現状を理解するうえで非常に役に立つ、内容の濃い本であると感じました。
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フクシマ報道の在りようを切り口としたジャーナリズム論。個人的に8章の情報操作の部分が面白かった。情報の持つパワーは計り知れないな。
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