問いとしてのスピリチュアリティ の商品レビュー
「スピリチュアリティ」というテーマの現代的位相に目をくばりつつ、その可能性をさぐる試みがなされています。 著者はまず、「問い」としてのスピリチュアリティと「答え」としてのスピリチュアリティを区別します。「答え」としてのスピリチュアリティが、特定の教義や世界観に基づいているのに対...
「スピリチュアリティ」というテーマの現代的位相に目をくばりつつ、その可能性をさぐる試みがなされています。 著者はまず、「問い」としてのスピリチュアリティと「答え」としてのスピリチュアリティを区別します。「答え」としてのスピリチュアリティが、特定の教義や世界観に基づいているのに対し、「問い」としてのスピリチュアリティは、心理的なものや社会的なものにかならずしも還元されることのない、「人生の意味と目的」についての実存的な関心のありかたを意味しています。 そのうえで著者では、フランクルの実存分析やベルクソンの宗教哲学、スピリチュアル・ケアや教育におけるスピリチュアリティ、さらには江原啓之現象などをとりあげて、「問い」としてのスピリチュアリティがもつ開かれたスタンスが、生きることの意味と目的を喪失した現代日本において、どのような可能性をもっているのかという問題について考察を展開しています。
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「宗教ってうさんくさい!」と思う一つの大きな理由に、それが不可逆な「答え」を提供しているというイメージが(あるいは実態が)あるということが挙げられる。その押し付けられ感というか、視野の狭さが宗教への忌避感につながっていることを否定するのはなかなか難しいだろう。答えを提供すること自...
「宗教ってうさんくさい!」と思う一つの大きな理由に、それが不可逆な「答え」を提供しているというイメージが(あるいは実態が)あるということが挙げられる。その押し付けられ感というか、視野の狭さが宗教への忌避感につながっていることを否定するのはなかなか難しいだろう。答えを提供すること自体は即座に悪いわけではなく、それを希求する人がいる以上、提供されてしかるべきだ。ただ、その形式を取るのであれば、どうしても制限されざるをえないことが起こってくる。とりわけそれが教育の現場であれば。 ということで、本書は「答え」を提供するものと見做されていた「スピリチュアル」ではなく、「問い」のスピリチュアリティの重要性に着目する。正直、「それっていちいちスピリチュアリティという単語を使わなくても哲学でいいんじゃね……?」という気がしないでもないのだが、「哲学」というと霊性みたいなところが落ちてしまいがちになる、ということなのだろうか?あるいは手垢がつきまくった哲学よりもスピリチュアリティのほうが……ということなのかもしれない。それはともかく、「問い」としてのスピリチュアリティを探求する人というのは一定以上いて、それぞれ面白い人だと思うので、そういう人間が増えてほしいなと思いました(こなみかん)
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