自死の日本史 の商品レビュー
よくここまで調べ上げたものだと感心する。土産物屋に売っているハラキリではなく、長い歴史の中で実践し描かれてきた日本の思想潮流を浮彫りにしていると言えるのではないか。時には高潔さとして、時には濫用された卑小さとして、自らを裁く行為の数多を見ることができる。
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感想 死は美しい。文学で、演劇で描かれている。なぜそうなのかは考えたことがない。此岸が儚く彼岸への想いが強いからか。自死は禁止されるべきか。
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立て続けに理数系の本を読んできて、次にこの本を読み始めてみたら、あまりにも「人文学人文学」していて目眩がした。理数系の学者の文章はあまりにも簡潔・スピーディーすぎてわかりにくいのだが、それに比べてこの文章の「のろい」こと。たぶん社会学に分類されるだろう本だが、アカデミックな雰囲気...
立て続けに理数系の本を読んできて、次にこの本を読み始めてみたら、あまりにも「人文学人文学」していて目眩がした。理数系の学者の文章はあまりにも簡潔・スピーディーすぎてわかりにくいのだが、それに比べてこの文章の「のろい」こと。たぶん社会学に分類されるだろう本だが、アカデミックな雰囲気でなく、極めて平易に書かれているだけに尚更だ。 西洋人のキリスト教的禁忌としての「自殺」と比較して、より自然で時宜を得れば必然的・常識的でさえある日本の「自死」(とりわけ「切腹」が注目されているようだ)を、浩瀚な歴史的資料を背景に描写を試みる。 とてもボリュームがあり読み応えたっぷりである。なかなか面白い。けれども「読み物」っぽいので、すっかりのんびりと読んでしまった。 著者がとらえた「日本人らしさ」は一応的確なものだろう。日本人というか、そうした特性は遺伝子によるものではないので、日本の言語や文化・社会が綿々と維持している傾向だと言えるだろう。 この本を読み出したとき、ちょうど東京に旅行していたのだが、以前とは違ってこの大都会の人々も「結局みんな、日本人的なんだろうなあ」という感慨を抱いて雑踏を眺めたものだった。 本書の最後の方、芥川・太宰・三島という、文学者の自殺のエピソードを記述するのだが、この辺りは「社会学的視点」を離れてしまい(たとえ文学者が時代・社会の刻印を強く刻まれた人間だとしても)、あまりにも個別特殊的な事例に接近しすぎているのではないかと思った。
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この書は東京日仏学院院長であったモーリス・パンゲが1986年に出した、自死(意思的な死)をフェーズにとった日本精神文化史である。 安徳天皇を抱いて海に身を投げた二位尼。 鎌倉幕府滅亡時の武士の集団切腹-6千人余という(太平記)。 秀吉に疎まれて自死した千利休。 浅野内匠頭、大石...
この書は東京日仏学院院長であったモーリス・パンゲが1986年に出した、自死(意思的な死)をフェーズにとった日本精神文化史である。 安徳天皇を抱いて海に身を投げた二位尼。 鎌倉幕府滅亡時の武士の集団切腹-6千人余という(太平記)。 秀吉に疎まれて自死した千利休。 浅野内匠頭、大石内蔵助と四十七士。 西郷南州隆盛の死と士族の終焉。 乃木希典の殉死。 2.26事件。 芥川龍之介。太宰治。川端康成の自死。 カミカゼ特攻隊の若者の心情。 昭和軍閥領袖の死に方。 市ヶ谷自衛隊の三島由紀夫。 多くの自死を挙げながら日本の文化を語る。 自死・自殺は決して日本だけのものではない。著者の広い学識は古今東西の歴史にも目を配る。 日本の自死を特徴づけるものは「切腹」の様式化であるとする。 為すべきこと何も無く、何も生産しない侍(サムライ)が階級として存続し得たのは、常に切腹の覚悟に裏打ちされていたからだという。 この儀式化された様式は敗戦時の阿南陸相、昭和の三島にも踏襲される。 パンゲは哲学者であるが、これだけ歴史を論ずれば社会科学者でもあらざるを得ない。 自殺の統計、西鶴や近松の演劇、明治維新政府の天皇制教育など多岐に踏み込む。 しかし或る行動を、或る集団を、或る思想を糾弾することはしない。 底に、日本文化に対する深い愛情が溢れている。 これを読んでいま私が思うのは、何も為さず、何も生産しない年金生活者はいかに生き、いかに死ぬべきかということである。
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