創造的破壊 の商品レビュー
amazonの坂本龍一本の関連オススメで、タイトルが気に入った ¥ mmsn01- 【要約】 ・ 【ノート】 ・
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本書は、タイラー・コーエン先生が、2002年に出版した、文化製品の貿易(「グローバリゼーション」)は、世界の芸術・文化の多様性を支えるのか、破壊するのか、を問うたユニークな経済書。「貿易利益」モデルを用いて、音楽、繊維産業、映画を題材にしながら、以下の3つの教訓を引き出しています。 ① 文化の多様性という概念には、複数の意味があり、中には規格外のものもある。(複数の社会の間の多様性、社会の内部の多様性、通時的な多様性、実効的な多様性) ② 文化の同一化と差異化は、二者択一ではなく同時に起きることが多い。(大衆文化とニッチ文化は相補的) ③ 異文化間交易は、それぞれの社会を改変し崩壊させるが、結局はイノベーションを支え、人間の想像力を持続させることになる。 「グローバル化した文化は、吹き荒れる「創造的破壊」の風、というヨーゼフ・シュンペーターによる資本制生産のメタファーが実体化したものである。」(P.23) 即ち、「グローバリゼーションによって、「社会間の多様性」がある程度「破壊」されることで、「社会内部の多様性」が「創造」される。前者の損失を補って余りある文化の「創造的破壊」が出現する、という本書の核心的メッセージである。」(P.270 解説) なお、日本語版は、東日本大震災の直後に出版され、日本語序文では、 「日本の様な国は、未だどこにも存在しない。日本人は世界でも類まれなる文化の創造者であり、経済の創造者である。こうした文化的綜合こそが、グローバル化した現代社会で脈々と息づく創造的な行為である、というのが本書の主たるメッセージの一つである。」(P.2)と、大絶賛されてます。
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マックのせいで日本の食文化がだめになる! って言うことではないらしい。 ようは、破壊されて選択綜合されるらしい。 たぶん、金平糖がいつの間にか日本独自のものと思われてるように。 でもこれ書いてるのは、ハリウッドを生んだ今の勝ち組アメリカ人です。 これどっかで聞いたことあるような...
マックのせいで日本の食文化がだめになる! って言うことではないらしい。 ようは、破壊されて選択綜合されるらしい。 たぶん、金平糖がいつの間にか日本独自のものと思われてるように。 でもこれ書いてるのは、ハリウッドを生んだ今の勝ち組アメリカ人です。 これどっかで聞いたことあるような気がしたけど、お茶人の誰かだ。 日本と中国の境をなくして融合するって。 そうすると、独自の文化になるのかな。 けど私としてはマックは生活に取り込めないなぁ
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【要約】 タイラー・コーエンは、グローバリゼーションによって「社会【間】の多様性」がある程度破壊されることで、「社会【内部】の多様性」が「創造」されると主張されています。つまり、「共通言語として強固な力を持ったハリウッド映画が世界中を席巻した結果、ローカルな映画、たとえば邦画の表現方法は刷新され、新たな文化が生まれる可能性が在る」ということです。 『はあ?そしたら【本来】の邦画はどうなるねん!それってグローバリゼーションという名のファシズム違うんか!』っておっしゃる方いそうですね。でもさ、その【本来】っていう存在はとても曖昧ですよーとタイラー・コーエンおっしゃってます。「スー族のバッグのビーズ刺繍は、開拓時代のアメリカ人入植者が持参していたコーカサス絨毯のデザインから強い影響を受けている」んですって。この例における【本来】ってなんなんですかね?同様の話は世界中に腐るほどあるでしょうね。 ようは、人類の歴史って、「均質化と異質化の連動」で成りたっているわけです。にもかかわらず、過去から受け継いだ(不確かな)標識に規範力を持たせたりする。それは生物学的にいたし方ない感覚なのかもしれない。つまり、人はえてして、自らのアイデンティティに対して本質的な重要性を付与しがちで、かつ、アイデンティティの喪失を恐れているんですよね。
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Facebookの利用者数が、ついに7億人を超えたそうである。思考が道具に規定されるということを考えると、これだけ多くの国の人びとが、同じツールを利用してコミュニケーションを取っていることには、いささかの懸念を感じるのも事実である。世界中の人がiphoneを片手に、Twitter...
Facebookの利用者数が、ついに7億人を超えたそうである。思考が道具に規定されるということを考えると、これだけ多くの国の人びとが、同じツールを利用してコミュニケーションを取っていることには、いささかの懸念を感じるのも事実である。世界中の人がiphoneを片手に、Twitterで情報を取得し、Facebookで交流する。このグローバリゼーションがもたらすのは、はたして多様性なのか、画一化なのか。 これらの問題は、コンテンツのレイヤーにおいては古くから議論されていたことでもある。ハリウッド映画やマクドナルド、コカコーラなどによる世界的な普及がいったい何をもたらしたのかということである。本書は、そんな異文化間交易における「文化の多様性」について、経済学的な切り口も交えて論考した一冊。これらの問いに対して、独自の視点で鋭く切れ込んでくる。 ◆本書の目次 第1章 異文化間交易 - グローバリゼーションの交易 第2章 グローバル文化の隆盛 - 富と技術の役割 第3章 エートスと文化喪失の悲劇 第4章 なぜハリウッドが世界を牛耳るのか、それはいけないことなのか 第5章 衆愚化と最小公分母 - グローバリぜーション時代の消費者 第6章 「国民文化」は重要なのか - 貿易と世界市民主義 全体を通して語られている論調は、以下の三つの教訓に立脚している。 ◆三つの教訓 ・「文化の多様性という概念には、複数の意味があり、中には規格外のものもある」 ・「文化の同一化と差異化は、二者択一ではなく同時に起きること多い」 ・「異文化間交易は、それぞれの社会を改変し崩壊させるが、結局はイノベーションを支え、人間の創造力を持続させることとなる」 特に一つ目の教訓は、注目に値する。多様性の概念をどのように捉えるかによって解釈は大きく変わってくるのだ。多くの場合において、多様性とは複数の社会の間の多様性を指し、社会の内部の多様性には着目されることは少ない。しかし新しい芸術作品が、ある社会から別の社会へと輸出されると、二つの社会の間の多様性は低下するが、社会内部での多様性は高まる。この社会内部での多様性に着目している点が、本書のユニークなポイントである。 そして、内部で生まれた多様性は、社会間においては部分的な同一化を生み出すかもしれないが、内部のミクロレベルでさらなる多様性が花開くための必要条件が整備される可能性もある。そのような経緯を得て、多くのケースにおいて、大量のイノベーションを引き起こされ、革新的かつ質の高い創造が行われてきたというのが、著者の主張である。 また、仮にそれを嫌悪する集団がいたとしても、条件さえ整えば、それらは独自性を保持することにもつながる。グローバリゼーションを受けいるようと、受け入れまいと、ある側面においては、多様性が損なわれることはない。社会間における文化の画一化とは、地理的条件からの解放という話にすぎないのである。著者のこの姿勢はどこまでも楽観的であり、アダム・スミスの「神の見えざる手」を彷彿させる。 しかし、我々は、消費する際にしても、コンテンツを作りだす際にしても、それが集約的消費に基づくものなのか、粗放的消費に基づくなのかは、意識的に捉えておいた方がよいのではないかと思う。集約的に消費に基づくハイカルチャーは、文化の主流というよりも終焉に位置するため、時代を規定することは難しいが、多様性という側面から考えると非常に重要な位置づけになってくるのである。もちろん多様性そのものを善とするということが前提ではあるのだが。このあたり、キュレーションの議論とも結びついてきそうで、奥が深い。 いずれにしても、全編を通して刺激的な議論がされている一冊。ぜひお試しあれ。
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