智恵子抄 の商品レビュー
高村光太郎の愛のことばは難しくない。 凝った技巧もこらされず、清冽なことばが並んでいるだけ、 でもその詩の一遍一遍が あんまり透明なので、読んでいると心から悲しくなって、涙がこぼれる。 人をこんなふうに愛するってどんな気持ちなのでしょう。 人をこんなふうに信じるってどんな気持...
高村光太郎の愛のことばは難しくない。 凝った技巧もこらされず、清冽なことばが並んでいるだけ、 でもその詩の一遍一遍が あんまり透明なので、読んでいると心から悲しくなって、涙がこぼれる。 人をこんなふうに愛するってどんな気持ちなのでしょう。 人をこんなふうに信じるってどんな気持ちなのでしょう。 そんなことを考えた作品でした。
Posted by
安達太良山に登る前に読んでおこう、と購入。 詩は何だかとっつきにくいと食わず嫌いをしていたけれど、そんな偏見を見事に打ち破ってくれました。 最初に心にぐっと入ってきた「おそれ」の以下の部分 “私の心の静寂は血で買つた宝である” “あなたは静寂の価を量らなければいけない さも...
安達太良山に登る前に読んでおこう、と購入。 詩は何だかとっつきにくいと食わず嫌いをしていたけれど、そんな偏見を見事に打ち破ってくれました。 最初に心にぐっと入ってきた「おそれ」の以下の部分 “私の心の静寂は血で買つた宝である” “あなたは静寂の価を量らなければいけない さもなければ 非常な覚悟をしてかからなければいけない その一個の石の起こす波動は あなたを襲つてあなたをその渦中に捲き込むかもしれない” おそれを拭って己の信念を貫いた光太郎、智恵子が それぞれ自分の人生を振り返ったら、どう思うんだろうか。 意志に従って生きた結果、やっぱり悔いはないのかな。 色々と思いをを馳せてしまった。 安達太良山の「本当の空」を見ながら、またぼんやり考えてしまうことだろう。
Posted by
なんだか深い愛を感じる。 智恵子さんが元気な時も、病んでる時も、亡くなった後も、光太郎さんの一途で澄んだ思いが溢れてる。 わたしもこんなに風に誰かを愛して、誰かに愛されたいって思った。
Posted by
祖父母の家が智恵子と同じ安達郡にあって小さい頃からよく遊びに行っていました。 福島の田園と安達太良山は私も大好きな風景だったので、「安達太良山」という単語が出てくるたびに、今の福島の現状を思い、涙が出ました。 素人意見かもしれませんが、芸術家には感情が豊かすぎて、精神に異常をき...
祖父母の家が智恵子と同じ安達郡にあって小さい頃からよく遊びに行っていました。 福島の田園と安達太良山は私も大好きな風景だったので、「安達太良山」という単語が出てくるたびに、今の福島の現状を思い、涙が出ました。 素人意見かもしれませんが、芸術家には感情が豊かすぎて、精神に異常をきたす人が多いように思います。 私は芸術家に憧れ、その精神異常でさえ、美しいと思ってしまいます。 特に智恵子は美しい。 そして、この「智恵子抄」は智恵子を愛した光太郎が書いた詩なので、より美しく目に浮かびます。 つい何回も繰り返し読んでしまう1冊。おすすめです!
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
己の芸術への自信と絶望、愛する人への想いと才能への嫉妬。 智恵子は、恐らくそんな想いから精神が崩壊した。 その姿は、光太郎が敬意を抱いていたロダンの弟子 カミーユ=クローデルと重なる。 今回は、まとめのかわりに光太郎の短歌で。 「光太郎智恵子はたぐひなき夢をきづきてむかし此所に住みにき」 二人の熱情が胸を衝く。
Posted by
高村光太郎の詩集。 永遠に愛する人であるのに、心が壊れ、死んでいってしまう妻。 亡くなってしまった後も、存在を感じてしまう。
Posted by
大好きな詩が入っていたため、迷わず購入。 「いやなんです、あなたのいってしまうのがー」 この本には、唱えたい素敵な詩がたくさん詰まっています。
Posted by
280円だから、買ったわけではありません。昔の自分を思い出せるかな…。 装丁も手触りも素敵です。 一握の砂と一緒に、迷わず買いました。
Posted by
この5月20日は、「東京に空が無い・・ほんとうの空が見たい」と激白した高村智恵子こと(旧姓・長沼)智恵子が、125年前の1886年(明治19年)に福島県の現在の二本松市で生まれた日でした。 たとえば、女性の名前で広く知れ渡っているのは、長淵剛の「順子」であり、ばんばひろふみの「...
この5月20日は、「東京に空が無い・・ほんとうの空が見たい」と激白した高村智恵子こと(旧姓・長沼)智恵子が、125年前の1886年(明治19年)に福島県の現在の二本松市で生まれた日でした。 たとえば、女性の名前で広く知れ渡っているのは、長淵剛の「順子」であり、ばんばひろふみの「サチコ」だし、さては桂歌丸師匠の奥さまの「富士子」さんだし、初代・林家三平の「よしこ」さ~んもいましたし、エリック・クラプトンのいとしの「レイラ」に対しては桑田佳祐がいとしの「エリー」と叫び、宮本百合子の「伸子」ははるか1924年に世に出て、幻想的な古井由吉の「杳子」は1970年の芥川賞で知られて・・などといったように、まだまだ数多くあると思いますが、その中でも「智恵子」という名前は、もっともかなしくせつない響きで私の記憶の底に沈んだのでした。 高村光太郎は、私が小学生の頃に夢中になった詩人です。ちょうど自意識に芽生えた少女にとって、純真で誠実で愛情あふれ意志的な彼の詩は、他の何ものにもかえがたい魂の叫びとして、ズンズン私のこころを虜にしたのでした。 有名な「僕の前に道はない・・」の詩『道程』はもちろんですが、ほとんどの詩を暗誦しました。 それが、これほど高潔な理想主義的な人でも、太平洋戦争中に戦争を賛美し戦争協力的な詩を作ったということを知って愕然としました。 ただし敗戦後に、同じように戦争を鼓舞した他の人たちはみんな手の平を返すように、何もなかった顔をして民主主義賛美・謳歌したのに対して、彼は戦争協力者としての自分を恥じて、敗戦の日から2カ月後には岩手県の奥地の粗末な小屋に立てこもり、7年間ものあいだ自責の念にとらわれた懺悔の独居自炊生活を送ったのでした。 いわば、自由な空気の中で自由な創作活動を思う存分に再開できる、62歳から69歳までの貴重な時間を自ら棒に振ったわけですが、そして実際にも独居生活から戻ってわずか4年後には彼は死んでしまうのですけれど、たとえ自分の文学の創作のいのちを縮めようとも、人間として誠意ある良心を貫くという彼のこの態度・姿勢・生きざまは、ものすごく大切なことを教えてもらったと思いました。 のちに中学生になって、吉本隆明の熱い精巧な『高村光太郎』を読んだとき、小学生の頃のあの幼い読解力に間違いはなかったのだと思うと同時に、やはり単なる無思想の軟弱なる文学の徒でいては、いつ戦意高揚の甘い言葉に足元をすくわれるかもわからないから気をつけなければ、と思ったものでした。 「いやなんです あなたのいってしまふのが」 ・・「人に」『智恵子抄』より 【備考】この角川春樹事務所版『智恵子抄』は、改めていうべき注目すべき文庫といってよいと思います。それは、没後50年を過ぎた著作家の著作権の消滅を考慮して、名作を手軽な価格でより広く読んでもらおうとする良心的な企画だということです。 しかも、何年か前から今も続く信じられない現象として、文学作品の本の表紙を、若手俳優の写真や稚拙なマンガで飾って売り上げを伸ばす離れ業がまかり通っている麻痺した出版界にあって、名作を汚さない見事なまでにシンプルな装丁の正攻法で出された角川春樹事務所に対して、敬意と感謝の言葉を申し述べたいと思います。
Posted by
- 1
- 2