回思九十年 の商品レビュー
白川静の代表作とも言うべき「字書三部作」である『字統』・『字訓』・『字通』に取り掛かったのが73歳のときであるという。何かを始めるというのに「遅すぎる」ということはないのだ。
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日経の連載もの、白川静「私の履歴書」がまず冒頭に。これが主題です。あとは対談集として編集されています。対談としては、呉智英との「雲山万畳、猶ほ浅きを嫌ふ」がカチッとしたものとなっていて、この本の全体的な質を高めています。以下、一部を引例。。 ものに部分というものはない。部分は、...
日経の連載もの、白川静「私の履歴書」がまず冒頭に。これが主題です。あとは対談集として編集されています。対談としては、呉智英との「雲山万畳、猶ほ浅きを嫌ふ」がカチッとしたものとなっていて、この本の全体的な質を高めています。以下、一部を引例。。 ものに部分というものはない。部分は、全体に対して、全体の中においてある。部分が明らかになるときは、同時にその全体が理解されるときです。少なくとも、その可能性が開かれたときでなければならぬ。これを文字学のうえからいえば、特定の文字だけが理解できるということはない。わかるときには全部わかるのです。全部がわかるということは、その体系が把握されたということです。(pp.128-29) 白川静という人は、どこまでも東洋の精神の淵源を摸ろうとしました。「東洋」への慕情、といいかえてもいいのかもしれません。ここが、偉大なる所以なのでしょう。ただ私には、ここが根本的な疑問となっています。 いずれにせよ、日本人は漢文の素養を失って久しいわけで、戦後日本の諸悪の根源もここにあります。ところで石牟礼道子曰く、摂関時代には、歌詠みとしても一流の知識人たちが大臣を務めたのに。今の議員さんたちも選挙をやめて歌を詠んで、それで国民が審判したらいいなとか思ったりするんですけど、歌どころか日常の言葉も下落しているのでは無理ですね、と。(p.380) I cannot refute her claim…。
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