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風土の論理 の商品レビュー

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2018/06/17

和辻哲郎、A・ベルクらの風土論が到達した地点を確認するとともに、風土論が哲学にどのようなインパクトをもたらしうるのかということが論じられています。著者の企図は哲学的思惟のあり方そのものへの反省を含む壮大なものですが、本書はこれからの風土論が進むべき方向性を提示するにとどまっている...

和辻哲郎、A・ベルクらの風土論が到達した地点を確認するとともに、風土論が哲学にどのようなインパクトをもたらしうるのかということが論じられています。著者の企図は哲学的思惟のあり方そのものへの反省を含む壮大なものですが、本書はこれからの風土論が進むべき方向性を提示するにとどまっているように感じました。 和辻は『風土』の「序言」で、ハイデガーの解釈学では時間性だけが重視されていて空間性が十分に論じられていないことを批判し、「人間存在の構造契機」としての風土性を論じることにしたと述べていました。じっさい後年の和辻は、人間存在論的な観点から風土の議論を『倫理学』のなかに位置づけようと試みています。しかし著者は、こうした和辻自身による風土論の位置づけが、ほんらい風土論がもっていたはずの可能性を閉ざすことになったのではないかと批判します。 和辻は、人間学的な観点から風土がもつ意義を明らかにすることで、西洋近代哲学がもたらした均質的な時間・空間を解体し、時間・空間に主体的意味づけを回復しようとしました。しかし著者は、風土を人間学の取り込むことは、特殊性の内に自閉する帰結をもたらしはしないかという危惧を表明します。 和辻の風土論はたしかに、一元論的なヘーゲルの歴史哲学を解体する可能性をもっていました。しかし、じっさいに彼のおこなった議論は、それぞれの風土の中で成立する特殊性を帯びたわれわれの経験を、主体の内部構造にそくして考察することに終始しています。そこでは、特殊的な風土と、その風土のもとでのわれわれの経験との間の関係が明らかにされたにすぎず、間風土的な世界のなかで特殊的な経験のあり方を論じるには至っていないというべきです。著者は、和辻の風土論を引き継ぎながらも、それを和辻自身がおこなったように人間学へと取り込むことを拒否し、他へと開かれた人間存在の構造を明らかにする「地理哲学」へと発展させるべきだと主張します。 こうした著者の構想は、本書の第二部である程度具体化されています。著者は主体的な「生きられた空間」から出発して、それを特定の制度や規範をもつ「社会空間」へ、さらにそれらの特殊性をもつ空間が交流する「都市」の空間性への弁証法的展開をたどったうえで、近代の都市空間が均質化の圧力のもとに置かれていることを指摘し、他者との出会いを可能にする開かれた空間へと変えていかなければならないという展望を述べて本書を締めくくっています。

Posted byブクログ