脳卒中を生きる意味 病いと障害の社会学 の商品レビュー
身体・機能の不具合を「受容する」という表現がよく用いられる。そして医療の現場では、「受容する」ことが目的のように語られることもしばしばある。この場合の受容とは何を指すのだろう? 身体的な障害を心が認めるということなら、体と心の二元論だ。そんなにうまく割り切れるはずがない。よく考...
身体・機能の不具合を「受容する」という表現がよく用いられる。そして医療の現場では、「受容する」ことが目的のように語られることもしばしばある。この場合の受容とは何を指すのだろう? 身体的な障害を心が認めるということなら、体と心の二元論だ。そんなにうまく割り切れるはずがない。よく考えてみれば、最近流行りのナラティブ・アプローチも心に印籠を渡すだけのこと。それを「受容」と言ってしまうのは、乱暴にすぎるように感じていた。 この本は、脳卒中によって人生の途上で失語症他の障害を抱えることになった人々をフィールドワークの対象とした社会学の論文。病いに倒れた日を“命日”と呼ぶ患者たちの生の声には、二元論もナラティブも通じない混沌がある。しかしこの混沌がまた、患者自身の生きる力をも含んでいたのだと次第にわかってくる。その様は感動的で、とても学術論文とは思えなかった。註も重要な示唆を含んでおり、手にした人は隈なく読んでほしいと願う。(12/18/2006、nt07年2月号用原稿)
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