記憶喪失になったぼくが見た世界 の商品レビュー
十八歳で事故にあってまったくそれまでの記憶をなくしてしまった青年の書いた文章と母親の手記。"記憶喪失"というのはこういうものなのか、という驚きがある。満腹がわからないのでテーブルの上にあるものをすべて食べてしまう、とか、あまいということを初めて知る、とか、ごは...
十八歳で事故にあってまったくそれまでの記憶をなくしてしまった青年の書いた文章と母親の手記。"記憶喪失"というのはこういうものなのか、という驚きがある。満腹がわからないのでテーブルの上にあるものをすべて食べてしまう、とか、あまいということを初めて知る、とか、ごはんとおかずの違いがわからない、とか、ケガや病気をしている人は人間に見えない、とか諸々衝撃的。その割に自分の名前とか「おっさん」とか「おばさん」という言葉は覚えているらしい。5歳くらいに知識が返ってしまう、ということなのだろうか。本人の感じていることと母親の語る客観的な状況と対比しながら読めるので興味深い。
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事故で記憶をなくした著者の話。生まれて初めて見るものを不思議に思う気持ちや、知らないことに戸惑いながらもチャレンジしていく様子は読んでいて新鮮な気持ちになった。
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よく映画やドラマで題材となる記憶喪失。これが現実にあったと語る本人が出てるテレビを見て興味を持ったので購入。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
交通事故で記憶を無くした美大生が新しい自分を作り上げるまでの過程を一人語りで記した手記。 「記憶を無くす」ということがどんな体験なのか、理解のしようもないが、周囲の理解も大きかったのだろう。中に筆者の染色作品が掲載されているが、とても優しい色合いながら凛とした輪郭を持っており、これが現在の彼なのだということが垣間見える。「事故の前の記憶が戻ること」が最も怖く、事故の後に手に入れた「新しい過去」に励まされているという結語がなんとも心強い。
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よくドラマなどで目にする「事故による記憶喪失」という症状。大切な人との記憶を失い、すれ違いなどを経てまた新たな関係性を築き上げたところで過去の記憶が戻り…というのはよくある話ですが、現実はそれほど甘くありません。 自分が何者かはもとより、周囲の人間が離している言葉の意味や、自分...
よくドラマなどで目にする「事故による記憶喪失」という症状。大切な人との記憶を失い、すれ違いなどを経てまた新たな関係性を築き上げたところで過去の記憶が戻り…というのはよくある話ですが、現実はそれほど甘くありません。 自分が何者かはもとより、周囲の人間が離している言葉の意味や、自分の身の回りにあるもろもろの物体の名前や役割、はては社会生活で必要な知識をも失った筆者は、「できない自分」「かわいそうにみられる自分」に苛立ちながら、そして困難を抱えながら新たな生活を進めてゆきます。 「事故による記憶障害」という症状との闘病記録としても読みごたえがありますし、現在は染織の専門家として活躍する著者の自伝(読み物)として楽しむこともできます。 解説で俵万智さんが書いている通り、芸術を選考する著者が記憶を失ったことは、もちろん不幸な出来事ではありましたが、「世の中を新鮮な感覚で再発見した」という経験はアーティストとしては財産になった部分もあったのかもしれません。 そして著者を支え続けた、それぞれに母性・父性を全開にしたようなご両親の力にも感動しました。息子を常に受け入れる母親と、時に厳しく突き放すように見えても根底では息子をきちんと愛している(そしてそのことを度々行動で示す)父親という、やや古風な家族像が著者の回復によい影響を与えていることが(そして著者が両親に感謝していることが)ひしひしと伝わってきて、子育てをしている身としても学ぶところが大きかったように感じます。
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自身の言葉で始まる文章はまるで1,2歳児の言葉がでない子どもの心の声の様だ。そこから大学へ戻り、更には染めの仕事をする…壮絶な人生、だがとても明るく真っ直ぐに生きていらっしゃる。 いつか染められた着物を目にしてみたい。 途中に母親の手記もあり、見守る優しさと強さを感じる。 ...
自身の言葉で始まる文章はまるで1,2歳児の言葉がでない子どもの心の声の様だ。そこから大学へ戻り、更には染めの仕事をする…壮絶な人生、だがとても明るく真っ直ぐに生きていらっしゃる。 いつか染められた着物を目にしてみたい。 途中に母親の手記もあり、見守る優しさと強さを感じる。 解説で俵万智氏が書いたとおり、『もともとの絵画的な才能に濁りのない感性が宿り、芸術家としてプラスだったのでは』と。+にできたのはご自身の努力、家族や友人の愛情、何よりとても素直な心の持ち主なんだろうな、と思った。
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記憶を失った著者の驚きと感動の物語。激レアさんを見るまで知りませんでした。「記憶」の上に人間が暮らしているという当たり前すぎる事実。その重要さを改めて感じさせられた。
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事故で記憶喪失になった本人と家族の手記。 毎日少しずつ新しい事に触れ、覚えていく過程を本人の視点から読むのはちょっと他にはない感覚。子どもの思考を言語化するとこういう感じになるのかも知れないと思った。
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テレビで著者を観て話が興味深かったので。まず文章が上手い。言葉も全て忘れてしまった著者の手記なので文章力はのちに手に入れたものだ。なので書き方に「アルジャーノンに花束を」のような演出がされている。でも彼の感性は素晴らしく瑞々しく、記憶はなくても記憶力はある。彼の体験から赤ん坊は世...
テレビで著者を観て話が興味深かったので。まず文章が上手い。言葉も全て忘れてしまった著者の手記なので文章力はのちに手に入れたものだ。なので書き方に「アルジャーノンに花束を」のような演出がされている。でも彼の感性は素晴らしく瑞々しく、記憶はなくても記憶力はある。彼の体験から赤ん坊は世界をこんな風に感じているのかもと想像することができるような内容。 母親としては彼のお母様による手記の部分もいろいろと考えさせられる。一日中続く質問責めに根気よく対応していたお母様も疲れ果ててついついキツい言葉を発してしまうところはまさに育児ノイローゼ。育て直しといえる状態の苦労は並大抵ではなかっただろう。
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自我とは記憶の異名である。過去をもとにした感情の反応や関係性の物語が「現在の私」を紡ぎ出すのだ。とすると記憶喪失はそれまで蓄積したデータやソフトなどを消去して初期状態に戻したパソコンのようなものと考えることができる。 https://sessendo.blogspot.com/2...
自我とは記憶の異名である。過去をもとにした感情の反応や関係性の物語が「現在の私」を紡ぎ出すのだ。とすると記憶喪失はそれまで蓄積したデータやソフトなどを消去して初期状態に戻したパソコンのようなものと考えることができる。 https://sessendo.blogspot.com/2018/11/blog-post.html
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