字体のはなし の商品レビュー
たいして厚くもないし、やわらかいタイトルからタイポグラフィか何かの本かと思って手にとったところ、大違い。副題に『超「漢字論」』の方をタイトルにすべき圧巻の漢字論。 そもそも漢字は手で書かれてきたものであり、活字誌上主義に基づいた偏狭な漢字教育と、「お習字」しか教えない書写教育が...
たいして厚くもないし、やわらかいタイトルからタイポグラフィか何かの本かと思って手にとったところ、大違い。副題に『超「漢字論」』の方をタイトルにすべき圧巻の漢字論。 そもそも漢字は手で書かれてきたものであり、活字誌上主義に基づいた偏狭な漢字教育と、「お習字」しか教えない書写教育が漢字の本質を見失わせていると説く。唐代の筆写体、篆書を参考に一部の書体が先祖返りした康煕字典体、康煕字典体をもとに簡体化された日本の当用漢字(1946)、常用漢字(1981)と、さらにその簡体化を敷衍して作られた業界標準の拡張新字体(掴、侠、鴎の類)、平成22年に改訂された改定常用漢字表に至るまでを字種と字体の正確な理解に基づいて俯瞰できる一冊。
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いろいろな点で蒙を啓かれた。 漢字をその外形で捉えたものを「字体」、意味と読みの上で同一性を持つ字を「字種」。 筆者は、「漢字は社会の公器」と考え、特に印刷上のデザインや、一部の書体特有のデザインから生まれた異体字を区別しなければならないという風潮を批判している。 特に、漢字学の...
いろいろな点で蒙を啓かれた。 漢字をその外形で捉えたものを「字体」、意味と読みの上で同一性を持つ字を「字種」。 筆者は、「漢字は社会の公器」と考え、特に印刷上のデザインや、一部の書体特有のデザインから生まれた異体字を区別しなければならないという風潮を批判している。 特に、漢字学の上でも重要な典籍である『説文解字』(小篆)、『康煕字典』(康煕字典体)が重視されるが故に字体の混乱を招いてしまった事例があることは、興味深い話だった。
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(推薦者コメント) 手書きの文字と印刷書体は何故こんなにも形が違うのだろうか。そして、どうしてそれらを私たちは同じ文字として認識できるのだろうか。本書では、そんな字体の違いを、書家の立場から解き明かそうとする。
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生まれた時から活字があって学校で習った漢字が全てで正しいと思っている多くの人にとって、実は新字体、旧字体、書写体、異体字、動用字、、、と同じ漢字でも様々な形、種類があることを教えてくれる本。私もここ最近になって、漢字の多様性についてやっと知った。字は長い歴史の中で手で書かれて全て...
生まれた時から活字があって学校で習った漢字が全てで正しいと思っている多くの人にとって、実は新字体、旧字体、書写体、異体字、動用字、、、と同じ漢字でも様々な形、種類があることを教えてくれる本。私もここ最近になって、漢字の多様性についてやっと知った。字は長い歴史の中で手で書かれて全ての生活の元になってきたもの。もう少し「字」に気を使って生活してみよう。
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字体の話がすきだ。正字、正字といっていたものが単に康煕字典に則っているだけで、歴代の筆写文字から遊離しているという主張は痛快である。学会誌によっては、わざわざ正字で組んだりするところがある。こっけいである。財前さんは、そもそも、康煕字典の字というのは説文解字の篆書を楷書化させたも...
字体の話がすきだ。正字、正字といっていたものが単に康煕字典に則っているだけで、歴代の筆写文字から遊離しているという主張は痛快である。学会誌によっては、わざわざ正字で組んだりするところがある。こっけいである。財前さんは、そもそも、康煕字典の字というのは説文解字の篆書を楷書化させたもので、それ以前、それ以後の手で書かれた文字の歴史を考慮しない文字の学というのはナンセンスだと言いたいのだろう。(そもそも康煕字典自体に不統一があることもしばしば指摘されている)明に完成したと言われる明朝体と手書き体の違いを、ぼくは数年前にようやく知ったが、それはデザイン、掘りやすさ重視の字であり、この開版の字、活字の字にいかに目を曇らせられてきたことか。たとえば、「比」は活字では5画だが、本当は4画だとか、「子」の縦棒はまっすぐに見えるが、手書き体ではカーブするのがふつうだとか、「木」の2画目は左にはねるのは手書き体の自然な筆運びの結果であり、これを「木」のように書くのは単にデザイン上の問題で、手書きではむしろ不自然だとかである。この手の話としては、先に大熊肇『文字の骨組み』(2009 彩雲出版)という面白い本が出ていて、「吉」や「天」の横棒の長さの問題とか、2種類の「高」や、2種類の「葛」について教えてもらっていたが、本書は大熊さんの本以上に手書きの大切さを訴えた本である。
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