語る禅僧 の商品レビュー
まず、目次をじっくりと読みました。いかにも仏教という語句、また、これで何を語るのか?という語句。 いろいろと並んでいます。その雑多な感じは戸惑いを覚えるほど。 全編を読み終えて、目次を読み返した時、全てが心の奥にまでしっくりと降りてきました。 何故にか如何にか 生と死と生死 し...
まず、目次をじっくりと読みました。いかにも仏教という語句、また、これで何を語るのか?という語句。 いろいろと並んでいます。その雑多な感じは戸惑いを覚えるほど。 全編を読み終えて、目次を読み返した時、全てが心の奥にまでしっくりと降りてきました。 何故にか如何にか 生と死と生死 しょうがないなあ 言い換えてみよう などなど 挙げてしまうと他はどうなの?と言われそう。 全ての語句が訴えるものがあって、そこにありました。 アメリカ安居体験記も含め、 全てが、禅 と言うよりも、仏教への登り口、 多様な道筋を示してくれているように読みました。 他の著書の中で、お父様との会話が書かれて、その内容に頷きながら、素敵だと思っていましたが、この度示されたお祖父様との関わりは、衝撃を受けながら頷き、そして、考え込みました。 いつでも迷った時には、どこでも開けばヒントを貰えるように思いました。 本棚に入れずに横に置くことにします。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
南直哉先生の最初期の一般向けのエッセイにアメリカ滞在記を組み合わせたもの。 エッセイと言えど、そこには南先生の思想が十二分に詰まっており、ほぼすべてのページに胸を打つ言葉がある。 あとがきで語られているように、本書はその後の著作や思想の原型になる物であり、時々戻るものである位置づけの本との事。 その言葉通り。何度も何度も読み返したくなる本である。老年に至るまで持っておきたいと思える非常に示唆に富む良い本であった。
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「他者との関係の中で織り出されてくる社会的な役割としての「私」、それを「私」として口に出して言い、その言葉に意味を感じているというそのことーここに生じているズレ、このズレが引き起こす「今の私は本当の私ではない」という疼痛のごとき苛立ちに耐えて行くこと、それが私がいるということであ...
「他者との関係の中で織り出されてくる社会的な役割としての「私」、それを「私」として口に出して言い、その言葉に意味を感じているというそのことーここに生じているズレ、このズレが引き起こす「今の私は本当の私ではない」という疼痛のごとき苛立ちに耐えて行くこと、それが私がいるということである。大事なのはズレをなくすことではない。そうではなく、ズレの調節である。ズレると言う事実が教える「私」の無根拠さを覚悟して、それが成り立つ条件を明瞭に見極め、しかる後に他者との関係から次の「私」をもう一度手作りしていくこと、この反復によって自己という振る舞いを充実し続ける事、それが自己をならって自己を忘れることである。あえて言うなら「成仏」する道はこれ以外にない。」214-215p
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仏教界随一の理論派の、デビュー作がこれだったのね。 デビューという気負いはあまり感じられず、いつものシャープな文章。
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半年ほどかけて、ようやく読了。面白くなかったわけではなく、脳が欲求したときに読んだので時間がかかっただけ。ただの、宗教解説本ではなく、筆者がなぜ仏教を選んだのか、の話。
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ドグマを作らない宗教者の語りという印象。宗教という絶対を持ちながらも考えることをやめない姿勢に感銘を受けた。
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著者の実体験に基づく言葉は心に染みた。 「自由とは?」「充実とは?」今、まさに自分が自問自答している問題に対して新たな視点を与えてくれた。何度も読み返したくなる一冊です。
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恐山の南直哉さんが語る仏教の考え方。この手の本にありがちな教義を大上段に振りかざした説教じみたものでは全くなく、目の前の自分と逃げずに向き合いしっかり悩むこと、そのとき、サポートしてくれるのが仏教の考え方だと語る。 ご自身が出家された経緯や、アメリカでの禅修業の体験記なども盛り込...
恐山の南直哉さんが語る仏教の考え方。この手の本にありがちな教義を大上段に振りかざした説教じみたものでは全くなく、目の前の自分と逃げずに向き合いしっかり悩むこと、そのとき、サポートしてくれるのが仏教の考え方だと語る。 ご自身が出家された経緯や、アメリカでの禅修業の体験記なども盛り込まれていて、親しみのわく内容。 初版が古書店で高値をつけていたことも納得できる、長く手元に置きたい一冊。
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氏の著作としては読み易く、興味ある方にはぜひ勧めたい。本編も良いが、今回の文庫化に伴って書かれたあとがきの次の一節に是非触れて欲しい。私はここで不覚にも涙がこぼれてしまいました。(以下引用) 「なぜ」が、〜中略〜対象を問いとして暴露しているのだ。
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