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指紋論 の商品レビュー

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9件のお客様レビュー

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2020/10/29

指紋の歴史を十年研究している著者によって人類の身元確認をめぐる歴史が通覧されていくが、とにかく奇譚に満ちている。禍々しくて次の頁をめくるのが怖いくらい。随分シンプルな表紙だと思っていたが、持ち歩くうちに自分の指紋汚れがくっきり付いていて、その意図にゾッとした。

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2015/12/30

本人認証が時代によってどのように変遷していったかという内容。指紋が刑事捜査に用いられるようになった経緯など正確な歴史学の記述法で描写される。心霊主義の合成写真によるエクトプラズムのような特異な事例についてもマジメに取り組んでいらっしゃいます。

Posted byブクログ

2012/10/30

バトラー=フーコー(そしてアルチュセール)の問題系である「主体化=従属化」を少し思い出した。 「私」という存在の認証は、どうしたってデカルト的思惟によっては達成されない。

Posted byブクログ

2012/10/26

〈私〉の「主観的」同一性の「客観的」物証としての〈指紋〉。指先とそれが触れそこに残された痕跡とに介在する「身元確認」の問題機制について、膨大な一次資料の丹念な読解により、写真・戸籍制度等他のメディア・他の諸制度との関係を重ね合わせ論述していく。 主客のあわいで痕跡として残された「...

〈私〉の「主観的」同一性の「客観的」物証としての〈指紋〉。指先とそれが触れそこに残された痕跡とに介在する「身元確認」の問題機制について、膨大な一次資料の丹念な読解により、写真・戸籍制度等他のメディア・他の諸制度との関係を重ね合わせ論述していく。 主客のあわいで痕跡として残された「指紋」は、松浦寿輝がスクリーン・プロセス-「スタジオで演技する俳優の背後に半透明のスクリーンを張り,そこに別の場所で撮影してきた画像を後ろから映写し,その全体を改めて撮影し直すことで,俳優がその場所にいるように見せかける特殊効果の技術であること」-を評した“「もっともらしさ」と「嘘臭さ」の均衡”を小さく体現していると言えるかもしれない。いずれも支持体にその「内側」からもイマージュを投影させ「外側」にそれを表象しているからだ。 スクリーン・プロセスの奇妙な物資的な感触(松浦の論述では登場人物たちが乗るタクシーの場面を想起することが求められている。)は、映画においてはときに「嘘っぽさの魅惑」を開花させるものではあるが、しかし、生体認証が幅を利かせ、生-権力が身体の包囲を続ける今、「指紋」はその「もっともらしさ」を増幅させ、不穏な未来を予兆させる。

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2012/02/07

「わたしは誰か」という主観的な問題を客観化する指紋認証。幽霊の指紋から始まる身元確認の歴史も面白い。指紋によって客観的に自分が「別の何者か」だと断定されてしまったら。反論する術が自分には分からない。

Posted byブクログ

2011/08/14
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

指紋同定の技術的な話を期待するとちょっと空振りで、指紋などを通したアイデンティティの文化論となっている。もともとは学位論文として提出したものをベースにしており、フランスものを中心に文献を引きながら19世紀後半以降、個人の同定がどのように行われてきたかが語られる。 都市化が進み、互いに面識のない者同士の社会になると、死体の同定の問題が出てきた。現代ではモルグというと死因の検索場所というイメージなのだが、かつては死体を公開し、知人を探す場所であったという。 また、累犯者には重い刑罰を科すようになると、過去の犯罪歴を記録する必要が出てきた。最初は焼印や刺青として、犯罪者個人にその記録が負わされていたが、身体への侵襲をさける風潮がすすむにつれ記録は本人が持つのでなく公的機関が保管するようになっていった。1900年頃になると、それまでの身体計測法(頭蓋骨の横幅などを元に分類していく)に代わって指紋法が採用された。が、指紋のパターンにはばらつきがあり、身体計測に比べてうまくいかないことも多かったという(例えば、弓状紋:蹄状紋:渦状紋は1:4:5のため、コンピュータが使えなかった時代のカード式分類では弓状紋の人は探しやすいが、渦状紋の人を探すには非常に効率が悪い。身体計測は各群で同じ人数になるように基準を設定すればよいので、こういう問題はなかった)。 現代の指紋分類は線の合流や途絶といった特異点(マイニューシャ)を同定することで一指指紋で個人が判定される。

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2011/02/11

へえ、そうだったんだ、と思うこともあって まあまあ。 人は指紋をとられるのをなぜ嫌がるか(実際、まだ経験はないけど) あの行為、なにかに押すというかそういう類がいやなんじゃないだろうか。 例えば、虹彩とかだとさほど抵抗はないのかな などとふと思った。

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2019/01/16

 犯罪科学についての地味な専門書と見まがうこのタイトルを見ただけでは、私は本書を手にすることもなかったに違いあるまい。しかし、著者である橋本一径の名を見つけたとたん、俄然これは読まねばという切迫した感情を隠すことができなくなった。映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」誌(現在...

 犯罪科学についての地味な専門書と見まがうこのタイトルを見ただけでは、私は本書を手にすることもなかったに違いあるまい。しかし、著者である橋本一径の名を見つけたとたん、俄然これは読まねばという切迫した感情を隠すことができなくなった。映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」誌(現在は存在しない)の編集委員仲間として、われわれは企画会議や食事の席でしょっちゅう顔を合わせていたし、実際その時代にすでに、彼が「指紋」という研究テーマに精力を傾けている事実を、彼自身の口から聞いていた。  そしてこの秋、ついにその注力の個人史が、この『指紋論 心霊主義から生体認証まで』(青土社 刊)という一冊の書物となって実を結んだ。私は、大いなる隔世の感と共に、本書のページをめくり続けた。そして、単なる仲間褒めではないとはっきり言っておきたいが、本書がきわめて興奮を掻き立てる充実した内容を有しており、良質なスリラー映画か、さもなければ、ジョゼフ・ロージーの『パリの灯は遠く』を見るような陰々滅々たる危機意識と共に読むべきものであることを毎ページ確認しながら、笑みを浮かべたのだった。「やったな!」という感じである。  ところで本書は、映画への言及がストイックに排除されている。19世紀末から現在まで、という本書の語るタイムスパンが、映画の歴史とぴたりと重なるにもかかわらずである。それだけに、本書執筆中の彼の内部で思い定められたであろう「映画の力に頼るのは、絶対にやめよう」という覚悟が、如実に感じられる。例外は、パリ市内の慈善バザー会場において、発明まもないシネマトグラフが発火し、大惨事となった経緯を語る章だけである。この火災事故で焼死した大多数の人の遺体は、原形をとどめぬほど痛ましく炭化した。そして歯科医による治療跡の照合が、遺体の身元を割り出すのに、功を奏したというくだりである。  ここで、だらしなく昔話に花を咲かせるならば、後期カイエのメンツでは、東大の人脈がひとつの系譜を築いていた。木下千花に始まり、常石史子、橋本一径、石橋今日美といった人たちの相次ぐ参加である。やや先行する私のように大雑把な世代にくらべて、彼らはおおむね、その論旨、筆法が厳密であった。ただ、彼らの多くは遅かれ早かれ、海外への留学を控えている身であり、1人また1人と抜けていく。これは、彼らのキャリアの発展にとって欠くべからざる必然であるが、同時に、度重なる人材の流出が、雑誌の委員会制を弱体化させた面がなきにしもあらずであった。  とにかく雑誌休刊後、私と彼は顔を合わす機会がすっかりなくなり、そのあいだ、たがいに10歳近く年を取った。そしていま、彼はここに、こういう答えを提示して見せた。これは負けられぬ。私は私なりに、そういうエネルギーをもらったのである。

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2010/10/31

「本書は2010年3月に東京大学総合文化研究科に提出された北支論文「指紋論 痕跡と登録:1880年から現代」をもとに、その序と結論を取り除き、全体に修正を加えた上で、新たな序と終章を書き加えたものである。」(p227)と改題している。 デジタルアーカイブでの参照資料のまとめかたが...

「本書は2010年3月に東京大学総合文化研究科に提出された北支論文「指紋論 痕跡と登録:1880年から現代」をもとに、その序と結論を取り除き、全体に修正を加えた上で、新たな序と終章を書き加えたものである。」(p227)と改題している。 デジタルアーカイブでの参照資料のまとめかたが参考になった。

Posted byブクログ