利休にたずねよ の商品レビュー
戦国という様々な欲望が顕現した世の中、ただひとつ、美のために命を燃やした男の物語です。章の流れが読者をどんどん引き込む良いアクセントです、良い本でした
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私はこの小説を読んで、これから木槿の花を見る度に、韓紅花の衣を纏った女を思い起こすに違いない。 一度読み終えて一晩高ぶる気持ちを反芻して、翌朝一から読み直した。 再読時には、各章のところどころに韓紅花の衣の裾が見え隠れしてどきどきした。 女が閉じ込められた土蔵を「なかに美しい命が隠されていればこそ粗土の壁が輝いて見える」これこそが利休の目利きの真髄で、ヴァリヤーノのいうところの「土くれの焼き物」に美を見出だす根源なのだろう。 宗恩は気の毒だと思った。もてなしの超人を、毎日暮らしのなかで満足させるのは、さぞや神経をすり減らすことだろう。 秀吉はおそらく、利休の美的感性に嫉妬したのではないか。そして私は、悲しいがその気持ちがよく分かる。 ブランドや高価か否かは無関係にその人が手掛けるもの、持ち物、組み合わせ方など、その美しさにはっとする感性を持つ人に時折出会う。 そしてそれらは、私が何時間考えたところで思い付くものではなく、さらにどんなに努力しても身に付けることは叶わないのだ。と敗北感を感じることがある。 秀吉は天下人である自分が手に入れられない、勝つことのできないものを持っている利休を許せなかったのではないだろうか。
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武士でもない利休が、なぜ切腹を命じられたのか? 茶道とはどういう物なのか? 美に対するとてつもないこだわり、矜持が利休にはある。 その根元にあるのが、若き日に出会った高麗の女性だったんですね。 おもしろかったです。
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タイトルの「利休にたずねよ」。読了した皆さんは何をたずねよ、だと感じたのか。 答えは様々なのではないか。そこがこの作品の面白さでもあるように思う。 ちなみに、文庫本解説の宮部みゆきさんは、「利休さん、あなたがもっとも深く愛した女性は、やっぱり宗恩ですね」だそうで。 私にはその視点...
タイトルの「利休にたずねよ」。読了した皆さんは何をたずねよ、だと感じたのか。 答えは様々なのではないか。そこがこの作品の面白さでもあるように思う。 ちなみに、文庫本解説の宮部みゆきさんは、「利休さん、あなたがもっとも深く愛した女性は、やっぱり宗恩ですね」だそうで。 私にはその視点はなかった!
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タイトルの真意だが、私は「本当の美なんて誰にも(利休にも)分からない」ということなのではないかと思った。 高麗の女が死んだあと、利休はこれから何のために生きるのか、死ぬほど悩んだのではないか。あの美しさを再現したいと茶の湯に励んでみたものの、絶対に再現などできないのだと半ば諦めに似た気持ちを抱えながら生きていたのではないか。 利休にとって、高麗の女はもはや概念としての美の象徴になってしまった。追いかけても絶対に掴めないのだ。利休に「本当の美って何ですか?」とたずねても答えは得られない。彼の人生を1つずつ追体験することで、その答えに近づくことはできたとしても。 それにしても、茶の湯って何なのだろうか?私の教養がないから分からないのかもしれないが、侘び寂びと言いながら名物にはやたらと高い値段をつけるし、詫びも寂びもなさそうな黄金の茶室が美しいとされるし、茶の湯に精進してそうな利休も秀吉も放蕩者だし。正直、飽くまでも金持ちの道楽なんだなぁと思ってしまった。こんなこと絶対に利休にたずねられないけど。 いつか私にも何か分かる日が来るんだろうか。黄金の茶室は佐賀県にあるみたいなので、1度見に行ってみようと思う。
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利休の侘び寂びを 生き生きとさせてるものは 19歳の頃 出会って逃そうとした高麗のお姫様への 情だったんですね。 憧れて逃そうとして 逃げられないとわかったとき 一緒に死のうとして 相手だけを死なせてしまった。 石見銀山入りの自分のたてた抹茶で。 その人の持ってた緑色の香合を 終...
利休の侘び寂びを 生き生きとさせてるものは 19歳の頃 出会って逃そうとした高麗のお姫様への 情だったんですね。 憧れて逃そうとして 逃げられないとわかったとき 一緒に死のうとして 相手だけを死なせてしまった。 石見銀山入りの自分のたてた抹茶で。 その人の持ってた緑色の香合を 終生持ち歩き 中に 自分が噛み切ったその人の小指だか爪だかが 入っている。 奥さんになった宗恩さんは 自分を抱いても他の人を想っている。 と思わせた 深い気持ち 利休が死んだ時 宗恩さんは その緑の香合を叩きつけて割る。 後書きで 宮部みゆきさんが 利休さん あなたがもっとも深く愛した女性は やっぱり宗恩ですね。 と書いてたけど 私は違うと思う。 自分が憧れて 自分の茶に毒をいれて殺した高麗の女性。 その人だけが 心の奥にずっといたんだと思うなあ!宗恩さんや生きてる女には勝てない争い 惚れるってこういうことなんでしょうね。
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くらくらする。宮部みゆきの巻末の解説を読んで、よりわからなくなる。 妬みや欲は誰しも持っている。それを志にまで昇華させることができると、表面上たおやかで凛とした佇まいになる。 利休自身がそうであったように、宗恩や高麗の女も、おそらく欲を昇華し無欲にみせることのうまい女だった。...
くらくらする。宮部みゆきの巻末の解説を読んで、よりわからなくなる。 妬みや欲は誰しも持っている。それを志にまで昇華させることができると、表面上たおやかで凛とした佇まいになる。 利休自身がそうであったように、宗恩や高麗の女も、おそらく欲を昇華し無欲にみせることのうまい女だった。だから、互いに惹かれ合い、ただ実の心を見せることはできず離れ離れになってしまう。50いくばくかになって、しっかり恋をする利休や宗恩が美しかった。 利休が最後に腹を切ったのは、秀吉への抗いではなく、高麗の女を裏切ってしまったあの時に報いるためだったのではないか。利休はなぜ死んだのか。それが、題名の問いなのではないか。血の海にゆったりと白布をかける宗恩の姿が目に浮かんだ。 私は、死ぬ時に(死ぬ時に限らずとも)他の女のことを少しだって考えていられたら腹が立つ。後悔する気持ちも、過去においてきてほしい。そう思うのは心が女なんだろうか…
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「利久にたずねよ」山本兼一著 秀吉の命で切腹させられた千利休の切腹から19の時の言葉も通じない高麗からさらわれてきた女との恋を時間を遡るような書き綴っている。 千利休がどれ程の美を追求したか、秀吉が利久の才覚を妬み死に追いやったかを小説にしている。 千利休は秀吉を品のない人...
「利久にたずねよ」山本兼一著 秀吉の命で切腹させられた千利休の切腹から19の時の言葉も通じない高麗からさらわれてきた女との恋を時間を遡るような書き綴っている。 千利休がどれ程の美を追求したか、秀吉が利久の才覚を妬み死に追いやったかを小説にしている。 千利休は秀吉を品のない人間と認識していたが、「人をとろかす魔力がある」と書いてます。恋も茶道も美学として作者山本兼一は捉えている。 解説で宮部みゆきは利久に多くの恋をしたが本当に愛したのは宋恩(最後の妻で後妻)と言っているが僕は19の時の高麗の女じゃないかと思う。
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なぜ戦国時代に武力社会と対極にある静の文化、茶の湯がもてはやされたのか、そしてその中心人物とされる利休とは一体何者だったのか? 作者独自の視点で利休が自害するまでの経緯が解き明かされる意欲作で、第140回直木賞受賞作品。 本書には工夫がある。まず、秀吉から切腹を命じられる場面から...
なぜ戦国時代に武力社会と対極にある静の文化、茶の湯がもてはやされたのか、そしてその中心人物とされる利休とは一体何者だったのか? 作者独自の視点で利休が自害するまでの経緯が解き明かされる意欲作で、第140回直木賞受賞作品。 本書には工夫がある。まず、秀吉から切腹を命じられる場面からどんどん遡っていく倒叙法を採用している点、従って早くから利休が心底愛した一人の女の存在が明かされるが、そこまで辿り着くまでの長いこと、それだけにその女の登場には、「待ってました!」と膝を打つ。 また、「侘び寂び」という曖昧模糊とした概念を作者は本書のあらゆる場面で言語化しているが、それが取りも直さず権力者が茶道に傾倒する理由の説明にもなっている趣向。 そして白眉は、後半の「白い手」以後から始まります。明らかに小説としての面白度合いが違っており、作者自身が書きながら愉しんでいたに違いありません。 最後に蛇足、本書の解説は宮部みゆき氏ですが、宮部氏が願望を込めて言うように「利休が最も愛した女性は宗恩」ではなく、やはり高麗女でなければなりません。人は、存在しないものに余計に執着し、勝手に心中で美化する生き物だからです。とはいえ、肌身離さず利休が持っていた莫大な価値の高麗女の忘れ形見、緑釉の香合を躊躇なく粉々に砕いた宗恩の気持ちを考えると、「利休を最も愛した女」なら宗恩で間違いないでしょう。
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