吉原はこんな所でございました の商品レビュー
吉原関連本を読み倒したくなった。 引き出茶屋、幇間、耳にしたことがない言葉の意味を知る。 戦後1年間は米兵専用の慰安場所であったことも。 荒井一鬼さん作の「吉原今昔図」を見ながら、この小さい四角の中に今はもうこの世にいない、引き出茶屋の主人、女将さん、女中、芸者、幇間、花魁...
吉原関連本を読み倒したくなった。 引き出茶屋、幇間、耳にしたことがない言葉の意味を知る。 戦後1年間は米兵専用の慰安場所であったことも。 荒井一鬼さん作の「吉原今昔図」を見ながら、この小さい四角の中に今はもうこの世にいない、引き出茶屋の主人、女将さん、女中、芸者、幇間、花魁、貸し屋敷の主人、お内所、番頭らの姿が蘇り、彼らの声が聞こえてくるようだという筆者。 街の地図が生きているように感じる、という一文。 吉原を大事に大事に守ってきた人たちとは、江戸文化を繁栄させた立役者達でもあったのだと思った。 それにしても幇間(太鼓持ち)の方々。 「バカのメッキをかぶった利口者で、大臣とも乞食ともつきあえる男」 「お客様の素性、好み、性格など、たいていのことは初対面で飲み込むという、特別のカンをもっていました。」 自分の心にも留めよう。 桜川忠七「たいこもち」も読んでみたい。
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みをつくし料理帖を読んで 野江ちゃんのいる 吉原にとても興味を持ち 読んでみることにした一冊です。 花魁・太夫と呼ばれる女の子たちは、とても大切にされたんですね。 太夫と会う前に 芸者や幇間を呼んで「騒ぎ」をするとか、 太夫と会えても、「初回」「裏を返す」「馴染み」というしき...
みをつくし料理帖を読んで 野江ちゃんのいる 吉原にとても興味を持ち 読んでみることにした一冊です。 花魁・太夫と呼ばれる女の子たちは、とても大切にされたんですね。 太夫と会う前に 芸者や幇間を呼んで「騒ぎ」をするとか、 太夫と会えても、「初回」「裏を返す」「馴染み」というしきたりがあり、なかなか 仲良くはなれなかったそうですよ。 とても、興味深く読めました。 しかし・・・戦争ってひどいですね。(涙)
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吉原育ちの著者ならでは、といった本。廓のまちでどんな暮らしをしていたのか、本人の体験として書かれているので情景が浮かびやすかった。 内容は基本的に「吉原肯定」なので、あまり「影」の部分は書かれていないような印象。
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遊郭の外から見た哀れな遊女たちではなく、内部から見た生き生きした女性たちや遊郭、そしてそれが廃れていくさまが著者の実体験や著者が聞いた話をもとに書かれている。 とはいえ、やはり遊郭の女性は長生きできなかったという話は、生々しく、切ない。 著者の体験がメインでありながら、江戸時代の...
遊郭の外から見た哀れな遊女たちではなく、内部から見た生き生きした女性たちや遊郭、そしてそれが廃れていくさまが著者の実体験や著者が聞いた話をもとに書かれている。 とはいえ、やはり遊郭の女性は長生きできなかったという話は、生々しく、切ない。 著者の体験がメインでありながら、江戸時代の遊郭の制度についてなどデータも多く載せられている。 また、遊里特有のことば(「お職」など)が文学作品中に出てきても、この本を読んでおけば、一通り理解できるのではないかと思う。
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大正12年、3歳のときに吉原の引手茶屋の養女となってから、戦中、戦後、売春防止法施行など吉原の歴史をずーっとみてきた著者による思い出話。吉原の様子が事細かに描かれていてとても興味深いけど、基本的な立ち位置が”吉原肯定”なので、現代女性の私としては違和感を覚える。
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はあ、なるほどねー、と思う部分と、そうは言ってもねえー、と思う部分と。 良き時代の良きユートピアとばかりも思えないが、吉原の中の日常を綴る気負いのない文章には好感が持てる。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
吉原という一つの街の文化の本。 非常に興味深い史実がしるされている。 吉原にいくこと。母親はつらい目に合わせると涙を流すが、本人は腹いっぱいごはんが食べられ、きれいな着物を着れ、むしろでなく、綿の入った布団に寝られることがありがたく、弟や妹たちにも貢献でき、父親のほっとした顔をみれ嬉しかったりしていた。 山形県から二千人あまりの娘さんが娼妓になり、年頃の娘さんが村から消えるということが実際に起こっていた。
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江戸からの引手茶屋から料亭へ、更にはとバスツアーの花魁ショーまで手がけた女将の半生記がそのまま各時代を反映した遊女考になってて面白く読める。 終章はもの哀しくてジャック・フィニィ的ノスタルジアを想起した。
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今はもう無い吉原のお話。 可動式の並木とか、街自体が斜に作られているのは北枕を避けて「どこにも真北に向かった部屋ができないよう」にしているから、とか自治と警察の管理の微妙なバランスがあったとか、三業の役割分担とか、街自体の仕組みが面白い。 著者がいうように「夢を売るところだった...
今はもう無い吉原のお話。 可動式の並木とか、街自体が斜に作られているのは北枕を避けて「どこにも真北に向かった部屋ができないよう」にしているから、とか自治と警察の管理の微妙なバランスがあったとか、三業の役割分担とか、街自体の仕組みが面白い。 著者がいうように「夢を売るところだった」という一面はあるにせよ、これも著者がいうように「花魁が長生きしたという話をあまり聞いたことが」ない厳しい世界だったのも事実。 それだけに、地方から売られてきた花魁と兵隊に行かされる(おそらくは)地方の農家の次男や三男との間で心が通じたというエピソードには重みがある。 遊郭がなくなるのは時代の必然かもしれないが、「花魁が匂うような牡丹なら、芸者は、凛とした竹」の芸者や「大臣とでも乞食とでもつきあえる男」の幇間の芸の世界も、遊郭もろとも消えてしまったのは惜しいような気もする。 もっとも、身売りされる子供がいなくなったと同時に、粋に遊ぶお大尽ももういなくなってしまったのだから、それも仕方のないことなのかもしれない。
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伝統が喪われていく様は切ないですねぇ…。 解説で猿若清三郎さんがおっしゃっている通り、杓子定規に善悪を決めてかかるのは本当にどうかと思う。悪所というものを、それをそのまま悪所として置いておけない文化は狭量だと。
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