思考のレッスン の商品レビュー
715 ジョー ンズは『日経サイエンス』(一九九一年一月号)に大発見にいたる思い出話を書いていま すが、自分の狭い専門分野だけに閉じこもっていたら埒が明かなかった。ジョーンズは、 自分とはまったく違う専門分野の人のところにアドバイスをもらいに行ったんです。 自分の守備範囲だけで...
715 ジョー ンズは『日経サイエンス』(一九九一年一月号)に大発見にいたる思い出話を書いていま すが、自分の狭い専門分野だけに閉じこもっていたら埒が明かなかった。ジョーンズは、 自分とはまったく違う専門分野の人のところにアドバイスをもらいに行ったんです。 自分の守備範囲だけではどうしようもなくなったときに、別の専門分野の人のところへ 勉強するんですね。そうすると別の分野の知見が融合されて、突破日が生ま 9自分の得意分野からでて探検に行くことによって、未知の世界が自分よ 新しいものがでてくるんですよ。 科学もプロとアマとでは大違いであるように、文章もプロとアマの差は大きいのです が、残念ながら、読者に伝わる文章という観点が、日本の科学者には欠けているんです。 科学雑誌が売れない一つの原因になっていると思います。 数学、物理の分野では天才がある発見をしたときには、よくあることなんです。だから 大きな業績を残す人は、実は専門バカではないんです。自分のテリトリーを広げてチャレ ンジを続ける「冒険者」なんです。 期だけに閉じこもっていれば、時間もかけられるし学校の成績もい ませんが、世界は狭いまま。そこに閉じこもっていると、子どものころは神童だったのに 大人になったら普通の人になってしまう。 秀才と天才の差は、ここら辺にあるのかもしれませんね。 科学の二つの敵―-第一が宗教右派で、第二が 環境左派と呼ばれるグループーとです。宗教右派というのは、キリスト教原理主義の人 たちなんです。この人たちは、『聖書』の内容がそのまま現実に起きたと解釈するグルー プで、キリスト教全体から見ると異端で少数派に属しますが、アメリカではそれなりに勢 力が強いんですね。 科学だけが絶対的に正しい価値観だとは言わない。複数の価値観があるけれじ という価値観を守らなければならないという自覚があるんです。 また環境左派と言われる人たちも科学の敵です。この人たちは「自然のままであれ」と 主張して、遺伝子操作などにことごとく反対するんです。
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一芸に秀でていなくても何にでも興味を持ち一通りのことが出来る器用貧乏人:ルネッサンス人のほうが今の時代つぶしがきいていいんだって!
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前半 竹内氏のエッセイ 後半 竹内氏、茂木氏 対談 自分は理系で理系だからこそ面白いと思えた気がしているが、 文系理系の境界線、すべての境界線が意味のないもの 日本人の固定観念の馬鹿らしさ
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ついついタイトル、デザイン、著者で本を偶有的に選んだ一冊。 タイトル通り思考方法やテクニックを伝えるための本かと思ったがそうではなかった。 著者のこれまでの経歴や経験に基づいた話や学問の話、茂木健一郎さんとの対談を通じた物事に対する見解や知見がまとめられている。 ・定量、定性での...
ついついタイトル、デザイン、著者で本を偶有的に選んだ一冊。 タイトル通り思考方法やテクニックを伝えるための本かと思ったがそうではなかった。 著者のこれまでの経歴や経験に基づいた話や学問の話、茂木健一郎さんとの対談を通じた物事に対する見解や知見がまとめられている。 ・定量、定性での物事の考え方 ・科学の話 ・ヨットの絶対壊れないモーターの話 が面白かった。 一つの専門性ではなく多芸であれ。 枠にとらわれるなとのメッセージ。
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期待はずれだった。もっと踏み込んだ内容かと思っていたのに残念。突然、対話形式になり、読みにくかった。
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科学作家の竹内薫と、脳科学者の茂木健一郎の対談を書籍化したもの。序盤は竹内氏の「理系と文系の壁」「科学的にモノを見ること」「社会のからくりを解くこと」についての自論が披露され、その後茂木との対談に入っていく。 対談は、「ルネサンス人」と自称する二人の社会に対するスタンスについ...
科学作家の竹内薫と、脳科学者の茂木健一郎の対談を書籍化したもの。序盤は竹内氏の「理系と文系の壁」「科学的にモノを見ること」「社会のからくりを解くこと」についての自論が披露され、その後茂木との対談に入っていく。 対談は、「ルネサンス人」と自称する二人の社会に対するスタンスについて。「ルネサンス人」=境界人、科学や芸術など特定の分野に縛られず何でもやる人。なぜ二人は、特に組織に属さず、あくまでも独立闊歩の道をゆくのか?以下はその点に関して、自分の印象に残った話。 ▼脆弱性(心斎橋のホームラン王) あるTV番組で、茂木は「心斎橋のホームラン王」と称されるおじいさんを取材した番組を観た。毎日の夕方、心斎橋にあるバッティングセンターに現れ、100発100中で「ホームラン」の的に打球を命中させ、帰っていく。そのおじいさんがポツリと一言、「あのバッティングセンターは経営不振で閉鎖される」と。 おじいさんはバッティングセンターを失うと、「心斎橋のホームラン王」という肩書も失う。しかしこれはおじいさんの話だけではなく、政治家、企業に勤める人々など大体の「社会人」に当てはまる。つまり、今自分に肩書を与えている場所がずっと存在し続ける保証なんてないのだと。この「脆弱性」に対し、人々はあまりにも意識薄弱すぎると茂木は指摘する。だから茂木は、境界人というスタンスをとる。それは今の世の中では非常に難しいスタンスだが、他業界の人々と仕事ができるくらい守備範囲を広くもち、かつどんな人と相対しても自分の基準で判断しながら対話をできるよう、独自の価値観を磨いているのだと。 「組織に属して失敗するのがコワイだけじゃん」とも捉えてしまいそうだが、おそらくイイタイコトは「境界人自慢」ではなく、とにかく身辺のリスクを自覚して、安穏とせず勉強した方がいいよ、ということだと思う。自分を振り返っても、給料も寮も日中過ごす場所も、全て会社に保障されているものであり、これらを突然失った時、自分は立って歩けるのか。「自分を磨く」って、何のために?って思うけど、脆弱性を認知して受け入れ、克服する力を磨くことなんだろうなと思う。 しかしそんな茂木にも、脳科学という図太い基軸がある。この基軸があっての、境界人的な活動なのだと思う。最近ビジネス誌等で「グーパーチョキ戦略」っていう経営戦略を耳にするが、茂木はまさに個人でこれを体現した人だろう。まずは「これについては私は特に詳しいです(自分にとってはIT)」っていう分野を作り(グー)、それを基に多業界とのコラボを図り(パー)、そして選択と集中を再度行う(チョキ)。まずは自分の基軸を造りたいものです。
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理系でもあり文系でもある親友同士の著者の本。 自分もレネッサンス人(境界人)みたいな人間になれたらなあ。一芸よりもそっちのほうが面白い気がする。 久高島の話がちょっと面白かった。そんな島があるのか。白い石を持って帰っちゃだめなんだとか。
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「99.9%は仮説」の著者による「思考」についての本。脳科学で有名な茂木健一郎先生と同じ大学の出身なんだそうだ。内容は「ふ〜ん、そうなんだ。」と思いはしたが、あんまり印象に残らなかった。
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確かこの本を買ったのは、Vabel Conferenceに茂木さんが出るからだった。途中まで読んで、しばらく放置してたので改めて読んだ。 本の半分は、竹内薫の原稿、残り半分は、茂木×竹内会談。 自分の周りに円を描いたとき、自分自身が円の内側にいるのか、外側にいるのか考えてみよ...
確かこの本を買ったのは、Vabel Conferenceに茂木さんが出るからだった。途中まで読んで、しばらく放置してたので改めて読んだ。 本の半分は、竹内薫の原稿、残り半分は、茂木×竹内会談。 自分の周りに円を描いたとき、自分自身が円の内側にいるのか、外側にいるのか考えてみよ、という話に象徴されるように、常に広い視野で事象をとらえる必要があることを説いている。 この本を読んで、思ったこと。 本って、知識や思考を広くするために読んでいるようでいて、実は、自分が信じていることに対して更にその意味付けを行うために読んでいるのかもしれない。気づかないうちに。
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