失われた時を求めて(1) の商品レビュー
酷暑ビブリオバトル2024 準決勝第1試合 2ゲーム目で紹介された本です。チャンプ本。ハイブリッド開催。 2024.8.12
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たいした読書家でもない僕が、なぜ、先日やっと吉川一義訳の岩波文庫版を読み終えたばかりの、この作品を読もうと思ったのか? ひとつには、高遠先生が「文学こそ最高の教養である」の中で引用していた 『プルーストによって開かれた感受性と知性とを使って、自分たちが生きている世界、自分たちの...
たいした読書家でもない僕が、なぜ、先日やっと吉川一義訳の岩波文庫版を読み終えたばかりの、この作品を読もうと思ったのか? ひとつには、高遠先生が「文学こそ最高の教養である」の中で引用していた 『プルーストによって開かれた感受性と知性とを使って、自分たちが生きている世界、自分たちの人生を見直しなさい』 (アラン・ド・ボトン『プルーストによる人生改善法』) という言葉に、蒙を開かれたような気がしたからだ。 この言葉を胸において、もう一度全巻を読んでみたい。とりわけ、「見出された時」を、と思ったのだ。 もうひとつの理由は、最近気になっているプルーストとヌーヴォー・ロマンの関係について、少し探ってみたいと思ったからだ。 僕ごときの半端な読者に何が分かるというものでもないだろうが、それでも自分の中に湧いた疑問を、自分なりに追いかけてみたいのだ。 今回は、本作と併せて、ナタリー・サロートやクロード・シモンなどの作品を読んでみたい。 夏休みは終わった。そろそろ宿題に取りかかるべき時だ。 とにかく読み心地が良い。 吉川訳と比べて傍注を減らして、割注で対応しているためかと思ったが、傍注の数はほぼ同じだった。 だとすると、図版の数だろうか? 吉川訳:29 、高遠訳:12。 どうやらこれのようだ。 吉川訳では、聞き慣れない固有名詞や絵画などを具体的にイメージするのに図版が大いに役立っていたが、その反面、視線の運動が中断されてしまっていたのかも知れない。 マドレーヌが引き起こす無意志的記憶のくだりや、輝かしきジルベルトの登場シーン、その数十ページ後には、おぞましいヴァントゥイユ嬢の愛欲シーン、マルタンヴィルの鐘塔の美しい描写など、この巻には読みどころが多い。 最初は、それらの文章を引用したいと思っていたのだが、読み終えて一番気になったのは、亡きヴァントゥイユ氏に想いを寄せた次の文章だった。 『母は、老人となったヴァントゥイユ氏の晩年ずっと変わらなかった苦悶に満ちた顔を思い浮かべた。ヴァントゥイユ氏が晩年の全作品(年老いたピアノ教師にして村の以前のオルガン奏者の残した哀れな楽曲—想像するに、それ自体はたいして価値がないとはいえ、娘のためにそれらを犠牲にする前はそれこそが彼の生き甲斐であり、すこぶる大きな意味を持っていた作品だったのに、大部分はメモすら取られずただ彼の頭のなかにだけ存在していたに過ぎず、いくつかは、ばらばらの紙に記されたもののほとんど判読不能で、世に知られないままになってしまうであろう楽曲)の清書を永久に諦めたことを母は知っていた。』 芸術に人生を賭けることの栄光と悲惨。この部分を書いたとき、プルーストは、 自らの選択の裏側を覗いていたのではないだろうか? そして、浮き世(憂世)に咲く金、愛、権力などへの欲望の花々、それらがすべて萎れ、色褪せたとき、再び彼は書くことを見出したのだろうか? いや、そうではあるまい。彼は知っていたのだ。すべての花々がいつかは萎れてしまうことを。 今回は、読友さんにならって、巻末の読書ガイドを読む前に感想を書いてみた。 確かにこの方が、潔い感じもするし、誤読の羽根を好きなだけ伸ばすことができるような気がする。 一方で、読書ガイドを読んではじめて、高遠先生が翻訳で心を砕かれた点や先生の翻訳の心構えを知り、自らの不明を恥じる思いだ。 やはり、この本の読み心地の良さは、先生のご苦心の賜物であったのだ。 読書ガイドからも引用しておきたい。 『しかし、(略)重要なのは(略)、なるべく多くの読者にプルーストに親しんで頂くことであり、可能な限り正確で、的確な表現に支えられたプルーストを日本語で織り上げることである。 —中略— 私は覚悟を決めた、先達への敬意を失わず、しかも、プルーストだけを見据え、プルーストだけに誠実でありつつ、この全訳を続けていこうと。』
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ドストエフスキー五大長篇を読み終えた今、「世界一長い小説」に挑戦して見るのは今ではないか?と思って読み始めたものの、読み難い。。 そして、光文社古典新訳文庫は6巻で中断したまま、完訳するのかよく分からないと知って、このまま読み進めたものか、悩み始めた。 マドレーヌを紅茶に浸し...
ドストエフスキー五大長篇を読み終えた今、「世界一長い小説」に挑戦して見るのは今ではないか?と思って読み始めたものの、読み難い。。 そして、光文社古典新訳文庫は6巻で中断したまま、完訳するのかよく分からないと知って、このまま読み進めたものか、悩み始めた。 マドレーヌを紅茶に浸して一口食べた瞬間から、幼少期のフラッシュバックが始まり、430頁後に、回想終了、という驚きの展開。 回想中は、場面は飛びまくり、壮大なまだら模様の上、ひとつひとつの描写はとても細かく、比喩の巧みさは世評の通り。ストーリーは特にない、といって良いのだろうか。 義妹曰く、2巻が一番ストーリー性はある、とのことなので、まず、次の巻までは読んでみようかな。
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高遠さんの訳と読書感のおかげで読めた 田舎(コンブレー)の風景がコロコロと頭の中で描かれたような気がする(特に植物) お母さんのおやすみへの主人公の執着がいじらしくもあり恐くもあった
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
私(語り手)の幼少期から物語が始まり、美しい風景描写、当時の貴族社会の人間模様、それらが語り手の世界のあちこちに漂っていてそれが順序関係なく語られていきます。 形式に慣れるのに時間がかかりました(´∀`)文章一つ一つは長いものの訳文は読みやすいです。訳者さんが粉骨砕身されたことがうかがえます。 内容を追っていくのではなく、内容に揺蕩うように読む、が正解なのかな。優雅な読書。 1つの出来事が起こると語り手はそこからどんどん自分の中の想い出を語っていきますが、私たちが読書中に「ああ、こんなこと私にもあったな。」と想起することに似ている気がします。 有名なマドレーヌのくだりはP116~P122です。一度やってみようと思います( *´艸`)
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マドレーヌを浸した紅茶の一口から、忘れていた少年時代の日々が色鮮やかによみがえる。あまりに有名なこの作品の醍醐味は、書き手の脳裏に次々浮かび上がる記憶の断片、全体として「コンブレーで過ごした私の少年時代」とでも題して時系列に出来事を並べることも可能かもしれないある時期の記憶を、あ...
マドレーヌを浸した紅茶の一口から、忘れていた少年時代の日々が色鮮やかによみがえる。あまりに有名なこの作品の醍醐味は、書き手の脳裏に次々浮かび上がる記憶の断片、全体として「コンブレーで過ごした私の少年時代」とでも題して時系列に出来事を並べることも可能かもしれないある時期の記憶を、あえて断片のままよみがえるに任せ、その、時空や地理の縛りを超えてひらひらと漂う「記憶」のよみがえる様それ自体を言語化しているという、他の作品では味わったことのない体験にあると思う。 旅先のホテルでふと目を覚ました時に感じる、自分の居場所が分からなくなる一瞬の戸惑い。寝室でひとり母の「おやすみのキス」を待つ、子供の頃の切ない寂しさ。コンブレーでの生活の大半を共に過ごした家族たち、時折現れる隣人たちのエピソード。春の輝きに満ちた散歩、山査子の生垣越しに出会った少女の記憶。高貴なるゲルマントの血筋へのあこがれ。 それらは、「私」の体験であり、記憶であるけれど、読んでいる私にとっても「知っている」感覚であったり、「思い出せる」感情だったりして、プルーストの筆がいざなうこの「未知の過去を思い出す」感覚に、不思議な感動を呼び起こされる。過去のいつか、何かの折に感じたはずの感覚、胸をよぎったはずの感情が、この本によって言語化され、強い共感と共に沁み込んでくる。それは読書体験の中でも特別な、「あちら/物語世界」に没入するのでも、「こちら/現実世界」を解明するのでもない、「あちらとこちら」の境界が限りなく曖昧な、不思議な浮遊感と現実感を同時に伴う体験で、読書というものの一つの究極の愉悦を教えてくれる。 長い物語全体の導入部とも言える、第一篇「スワン家の方へ」の冒頭、眠りをめぐる描写は、『失われた時を求めて』全体の中でも、個人的に特に好きな箇所。誰もが体験している眠りと目覚めという行為について、こんなにもくっきりと言葉で表現できる作家がいるとは!というのが、初めて『失われた時を求めて』を読み始めた時の、何よりの衝撃だった。戸惑い、寂しさ、あこがれ、凡人にはそんな言葉で丸めるしかない感覚、感情を、プルーストはどこまでも細分化して掘り下げ、言語化していく。『失われた時を求めて』を読むとき、そうしたプルーストの言語化能力、そのベースにある感受性と表現力、それらの豊かさ繊細さを堪能しながら、読者は自身の言語化されてこなかった感覚や感情を改めて味わうことができる。急いで読んではもったいない、時間をかけ、飴をなめるように言葉を味わいながら読み進めたい作品である。 ちくま文庫の井上究三郎訳(全10巻)で9巻まで読み進めていたけれど、この度、光文社の高遠訳で再読開始。香り高い井上訳の重厚さも好きだが、高遠訳では繊細なプルーストの表現を丁寧になぞりつつ、文章全体の流れが明確にされていて、とても読みやすい。プルーストならではの一つ一つの表現の的確さだけでなく、「私」がたどる記憶の旅、大きな物語としての流れがきちんと頭に入ってくるので、読みながら「…それで、今どういう場面なんだっけ」と立地点を見失うことがなく、一冊を読み切るために要する体力もだいぶ少なくて済む。高遠訳はまだ完結していないが、既刊分をゆっくり読み進めていきたい。
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恋人というのは、信じているさなかでも疑ってしまうものであり、その心を我がものにすることなど決してできない。 心理学の教科書には必ず、マドレーヌの香りで記憶がよみがえる箇所について言及される本書。一度は読んでみたく気軽に手に取ってしまったのだが、14巻まであるということで長い旅路...
恋人というのは、信じているさなかでも疑ってしまうものであり、その心を我がものにすることなど決してできない。 心理学の教科書には必ず、マドレーヌの香りで記憶がよみがえる箇所について言及される本書。一度は読んでみたく気軽に手に取ってしまったのだが、14巻まであるということで長い旅路になりそうだ。それにしても語りが長い。カラマーゾフもお喋りだと感じたが、こちらの方が勝ちかもしれない。そしていつの間にか違う話題になっている。普通なら結論のない話にイライラしてしまうところだが、そこは20世紀を代表する小説。いつの間にか引き込まれていってしまう。そして気づいたら同性愛の話になっていた!訳はすらすら読むことができる。解説も詳しいし、14巻まで頑張れそうな予感。
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『スワン家のほうへ』のまとめての感想を記す。集英社抄訳版読んだことがあるが、そのせいか難しい言葉も少なく、読みにくいとは感じなかった。訳者の言葉通りで、話の筋をたどるのが目的だとつまらなく感じるだろう。1日200ページのペースで読んだ。美術、音楽についての造詣が深く、小説とは思え...
『スワン家のほうへ』のまとめての感想を記す。集英社抄訳版読んだことがあるが、そのせいか難しい言葉も少なく、読みにくいとは感じなかった。訳者の言葉通りで、話の筋をたどるのが目的だとつまらなく感じるだろう。1日200ページのペースで読んだ。美術、音楽についての造詣が深く、小説とは思えなかったりする。伏線はもうどうでもいい。訳者が敢えて旧字体にこだわった漢字の選別基準が良くわからない。注といい、訳者のこだわりは相当なものである。なにはともあれ、4巻の刊行が待たれる。
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美しい描写とフランス的雰囲気を求める人には良いと思います。まさに、絵画の様な本です。 ただ、僕の肌に合わないようなので2以降の続きは読みません。・゜・(ノД`)・゜・。
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物語は、ある日語り手が口にしたマドレーヌの味をきっかけに、幼少期に家族そろって夏の休暇を過ごしたコンブレーの町全体の記憶が鮮やかに蘇ってくる、という「無意志的記憶」の経験を契機に展開していき、その当時暮らした家が面していたY字路のスワン家の方とゲルマントの方という2つの道のたどり...
物語は、ある日語り手が口にしたマドレーヌの味をきっかけに、幼少期に家族そろって夏の休暇を過ごしたコンブレーの町全体の記憶が鮮やかに蘇ってくる、という「無意志的記憶」の経験を契機に展開していき、その当時暮らした家が面していたY字路のスワン家の方とゲルマントの方という2つの道のたどり着くところに住んでいる2つの家族たちとの関わりの思い出の中から始まり、自らの生きてきた歴史を記憶の中で織り上げていく。 前々から挑んでみたいなとは思っていて、アニメ「サイコパス」に関連することをきっかけに頑張りました。うーん、やっぱり難しい気がする。あらすじというあらすじがあんまりなくて、プルーストの紡ぐふわふわした言葉の美しさや麗しさを楽しむ作品なのかなあと、私なりに納得。正直、当時の編集者が、起きてからぼーっとする時間の描写だけに30ページも費やすとかどうかしてるぜっていう考えるのもよく分かる(苦笑)他の訳よりはだいぶすっきりしているようですが、それでも長くて流れるような文章は独特だなあと思います。全巻読み進められる自信はあんまりない・・・。紅茶にマドレーヌをひたすって、私には考えられないんだけど、おいしいのかな?今度試してみます。
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