追跡!あるサハリン残留朝鮮人の生涯 の商品レビュー
サハリン残留コリアン問題について、はじめて学ぶ人に、ぜひおすすめしたい本。当事者の心に寄り添う文章はまるで小説を読むようでありながら、当時の政治的背景や、別の立場にあった人々の状況など客観的な説明を絶妙に織りこむ手法で、不条理で巨大な力に翻弄されながら生き抜いてきた個人の姿を、い...
サハリン残留コリアン問題について、はじめて学ぶ人に、ぜひおすすめしたい本。当事者の心に寄り添う文章はまるで小説を読むようでありながら、当時の政治的背景や、別の立場にあった人々の状況など客観的な説明を絶妙に織りこむ手法で、不条理で巨大な力に翻弄されながら生き抜いてきた個人の姿を、いきいきと浮き上がらせることに成功している。 「朝鮮併合」直前の1903年に慶尚北道に生まれた好潤(ホユン)は、農民から土地をとりあげ供出を強いる日本の支配下で生活苦に追い詰められたあげく、1939年、樺太の炭鉱での労働徴用に応じる。2年で契約は終わるはずだったが、会社は熟練労働者である好潤を帰国させる代わりに、家族を朝鮮から呼び寄せさせた。樺太では露骨な朝鮮人差別は少なく、また、戦争末期に強制連行された朝鮮人労働者に比べれば、圧力下とはいえ自分で徴用に応じた好潤一家の待遇は悪いものではなかったようだ。 ところが戦争末期の1944年8月、日本政府は樺太の鉱山閉鎖し、朝鮮人労働者を本土の炭鉱に強制配置転換する。この「二重徴用」により、好潤と長男の聖泰(ソンテ)は九州の炭鉱へ送られてしまう。一家が再びそろう日は、その後やってこなかった。 日本敗戦後の権力の交代と空白のなか、好潤は、聖泰を朝鮮に帰らせ、自身は残された家族と合流するため、樺太へ「逆密航」の旅に出る。寸断された鉄路をたどり、ソ連兵の目を逃れながらの緊迫に満ちた道程は、まるで冒険小説を読むようだ。 ここから一家の物語は、2人の兄弟、聖泰と泰植(テシク)への焦点を移していく。終戦時にはすっかり軍国少年になっていた13歳の泰植がはじめて経験した、日本人による迫害と、アイデンティティの危機。やがて冷戦構造が確立していく中で、韓国に帰った聖泰はキリスト教義勇軍として朝鮮戦争に参戦することに。一方、韓国への帰国を切望しながらも、北朝鮮と同盟関係にあるソ連体制下で生きのびざるを得なかった泰植は、国籍取得に悩み、切望した韓国への永住帰国を拒むことになるのだった。 2世代にわたる鄭一家の物語は、サハリン残留コリアンを一面的な「日本の戦後責任」の被害者として描くのではなく、日本による朝鮮の植民地支配から、東アジアに生じた権力の空白期がもたらした混乱、冷戦構造の確立、そして崩壊にいたる歴史のダイナミズムのなかで、所属する国をもたないという脆弱さゆえに過酷な運命に苦しみながら、主体的に選択を行ってきた存在として、想像力を駆使して描きだしている。たとえば、植民地支配下で民族差別と生活苦に追い詰められた一家が、なぜ労働徴募に応じ、やがてサハリンでの生活に希望を見出すようになったのか。韓国への帰国を切望していた泰植が、なぜ無国籍からソ連国籍を取得し、いったんは北朝鮮籍を得たのか、そして晩年にようやく訪れた永住帰国の機会をなぜ拒んだのか。1995年にようやく着いた政治決着には、永住帰国できるのは、1945年以前に生まれた者で、しかも夫婦でなければならないという、あらたな離散家族を生むような条件が付されていた。「支配」も「強制」も「人道」も「解決」も決して一面的ではないし、歴史の遺産はそう簡単にはなくならないのだ。 本書で初めて学んだ事実も多かった。戦後サハリンの朝鮮人社会で指導的役割を果たした「高麗人」たちは、スターリン時代に強制移住を経験しながら、ソビエト社会主義への忠誠を示すことで階層上昇移動してきた人々であり、同じ民族とはいいながら、教育程度も低く日本統治に馴染んできたコリアンたちを見下していたという。ソ連の統治下で安定した生活を送りながらも、自由のない生活を嫌い恐れていたコリアンたちの、それでも帰郷を切望する思い、ソ連に対する複雑な感情も興味深かった。
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まだここにも戦争が終わってないという事実。 重いな! その時代に生まれ、おかれた立場で 変わって来るんだな‼
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