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ヒコベエ の商品レビュー

3.9

16件のお客様レビュー

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2018/03/02

藤原さんの2歳から六年生までの ほぼほぼノンフィクションの物語です。頭もいいけどわんぱくで少し鼻持ちならない点もある幼少期を書かれていて楽しく読めた。母親 藤原ていの「流れる星は生きている」を以前読んで感激したけどその辺りの話とも繋がりがあって面白い。そして家族が子供の人間形成に...

藤原さんの2歳から六年生までの ほぼほぼノンフィクションの物語です。頭もいいけどわんぱくで少し鼻持ちならない点もある幼少期を書かれていて楽しく読めた。母親 藤原ていの「流れる星は生きている」を以前読んで感激したけどその辺りの話とも繋がりがあって面白い。そして家族が子供の人間形成にとても大きく影響するのだなぁと再確認もした♪ 新田次郎と藤原ていの次男 正彦さんのありのまま幼少期 です。

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2014/09/10

読んで良かった。品行方正な少年の物語。この少年が「若き数学者のアメリカ」のがむしゃらに突き進む青年に成長するのか、むふふ、なるほどぉ、という所感。主題が見えないまま、小学校卒業で終局。読み物としては、ちょっとダレてしまった。今年中にできるだけ多く、父君と母君の著書を読もうと思った...

読んで良かった。品行方正な少年の物語。この少年が「若き数学者のアメリカ」のがむしゃらに突き進む青年に成長するのか、むふふ、なるほどぉ、という所感。主題が見えないまま、小学校卒業で終局。読み物としては、ちょっとダレてしまった。今年中にできるだけ多く、父君と母君の著書を読もうと思った。特に「流れる星は生きている」。血縁知らんかった。

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2012/06/18

新田次郎・藤原ていを両親にもつ数学者藤原正彦氏の自伝的小説。幼年期に満州から朝鮮を経由して引き揚げた壮絶な体験や戦後の貧しい暮らしのなか、逞しく楽しく過ごした小学生時代のことなどが語られている。ぼくは昭和28年の生まれだけれど、確かにあの時代には、いまの時代にはないバイタリティー...

新田次郎・藤原ていを両親にもつ数学者藤原正彦氏の自伝的小説。幼年期に満州から朝鮮を経由して引き揚げた壮絶な体験や戦後の貧しい暮らしのなか、逞しく楽しく過ごした小学生時代のことなどが語られている。ぼくは昭和28年の生まれだけれど、確かにあの時代には、いまの時代にはないバイタリティーのようなものが社会に溢れていたように思う。現代の我々は失いつつある「人間らしく幸福に生きるための必須の価値観」のようなものが、読者に元気を与えてくれる作品。

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2011/09/05

藤原正彦を知ったのは「国家の品格」を読んでからだ。 しかも藤原ていと新田次郎の息子と知ったのもこの時だった。 朝鮮からの引揚げ、戦後の食うや食わずの貧乏時代。 楽しくて朝から晩まで遊びまわった小学校時代、 ヒコベエと同じように昭和20年時代を過ごしたので懐かしい思い出読み終わった...

藤原正彦を知ったのは「国家の品格」を読んでからだ。 しかも藤原ていと新田次郎の息子と知ったのもこの時だった。 朝鮮からの引揚げ、戦後の食うや食わずの貧乏時代。 楽しくて朝から晩まで遊びまわった小学校時代、 ヒコベエと同じように昭和20年時代を過ごしたので懐かしい思い出読み終わった。

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2011/03/05

いかにも昭和の子供という表紙の絵に惹かれた 満州からの引揚者だという ならばを母上藤原ていさんは亡き義母と同世代かも・・・ と 先に母上の本「流れる星は生きている」を読んだ (義母も二人の男児をつれて敗戦1年後に引き上げ 偶然義父も4年間のシベリア収容所生活を経験している)   ...

いかにも昭和の子供という表紙の絵に惹かれた 満州からの引揚者だという ならばを母上藤原ていさんは亡き義母と同世代かも・・・ と 先に母上の本「流れる星は生きている」を読んだ (義母も二人の男児をつれて敗戦1年後に引き上げ 偶然義父も4年間のシベリア収容所生活を経験している)   この本は「流れる星は生きている」の続編という形で伸びやかに書かれており 戦後の藤原家の状況がいっそう理解しやすかった  藤原家の母子はともに記憶力がすばらしい 母親譲りの負けん気の強さ 父親にしこまれた武士道精神 そして幼い頃から暮らしの中に数学的な発想がちらばっていてそれを感じるのも面白く 納得しながら一気に読み進んだ 

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2010/12/15

昭和の男の子のお話?単純にそういった気持ちで読み始めたらば凄い!大変失礼をいたしました。 数学の先生という認識しかなかったのですが、壮絶なあのシーンを体験され、あの有名な方の次男で、小学生時代にはあの先生に教わって・・・と驚くことばかり。 読後にすぐ「流れる星は生きている」を読み...

昭和の男の子のお話?単純にそういった気持ちで読み始めたらば凄い!大変失礼をいたしました。 数学の先生という認識しかなかったのですが、壮絶なあのシーンを体験され、あの有名な方の次男で、小学生時代にはあの先生に教わって・・・と驚くことばかり。 読後にすぐ「流れる星は生きている」を読み返してしまいました。

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2012/06/12

(2010.11.18読了)(2010.11.09借入) 藤原正彦さんの自伝小説です。「ヒコベエ」のヒコは、マサヒコのヒコです。藤原さんの幼き日の愛称だったのでしょう。 満州から引き揚げてきてから小学6年生までを綴っています。今まで、エッセイでいろいろ書いてきたことを一冊にまとめ...

(2010.11.18読了)(2010.11.09借入) 藤原正彦さんの自伝小説です。「ヒコベエ」のヒコは、マサヒコのヒコです。藤原さんの幼き日の愛称だったのでしょう。 満州から引き揚げてきてから小学6年生までを綴っています。今まで、エッセイでいろいろ書いてきたことを一冊にまとめたと言ったところでしょう。満州からの引き揚げについては、母親の藤原ていさんの「流れる星は生きている」から拝借、父親の新田次郎の作家デビューについては、父親のエッセイからでも借りてきたのでしょう。 妹の藤原咲子さんが、父や母について書いた本もありますので、使える材料は豊富です。 結構大変な生活だったと思われるのですが、実に元気に楽しそうに逞しく育った様子がわかります。 ヒコベエの父・藤原寛人(新田次郎)さんは、昭和18年に満州国新京の中央気象台に転勤となった。間もなくヒコベエが生まれた。 昭和20年8月9日、午前零時ソ連の大軍が怒涛の如く満州へ侵攻した。 10日の朝、列車で満州を脱出した。ヒコベエは2歳、兄は5歳、妹のサッコは生まれて一カ月だった。父は後始末のため後に残った。 母子4人は、北朝鮮で一年余り乞食のような耐乏生活をした後、昭和21年8月に覚悟を決め遮断されていた38度線を山越えで突破した。博多に船で渡り、故郷の諏訪についたのは、9月だった。父は一カ月遅れて帰ってきた。 父は間もなく東京の中央気象台に復職できた。東京に家族で住む場所が見つかるまでは、ヒコベエ達は、諏訪で暮らした。 昭和22年7月に東京に引っ越した。 ●三歳の留守番(20頁) 兄が中耳炎になり、母が一歳の妹を背負い兄を連れて病院へ行くので、三歳のヒコベエは、留守番をすることになった。母に布団を敷いてもらい、母が帰るまでの間、寝て待った。 ●おしょうしい(99頁) 長野の笹原というところでは、恥ずかしいというのを「おしょうしい」というらしい。 (僕の故郷は、岩手県の沿岸南部なのですが、同じ表現を使います。ちょっとびっくりしました。) ●朝鮮戦争(152頁) 「どうせ後ろについているソ連がそそのかしたんだろう。ソ連なんて言う国は世界中で一番信用できない国だ。昭和20年8月9日には日ソ不可侵条約を破っていきなり満州に侵入した国だぞ。お前たちだって殺されそうになったし、俺だって終戦後3カ月もたってからソ満国境へ連行されたんだ」 父は両眼を吊り上げた。 ●兄はヒコベエと一緒に歩きたくない(292頁) 物静かで穏やかで気取り屋のお兄ちゃんにとって、「ヒコベエと兄弟」と周囲の人に見られることは、何よりの屈辱だったのである。ヒコベエがお兄ちゃんの後について行こうとすると、全力で逃げ出してしまうのが常だった。 (2010年11月29日・記)

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2010/10/31

新田次郎・藤原てい夫妻の息子で数学者の藤原正彦氏の著作。 自伝のようなものはあまり好きではないけどヒコベエは知り合いに薦められて読んだら面白かった。昭和の子供達の無垢で頭の良いこと!感心。 貧しくても、人情味のある時代。生徒は先生に殴られても元気いっぱい! 福田先生の社会主義...

新田次郎・藤原てい夫妻の息子で数学者の藤原正彦氏の著作。 自伝のようなものはあまり好きではないけどヒコベエは知り合いに薦められて読んだら面白かった。昭和の子供達の無垢で頭の良いこと!感心。 貧しくても、人情味のある時代。生徒は先生に殴られても元気いっぱい! 福田先生の社会主義、父の教えの武士道、愛読書『クレオ』がヒコベエの基本思想となった。 執筆に懸命な父、あっけらかんとした性格の母、優秀な兄、小さな妹の5人家族。たくさんの面白いエピソードがあった。戦後の時代を家族に愛され、近所の人と助け合い、友達と共にあり…力強く生きた少年の物語。

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2010/10/12

藤原てい氏の講演会を聞いたのはもう二十年以上前のこと。 それから『流れる星は生きている』を読み衝撃を受けた。 御子息で数学者の正彦氏も軽妙な文体と共に ベストセラー『国家の品格』を読んだ。 今回も期待は裏切られない。 信州のお人だということも心惹かれる。 貧しくても、家族と共...

藤原てい氏の講演会を聞いたのはもう二十年以上前のこと。 それから『流れる星は生きている』を読み衝撃を受けた。 御子息で数学者の正彦氏も軽妙な文体と共に ベストセラー『国家の品格』を読んだ。 今回も期待は裏切られない。 信州のお人だということも心惹かれる。 貧しくても、家族と共にご飯が食べられれば幸せ、 そんな時代は確かにあった。 学校では、いじめっ子を止める正義派のボスも確かにいた。 貧しくても、みんな幸せそうだ……と言われた 日本人はどこに行ったの? 高度成長期に生まれ、バブルに浮かれた私は それを知る最後の世代なのだろうか。

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2010/09/28

新聞の書評を見た朝、図書館にリクエストを出した。恐らく1番乗り。 おすすめ! 戦後、満州から大変な思いをして、お母様とご兄妹と一緒に帰って来られた数学者・藤原正彦氏。 この方の書くエッセイなどはとても面白いので好き。 お母様が書いた本も以前読んですごい!と思ったけど、...

新聞の書評を見た朝、図書館にリクエストを出した。恐らく1番乗り。 おすすめ! 戦後、満州から大変な思いをして、お母様とご兄妹と一緒に帰って来られた数学者・藤原正彦氏。 この方の書くエッセイなどはとても面白いので好き。 お母様が書いた本も以前読んですごい!と思ったけど、これは息子さんである藤原氏が帰国後の「ヒコベエ」(自分のことだけど第三者のようにそう呼んでいる)の幼少時代の話を書いた本。 頭脳明晰な方だけど、小学校の頃は本当に毎日活発に遊んでいたらしい。でも小さい頃勉強なんかしなくても、持つものを持っている人はちゃんと進むべき道へ進めるんだなぁ~と。 記憶だけで書かれているわけではないと思うけど、本当に小学校低学年?と思うくらい大人びた人間関係だったり会話だったり。 実際大人びていたのかもしれない。 お父様の新田次郎さんとの会話が結構笑える。

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