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『教行信証』を読む の商品レビュー

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7件のお客様レビュー

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2022/05/19

「…ではないか」「…だろう」等、推察や推論で進められていくことに、初めは戸惑いました。しかし、このテーマでは仕方がないかもしれません。論としては辻褄が合い、納得できるおもしろさです。

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2020/01/31

『親鸞をよむ』(2007年、岩波新書)の続編というべき内容の本で、親鸞が『教行信証』において中心的なテーマとしたものはなんだったのかをさぐる内容になっています。 著者は『教行信証』の目標が、「「悪」を転じて「徳」を実現し、「信楽(信心)」の深まりによって「証」に至りつく」ことだ...

『親鸞をよむ』(2007年、岩波新書)の続編というべき内容の本で、親鸞が『教行信証』において中心的なテーマとしたものはなんだったのかをさぐる内容になっています。 著者は『教行信証』の目標が、「「悪」を転じて「徳」を実現し、「信楽(信心)」の深まりによって「証」に至りつく」ことだといいます。そこで著者は、とくに親鸞が『大無量寿経』において救済から除外されている「五逆と誹謗正法」の救いを『大般涅槃経』に求めたと主張します。 そのさいに著者は、親鸞の真筆とされる『教行信証』の「坂東本」で、「教」の巻の序文が書かれている「反古裏書き」に「阿闍世逆害」のエピソードが記されていることに注目します。これに関連して著者は、道元が北条時頼との対話のなかでやはりこのエピソードをとりあげていたことに触れ、血の惨劇の時代において武士の頂点に立つ時頼には深い悩みがあったのではないかと指摘し、親鸞における「末法」の時代感覚と共通する問題を見いだすとともに、阿闍世の救済という問題へと踏み込んでいったのではないかという議論が展開されています。 冒頭で、『教行信証』の序文と『古事記』の序文の比較をおこなうなど、トリッキーな議論の運びが目につき、なかなか本論に入ろうとしないことにイライラさせられてしまいました。

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2018/10/20

大無量寿経には悪人成仏には五逆と誹謗正法を除くとなっている。では、父王を殺して王になったアジャセ王は救われるのか?親鸞の思想を述べた教行信証を解説する。なかなか難しい。

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2016/06/08

「総序に読む二主題、一目標」.  類書は多い.しかし、総序の記載構造を親鸞の思想形成で、重要なプロセスの表明と読んでいる、ようでもある.  しかも『古事記』、『平家物語』、自著から末裔の蓮如に至る日本思想史上の枠組みにおいて、本書を理解しようとする意欲を示す. 洋上浄土・悪逆往...

「総序に読む二主題、一目標」.  類書は多い.しかし、総序の記載構造を親鸞の思想形成で、重要なプロセスの表明と読んでいる、ようでもある.  しかも『古事記』、『平家物語』、自著から末裔の蓮如に至る日本思想史上の枠組みにおいて、本書を理解しようとする意欲を示す. 洋上浄土・悪逆往生、悪を転じて徳をなすの正智  「二主題 一目標」とは、「洋上浄土・悪逆往生、悪を転じて徳をなすの正智」の思想.  『教行信証』は末法世界、無常観の時代に執筆される.その世、時代をうけてか『古事記』の文脈に「総序」の思想を位置づけ、他方で『平家物語』の無常観に距離をおきつつ、無常観の脈絡は蓮如の時代に「白骨の章」に顕現する、と説示. 原文307字、釈文572字  ネット情報ながら総序は、原文307字、釈文572字で構成.その短文に一章をあててる.読了はしていないが、本書の基調は、実にこの論説に込められているのかも.そうした思いをいだく、いわば迫力に本書ははじまる.(岩波2新書 2010年).

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2012/10/02

相変わらず枝葉が多い。あと議論を散漫にさせる問題提起がおおすぎる。もっと1つのテーマに絞って、ストレートに書くべき。わけても最初の古事記のくだり、中盤の道元のくだりは、削除を推奨。 ①親鸞は、『教行信証』で、極悪人の救済はいかにして可能かを考えた。 ②それまで『大無量寿経』を中...

相変わらず枝葉が多い。あと議論を散漫にさせる問題提起がおおすぎる。もっと1つのテーマに絞って、ストレートに書くべき。わけても最初の古事記のくだり、中盤の道元のくだりは、削除を推奨。 ①親鸞は、『教行信証』で、極悪人の救済はいかにして可能かを考えた。 ②それまで『大無量寿経』を中心に述べてきた論調が、「信」を論じるさいに『大般涅槃経』へと準拠する経典を切り替える。 ③その断然を切り結ぶことにより、親鸞は法然を乗り越えただけでなく、後の日本思想史に大きな足跡を残すこととなった。(これは明示的ではないけど) だいたいこんな感じのことを言っている。 浄土への往還(行き帰り)を論じる二種廻向の1つである還相廻向の論が、半ば途中で切るかのように、駆け足で終えられていること。地上における浄土の建国ことは論じにくいので、中途半端になるのは当然なのだろう、とうのが通常の考え方。

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2010/10/31

わかりやすく面白い。ただしそれなりの前提知識がいる。少し回りくどいきらいがあるが、親鸞の思考を教行信証とともにたどっていくという構成上しかたないかも。 著者 山折哲雄 目次 はしがき 第一章 総序 —主題と目標— 第二章 依拠すべき原点と念仏 —「行」から「教」へ— 第三章 ...

わかりやすく面白い。ただしそれなりの前提知識がいる。少し回りくどいきらいがあるが、親鸞の思考を教行信証とともにたどっていくという構成上しかたないかも。 著者 山折哲雄 目次 はしがき 第一章 総序 —主題と目標— 第二章 依拠すべき原点と念仏 —「行」から「教」へ— 第三章 難問に苦悩する親鸞 —「信」Ⅰ— 第四章 見過ごされてきた不幸な真実 —「信」Ⅱ— 第五章 未解決の課題 —「証」から「真仏土」へ— 第六章 幻想の浄土 —「化身土」— 第七章 葛藤と自覚 —「化身土」から「総序」へ— あとがき タイトルに見る謎 選択本願念仏集、正法眼蔵、立正安国論などとくらべて、「教行信証」は主題を表していない。たんなる目次のようなもの。目次をタイトルにしているようだ。さらに「教行信証」はもともと「教行証」だった疑いがある。なぜ「信」が追加されたのか。 二つの主題一つの目標 主題一、海の浄土イメージ 主題二、父殺しの悲劇と救済 (阿闍世) 目標一、悪を転じて徳を為す 古事記との比較はうがった見方に思える。帝皇日継(すめらみことのひつぎ)と先代旧辞(さきつのよのふること)という日本という枠の中での縦の系譜に対して、教行信証の「西番月氏(せいばんげっし)」と「東夏日域(とうかにちいき)」という横 (国際的な枠) を対比させている。インド、中央アジア、中国、日本の思想の流れを受け継ごうという話だ。 七高僧 龍樹、天親 (世親)、曇鸞、道綽、善導、源信、源空 (法然) を浄土の系譜とした。 まず無量寿経に依拠すると宣言する。無量寿経には法蔵菩薩の四十八願がある。その十八願の最後には、「唯除五逆誹謗正法」と続く。五逆の罪と正法を誹謗したものはこの救済から外されると言うこと。いわゆる「除外規定」。 これが問題になる。 涅槃教、観無量寿経にアジャセの物語が出てくる。王子が父王を殺して、自分が王位に就く物語。 アジャセのような極悪人は救われるのか。なぜか、その条件は? 長い思考プロセスを経て答えを導き出す。それは善知識 (導いてくれる人) との出会い、そして懺悔であるとした。 親鸞は法然の誠実な弟子でありそれは一生変わらなかった。しかし教行信証の内容は、法然の選択本願念仏集を乗り越える部分がある。この葛藤があったのではないかと筆者は言う。その葛藤故に、主題を明示したタイトルにせず、その施行プロセスの一部、教・行・信・証をタイトルにしたのだろうと。 筆者はその意味で、教行信証を未完の作と考えている。

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2021/06/24

教行信証とは、2つの主題、1つの目標を持つ しかし、内容は、親鸞が悩みながら書いたかのように かなり錯綜しているとのこと 大きなテーマは、悪人正機(5逆を行った悪人の救済) これは、浄土教の最大経典である大経の第壱拾八願の例外規定に対する、挑戦。観経、涅槃経を元に克服しようとし...

教行信証とは、2つの主題、1つの目標を持つ しかし、内容は、親鸞が悩みながら書いたかのように かなり錯綜しているとのこと 大きなテーマは、悪人正機(5逆を行った悪人の救済) これは、浄土教の最大経典である大経の第壱拾八願の例外規定に対する、挑戦。観経、涅槃経を元に克服しようとした。このために、仮の浄土を設定した。 【所感】 他力、縁を考え抜いた先には どんな悪人にも救いが必然。 そのために大経の例外規定への挑戦ということか。 繰り返しになるが、嘆異抄でも感じた、すべての人は極悪人だという感覚と、すべてに仏が宿るという感覚の先には、やはり全ての救いの必然という感覚になる。

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