日本沈没(下) の商品レビュー
1973年初版 カッパ・ノベルス 書き下ろし ミリオンセラー ベストセラー 第27回日本推理作家協会賞・第5回星雲賞(日本長編部門)受賞 第8回新風賞受賞 1973年映画化 1974年ドラマ化 再読 沈みゆく日本列島、迫り来る選択の時を前に 自分なら果たして何をどう選ぶのか ...
1973年初版 カッパ・ノベルス 書き下ろし ミリオンセラー ベストセラー 第27回日本推理作家協会賞・第5回星雲賞(日本長編部門)受賞 第8回新風賞受賞 1973年映画化 1974年ドラマ化 再読 沈みゆく日本列島、迫り来る選択の時を前に 自分なら果たして何をどう選ぶのか 半世紀に経てもなお、究極の選択を訴え掛けてくる作品 果たして未来は如何に
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2023年8月8日読了。関東で発生した大地震から、日本沈没までの期間は十か月と算出される。各国への移民受け入れに向けた外交交渉・各国の動きの中沈みゆく国内では住民の避難に向け自衛隊らの活動が続き…。上巻はあくまで前振りに過ぎなかった!恐ろしく濃密で目が離せない下巻、冒頭の首相の呻...
2023年8月8日読了。関東で発生した大地震から、日本沈没までの期間は十か月と算出される。各国への移民受け入れに向けた外交交渉・各国の動きの中沈みゆく国内では住民の避難に向け自衛隊らの活動が続き…。上巻はあくまで前振りに過ぎなかった!恐ろしく濃密で目が離せない下巻、冒頭の首相の呻吟からまさしく他人事でない…「十か月」という猶予期間を恨む・一瞬で沈んでくれるならあれこれ悩まずに済むものを、というのは(全くスケールが違うが)自分も人生で何回も経験してきた苦しみだったりする…。戦後の荒廃の記憶と復興のためわき目もふらず経済活動に勤しんできた日本国民の記憶が本作を通底して流れている(名もないサラリーマンの独白が重い)と思うが、アニメやマンガなど「Kawaii」文化で世界にそれなりに独自性を認められている今の日本が沈没するとなると世界はどう反応するのか、リメイク版を是非見てみたいものだ。
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上巻でのD-1=科学的調査と裏付け、が中心なのに対してこの下巻はD-2=政治、経済、国際情勢が中心になっている。 このシュミレーションが本当に秀逸だ。 D-1での科学的ロジックは、当時こそ最新だったプレートテクトニクスを拡大解釈し、不確実性を盾にかなり強引に理論武装したものであっ...
上巻でのD-1=科学的調査と裏付け、が中心なのに対してこの下巻はD-2=政治、経済、国際情勢が中心になっている。 このシュミレーションが本当に秀逸だ。 D-1での科学的ロジックは、当時こそ最新だったプレートテクトニクスを拡大解釈し、不確実性を盾にかなり強引に理論武装したものであったが、D-2のシュミレーションは現在でも通じるかなりリアルな展開と感じた。 もちろん冷戦下で、湾岸危機も、テロの脅威も現在のそれとはまったく異なる。民主主義が、自由主義が、国連の共通意識としての人権擁護がまだ青臭くも理想として表面的であっても残っていた時代ということだ。 しかし個人の傲慢や、マスコミの無責任や、野党の言説や、決定の損得過程や、対米のへりくだった在り方などは笑ってしまうほど変わっていない。50年近くたとうとも人間は進化しないし、意識や感情は退化することすらあり得るのだという現実に愕然とする。 現在の孤立主義の台頭、中国の躍進、テロの脅威、国際的な移民、難民問題、国連をはじめ国際機関の弱体化などを加え、インターネット、AI、通信の発達を要素としてリメイクしてほしい。小説は第二部として小松左京没後に編まれたようだが、このオリジナルが持つ緻密なシュミレーションには及ばないことは明らかに想像できる。もししっかりとした構築が出来ているのならば、下手をすると国際問題になり、発禁になるようなセンセーショナルな事件になったであろうから。 これこそ映画ではないか。シン・ゴジラが出来たのだから。是非見てみたいものだ。 と調べたら 湯浅政明監督のNetflixオリジナルアニメ「日本沈没2020」アニメだけど、いいよいいよ!お点前拝見。
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複数巻を平行に読破。とりあえず上下巻を終わっておく。 いよいよ切羽詰まってきた日本沈没へのカウントダウン。計算をし直すと、たったの2年足らずということが明らかになる。1億人の国民を逃がすにしても、航空機をたくさん飛ばしてせいぜい50万人。一方で、繰り返し起こる大地震に富士山を始...
複数巻を平行に読破。とりあえず上下巻を終わっておく。 いよいよ切羽詰まってきた日本沈没へのカウントダウン。計算をし直すと、たったの2年足らずということが明らかになる。1億人の国民を逃がすにしても、航空機をたくさん飛ばしてせいぜい50万人。一方で、繰り返し起こる大地震に富士山を始めとした火山の噴火。 上巻とうって変わって、ほぼ小野寺らの人間ドラマは描かれないのだが、かといって俯瞰、情景描写に終止するわけでなく、絶妙な距離感での描写が続く。 基本的にはあらすじで書いたように、実際にこういう状況に陥った際に、例えば国家としてどういう手を打つのかということや、国際情勢的にどういった反応があるのかを事細かに調査して書いた、思考実験である。 また、きちんとプロジェクトに関わる者としての守秘義務と親族への配慮とのせめぎあいなど、ミクロな視点も忘れていない。 日本は結局沈むのだが、例えばその際にロシアは冷淡に、ただし受け入れるというポーズを取り、中国は癖のある回答、それを受けてモンゴルが友好的な態度をとるが、韓国は「我々にも補償しろ」と迫るなど、実際の有事時に、現代でも起こりかねない反応が細かな設定とともに描かれているのは、最近のポッと出の作家にはできないだろう。 また、地震の描写なども、例の震災を我々が目にしているのもあるが、震度に対する被害状況と、人間の感覚(震度3~4は気にしなくなる)など、最近書かれたのでは?と思わせるような描写もある。1969年に書かれたんだよねえ?当時はそんなに地震はなかったと思うんだけど。 小松左京を知っている人にも知らない人にも代表作として認識されている本作。間違いなく代表作ですわ。これは。
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作中で何度も出てくる描写のひとつに、「軽く揺れたが、もはや誰も気に留めていなかった」というものがある。 日本が沈没するまでの過程で慢性的に地震が続くことに人々が慣れてしまっているということを表しているのだが、それが最近の状態に酷似しているようで背筋が寒くなる。 日本列島が地殻変動...
作中で何度も出てくる描写のひとつに、「軽く揺れたが、もはや誰も気に留めていなかった」というものがある。 日本が沈没するまでの過程で慢性的に地震が続くことに人々が慣れてしまっているということを表しているのだが、それが最近の状態に酷似しているようで背筋が寒くなる。 日本列島が地殻変動で沈没してしまう、という事態は絶対に起こらないとも言い切れず、沈没まではいかなくても、さまざまな変化が起きることは十分に考えられるのだ。 そうしたとき、自分はいったいどういう行動をとるのか。どういう行動をとるべきなのか。 この小説が書かれたのは1973年。物語の中心で動いている壮年の人間はみな、戦後の混乱を経験している。 1973年というのは今よりずっと戦後に近かったのだ。だから世の中の中心にいる人間の根っこには「あの戦争」の記憶が強くこびりついている。 小野寺は、いわゆる「団塊の世代」と呼ばれる世代になるのだろう。幸長は彼に「新しい日本人像」を見る。 この小野寺の世代が今現在、世の中のどの位置を占めているかというと、小説内でいう「高齢者」の世代になる。 同じ「高齢者」という言葉で表されながらも、その発想や行動は驚くほど違う。 小説の中の高齢者は、最期の時が来た時従容としてその運命を受け入れる。荒っぽい言い方をするなら、「若い世代に場所を譲る」とでもいうべき行動を取るのだ。 そのことがいいか悪いかはわからないが、少なくとも極めて「日本人的」と言われる行動であろうと思う。 時を経て、団塊の世代が高齢者となり、その子どもたちが世の中の大部分を占めるようになると、幸長が見た「新しい日本人像」はもっと先鋭化されていく。 2011年の今、この小説を読んでいると、「もし現在こういう事態が起こったとしたら、果たしてこんなふうに動いていくだろうか」と疑問を持たずいはいられない。 地球の歴史をみるとき大陸の創成は極めて当然の出来事のように見てしまうが、同じことが今起こったらとんでもなく恐ろしいことになるのだと改めて思う。もちろんその「恐ろしい」は人類が感じるだけのことなのだが。 そして、日本列島が消滅することで日本民族が世界各地に散らばることを余儀なくされ、世界の中で揉まれていく運命を受け入れて初めて日本人は成熟していくのではないか、という小松左京の願いを痛烈に感じる。 たぶん小松氏は日本民族をこよなく愛していたのだろうと思う。と同時にその幼児性に深く絶望していたのではないか。「いっそのこと帰る場所をなくして、否応なく成長せざるを得ない状態になってみろよ」と思っていたような気がする。そして相反する感情ながらも、その日本列島と心中しようと思ってしまう心理もちゃんと持っていたと思う。 このあとの、日本民族の流亡が読みたかった。小松左京は世界に散らばってしまった日本民族をどう描いただろう。 世界には国を、国土を失った民族がたくさんいる。それを思うと本当に日本は恵まれた国、国民なのだと痛感する。 なくなってしまった故郷にこだわらず、でも忘れず、どこにいても日本人であるという思いを抱いて生きていく、というのが本当のグローバル化なのかもしれない。 そういう日が、私の生きている間に来ないことを密かに願ってしまう私は、たぶん列島と運命を共にするか、もしくはその前に退場するべき人間なのだろうと思った。
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