本の虫ではないのだけれど(1) の商品レビュー
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日常を生きる力、日常の幸福に気づきいとおしむ心がぎゅっとつまっているような本。 清水さんの、自分の弱さや社会の弱さにも目を向けて生き抜く強い心の芯を感じる。 文学を通じて他者の言葉に感じ自分を省みる。そのように、自分と社会を繋げてくれる文学に私も出会い続けたいし、そのような良い読書体験をしたいなと思う。
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退屈だった。雑文の寄せ集めだからだろうか。清水さんの持ち味の深みがない。正確には初期の著作以上の「深まり」がない。 最期の『モモ』と『ゲド戦記』の比較に至っては、極端化しすぎで、それこそこぼれ落ちるものがたくさんある。物語を読むこと以上に深く読むことはない。深く読んだ人だけが読...
退屈だった。雑文の寄せ集めだからだろうか。清水さんの持ち味の深みがない。正確には初期の著作以上の「深まり」がない。 最期の『モモ』と『ゲド戦記』の比較に至っては、極端化しすぎで、それこそこぼれ落ちるものがたくさんある。物語を読むこと以上に深く読むことはない。深く読んだ人だけが読んだことを個性的に伝えられる。それは翻訳者であってもだ。 政治的な行動のところもなんだがうんざりした。動機は分かる。しかし、そこがいきなり九条の会!短絡的すぎるよ。 総じて図式的すぎる。
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著者の清水眞砂子さん、4月11日の朝のEテレの「こころの時代」に出ていました。 どのような方かというと、ウィキペディアでは、次のように紹介されている。 清水 真砂子(しみず まさこ、1941年5月27日 - 、正しくは正字の「眞砂子」表記)は、日本の翻訳家、児童文学研究者。青...
著者の清水眞砂子さん、4月11日の朝のEテレの「こころの時代」に出ていました。 どのような方かというと、ウィキペディアでは、次のように紹介されている。 清水 真砂子(しみず まさこ、1941年5月27日 - 、正しくは正字の「眞砂子」表記)は、日本の翻訳家、児童文学研究者。青山学院女子短期大学名誉教授。朝鮮生まれ。 1946年、内地に引き上げ、掛川で育つ。1964年静岡大学教育学部卒業後、県立島田高等学校の英語教諭となる、1968年より児童文学の翻訳を始め、1974年「石井桃子論」で日本児童文学者協会新人賞受賞。1976年青山学院女子短期大学講師、1980年助教授、1988年以降に児童教育学科教授。2010年定年退職、名誉教授。アーシュラ・K・ル=グウィン『ゲド戦記』の翻訳で知られる。ほか児童文学に関する評論もある。夫は科学技術ジャーナリストの菅沼純一。
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清水真砂子さんの 「言葉」に触れるたびに 「背筋をそっと伸ばしている自分がいる」 と話してくれた友人がいる むべなるかな である。
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エッセイとしては上質だと思う。ただ、ゆっくり読んでいたら図書館の返却日に間に合わず、残り20ページほどは読んでいない。
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「ゲド戦記」の翻訳者。大学教授でもあった著者の最後の講義内容、子どもに「イヤ」なことははっきりそう言えるようになりなさいと手紙を書いたり、昔話の「残酷さ」は心配する必要はないと言ったり、考えさせられる文章も多い。 児童文学者でもある彼女の子どもに対する思い、児童文学に対する思いが...
「ゲド戦記」の翻訳者。大学教授でもあった著者の最後の講義内容、子どもに「イヤ」なことははっきりそう言えるようになりなさいと手紙を書いたり、昔話の「残酷さ」は心配する必要はないと言ったり、考えさせられる文章も多い。 児童文学者でもある彼女の子どもに対する思い、児童文学に対する思いが、人柄とともに伝わってくる。本の紹介もたくさんある。
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ゲド戦記の翻訳者さんのエッセイ。 昔話には正体不明の怖さを感じていたのだけれど、なるほど、そういう怖さがあるのか。
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人柄と知性がにじみ出る文章。謙虚で、温かく、しかし辛辣でもある。 子どもを持たないからこそ、子どもの所作と表情に細やかに気づく人だと思う。退職される前に一度だけ、公開講義を聴きに行く機会があったのはとても幸運だった。手元に置き、折にふれ読み返したくなる本。
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「ゲド戦記」の翻訳者。児童文学にしなやかなまなざしを向け、日常の不思議におどろき、善き人たちとの邂逅をつづる著者のエッセイを、はじめて集成する。三十余年にわたり若い人たちに語り続けた大学での、「最後の授業」も収録(「BOOK」データベースより) 清水さんは、菅沼姓で児童文学の...
「ゲド戦記」の翻訳者。児童文学にしなやかなまなざしを向け、日常の不思議におどろき、善き人たちとの邂逅をつづる著者のエッセイを、はじめて集成する。三十余年にわたり若い人たちに語り続けた大学での、「最後の授業」も収録(「BOOK」データベースより) 清水さんは、菅沼姓で児童文学の講座を受け持っていました。 私は他学科だったにもかかわらず、一度だけ先生の授業を受けていた友人に頼み込んで授業にもぐりこませていただいたことがあります(先生、ごめんなさい)。 この本を読むと、その当時の事が様々と甦ると同時に、再び先生を目の前に授業を受けているような、そんな心持になりました。 子供に幸せを語る難しさとその尊さ。 真摯に語る先生の言葉を、もう一度胸に刻んでいきたいと思いました。
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清水さんの感覚が好きです。山田太一さんのお父さんの言葉もいい。私たちはひとりひとりuniqueな存在ですが、one of Themでもあるわけです。掛川にお住まいだとは知りませんでした。
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