私の日本語雑記 の商品レビュー
あとがきの、同じところを行きつ戻りつする杭につながれた犬の例えが面白い。たしかに、この本の中に限らず同じ主題を繰り返して書くこと幾たびにもなる著者である。しかし、その魅力がそれで減じるわけでもない不思議。 認知の順序に叙述する「五石六げきの法」を覚えておきたい。
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興味がある精神医学者として、私はこの人のいつも美しい文章に惹かれてきました。 この方が、文学部卒で、フランス語に通じて「ヴァレリー詩集」などの翻訳をしてい る人であるということは知りませんでした。この本を読んで、初めてこの人の深みを知った気がします。「裸」を美しくない言葉として、奥さんの発想で「一糸まとわぬ」と訳すというのは、ウーンなるほどというところです。 「まあまあ」「あのー」などを連発する日本人のプレゼンテーションの迫力なさを日 本人の優しさからくると 考える著者の考えそのものが非常に暖かみを感じさせてくれます。「というものである」「というわけである」「のである」の違いの説明などは、その後に続くメッセージを含んでいるという解説などは凄い!という感じです。日本人の特質がこのような微妙な言い回しの中にありますね。「何々ぞなもし」のその最たるものでしょう。 支配者のラテン語が廃れ、支配されたギリシャ語が残った理由は?も興味深いし、「屈折語」「膠着語」「孤立語」などという言葉の分類で、各国の語学の歴史を説明するのも納得です。
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選び抜かれた珠玉の文章はきらきらと閃光を発して、読む者は言葉を巡る万華鏡の世界を覗き込むことになる。精神医学者であるとともに、ヴァレりーやギリシャの詩の翻訳者としても著名な著者が、世界の様々な言語と比較しながら日本語と言語について多面的に論じている。人格形成期の言語体験や外国語...
選び抜かれた珠玉の文章はきらきらと閃光を発して、読む者は言葉を巡る万華鏡の世界を覗き込むことになる。精神医学者であるとともに、ヴァレりーやギリシャの詩の翻訳者としても著名な著者が、世界の様々な言語と比較しながら日本語と言語について多面的に論じている。人格形成期の言語体験や外国語の習得、詩を翻訳するという経験、臨床医としての現場での発見なども総動員される。18章からなるエッセイは、それぞれ短い文章から構成されていて読みやすい。 浮かび上がってくるのは、このエッセイ集が「間投詞」から始まっていることに象徴されるように、話し言葉へのこだわりである。日本語が膠着語であることから「対話性を秘めている」という指摘や、「もっとも元気な」連用形、「共同世界の伝統への繋がりを自然に示す」連体形、「主観的判断」を含む未然形といった、動詞の活用形をめぐる考察も面白い。「われわれはどうして小説を読めるのか」や「絵画と比べての言語の特性について」は、科学者であり詩の翻訳者でもある著者ならではの発想に溢れさながら<哲学的散文詩>を読んでいるような錯覚に陥る。 「世界の大部分が黙っていてくれるから、言語から成る小説も読めるのかもしれない」 「T・S・エリオットは、詩における意味は、それによって読者を油断させてその隙に本質的なものを相手に忍びこませるものと言っている。これは詩に限らない」 どうやら、著者は「日本語雑記」と言って読む者を油断させておき、実は私たちを言葉の迷宮へと誘うのが狙いだったらしい。
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雑記、と書いてあったので油断しましたがむつかしいです。 すごくわかりやすい文章なのですが、いかんせんテクニカルタームてんこもり。でもこれが、不思議に面白いのです。ふふふ。
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パラディグマ的選択 シンタグマ的選択 パレット 語と語文と文パラグラフとパラグラフ 文末のエコノミー
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精神科医であり名エッセイストとして知られる著者が、日本語について様々な観点から語っている一冊。いきなり「あー、」などの間投詞の役割から始まるユニークな日本語論で惹き込まれる。僕は訳詩者としての彼の実績はあまりしらなかったのだけど、詩を翻訳するとはどういうことかをめぐる数編のエッセ...
精神科医であり名エッセイストとして知られる著者が、日本語について様々な観点から語っている一冊。いきなり「あー、」などの間投詞の役割から始まるユニークな日本語論で惹き込まれる。僕は訳詩者としての彼の実績はあまりしらなかったのだけど、詩を翻訳するとはどういうことかをめぐる数編のエッセイは圧巻。あー、詩を翻訳する人ってこういう風に考えて詩人と対話しながら「文化移転」するんだーと新鮮だった。他では、「われわれはどうして小説を読めるのか」というエッセイも面白いし、いくつか文章作法についての章もあって、これは国語教師的に一読の価値あり、です。
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