異常とは何か の商品レビュー
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発達障害当事者として、ずっと「自分は異常だ」という自覚があった。しかしうまく言語化できず、周囲と馴染めず衝突し、迷惑をかけまくって孤立した。周囲からは「個性的だが普通の人」として「普通たれ」というプレッシャーがあったし、病識のない頃は自分で自分にも「普通」を強い、40年適応できず二次障害的な精神疾患も発症していた。 「異常」といわれるものは、時代や文化・見る方向などでいくらでも変化するというのは、経験から何となく知っていた。 本書では、いくつも具体的な事実を専門家の客観的な視点で語られていたため、しっかり納得できた。 何度も読み返したい。 自分や他人、思想や嗜好に対して「異常」などと軽々しく口にしないように、客観的で冷静な視点を自分の中に持っていたい。
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序章 異常とは何か? 第1章 異常と正常の倒置 第2章 異常と臨床 第3章 正常の過剰態としての異常 第4章 正常と異常のトポロジー 第5章 社会における異常と正常 終章 正常とは何か? 著者:小俣和一郎(1950-、東京都、精神科医)
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「異常」の定義づけを試みた一冊。 同時に「正常」についても定義づけをしていき、同一の対象が、ある時は正常である時は異常となる現象を中心にして、果たしてある客体が異常な状態とはどういう「状況」なのか、から異常性について紐解く。 異常とは、正常ではない状態ではあるのだけど、そもそも...
「異常」の定義づけを試みた一冊。 同時に「正常」についても定義づけをしていき、同一の対象が、ある時は正常である時は異常となる現象を中心にして、果たしてある客体が異常な状態とはどういう「状況」なのか、から異常性について紐解く。 異常とは、正常ではない状態ではあるのだけど、そもそもその正常とは時代によって異なるのはなぜか? それはイデオロギーとの関係、正常を過剰に推し進めた状態での異常、メランコリー型の社会というネイションとの関係など、様々な角度から説明を試みる点が(姿勢が)とにかく素晴らしい。
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正常と異常、これも状況によりけりで判断されるのかな。何を正常と位置付けるかで全てが変わるし、それを位置づける人がどうやって正常と異常を判断するのか。
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新書は難しい専門性の高い知見や話題を平明に広く還元することにその主眼があると思う。それを隠れ蓑に内容の薄い新書もあるがこれは違う。さにタイトル通りのことをいろいろと語っている。社会的な規範や慣習で決まってくる枠組みとその社会自体の移ろいにどういう分岐があったかそもそも今の認識はど...
新書は難しい専門性の高い知見や話題を平明に広く還元することにその主眼があると思う。それを隠れ蓑に内容の薄い新書もあるがこれは違う。さにタイトル通りのことをいろいろと語っている。社会的な規範や慣習で決まってくる枠組みとその社会自体の移ろいにどういう分岐があったかそもそも今の認識はどうなのかといったようなことを丁寧に語っていると思う。情緒を排して冷静に問題点をえぐっている。文章は平明だが内容が重く、とても有意義な内容だった。
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異常も正常も、その時々の時代で人間が作った概念でしかない。本当はどちらも、ただそこにあるだけ。読むと、世界に対する視野が広くなる本。
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本書の中心的な論点は、「異常(略)の対概念である正常との関係構造に着目し、正常と異常とは内容的には倒置し得ることと、正常と思われる有り様も、それを過剰に、また極端にまで推し進めれば異常が立ち現われること」にある。そして著者は、異常について考察するに当たって「私がこれまでさして脈絡...
本書の中心的な論点は、「異常(略)の対概念である正常との関係構造に着目し、正常と異常とは内容的には倒置し得ることと、正常と思われる有り様も、それを過剰に、また極端にまで推し進めれば異常が立ち現われること」にある。そして著者は、異常について考察するに当たって「私がこれまでさして脈絡を気にすることなく携ってきた精神医学の歴史研究(精神医学史)、ナチズム研究、臨床上の治療研究という三者が、本書において計らずも合流している」ことに気付いたという(あとがき)。 著者の『精神医学とナチズム』(講談社現代新書、1997年)はかつて拝読して感銘を受けたし、もちろん今回読了した本書も示唆に富んでいる。しかし、通読して気になったのは、最終章「正常とは何か?」の内容の薄さであった。上述の通り著者は様々な視点から「異常」について考察し、「正常」と「異常」が社会的に規定される相対的概念であることを明らかにしている。しかし、紙幅の関係もあってか核となる社会哲学を展開していないために、結局両概念の社会的規定構造を剔刔できていない印象を受ける。 例えば昼田源四郎『疫病と狐憑き』(みすず書房、1985年)は、現象学的社会学の立場から「正常」の社会的成立機序のみならず「異常」概念の社会的機能にまで言及している。本書もここまで突っ込んで記述してくれていればもっと面白くなっただろうと惜しまれてならない。
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異常と正常は時代によって異なる。また、対極のものではなく、メビウスの帯のように繋がっている。正常が行きすぎると異常となる。
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「正常」と「異常」の境界線について現役の精神科医が論じた本。精神医学を「狂気を排除する」と主張したフーコーの説も批判的に検討されている。 正常、健康であることが常にポジティヴ、異常、不健康であることが常にネガティヴであるというのは今も昔も同じだが、その物差しは時代ごとに変わります。現代語の「マニア」の語源である古代ギリシア語の「マニアー」は「躁病」、さらにたどれば「預言者」という意味であること、「大宝律」に記述のある「癲狂」は誇大妄想、パラノイアのことであり、彼らは犯罪を犯しても刑罰を軽減される存在であることなど、面白い記述が多くある。他にも、「狂」という字の「王」はシャーマニズムの儀式で使う神聖な鉞(まさかり)である、というものもある。 中世~近代の市民社会形成期には、一方で異常なる者が高く評価され、他方で排斥されるという一見逆説的な現象が起きた。これにはキリスト教信仰熱が高揚する一方で、都市部を中心に脱宗教化(世俗化)が進んだという背景がある。 14世紀のペスト大流行、15世紀の新大陸発見、16世紀の小氷期到来など、社会が目まぐるしく変化する中で、鬱憤を晴らすためのスケープゴートが求められた。それが形になったのが「異端審問」、「魔女狩り」。 著者は現代日本に関して、「健康ファシズム」への警鐘を鳴らしている。これはメタボリック検診において血圧や体脂肪率などが正常値の枠内に収まらなければ、例外なく「異常」と診断するような風潮に見られる。これがナチスの行った優生学に基づく「遺伝病子孫予防法」制定などの政策を思わせるものだとして批判される。著者の見解は少し極端に感じられるが、大筋では納得。 秩序や規則も極端にまで推進すれば異常なものになる。何の事情も例外も考慮せず、「遅刻は規則違反」とするのは、全体主義的で柔軟性に欠いた。ルーズさや余裕さを許容したほうが寛容で住みやすい社会と言えるだろう。 「異常」という問題には前々から興味があったが、満足出来る内容だった。
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すごく興味深いタイトルだ!と思って買いました。 異常だ異常だ!じゃぁ、正常ってどういう状態?という感じで人の感覚、価値観の奥底にあるものを解き明かすべく検証が淡々と進んでいく感じ。
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