丸山眞男セレクション の商品レビュー
丸山真男の代表的な論考14遍である。 超国家主義の論理と心理 軍国支配者の精神形態 福沢諭吉の哲学 戦争責任論の盲点 日本の思想 等々 かつて文庫本や新書等で何度かトライしたが、その都度よくわからずそのままになっていたものが多い。その他初めての論文も含めて通読するなかで、丸...
丸山真男の代表的な論考14遍である。 超国家主義の論理と心理 軍国支配者の精神形態 福沢諭吉の哲学 戦争責任論の盲点 日本の思想 等々 かつて文庫本や新書等で何度かトライしたが、その都度よくわからずそのままになっていたものが多い。その他初めての論文も含めて通読するなかで、丸山真男に対して今回はかなり理解が進み納得感があった。 先の大戦・15年戦争の総括を真剣かつ誠実に行なった政治学者という印象を新たにした。戦争責任の問題や軍部の無責任体制の解明など、日本の海外思潮受容の歴史特性まで遡って統治体制を政治思想や組織構造面から分析する思考の深さと明解さは秀逸なものを感じる。天皇の戦争責任の指摘には政治学者としての矜持や覚悟が滲んでいる、「退位以外になくうやむやな居座りこそ戦後の道義頽廃の第一号」。日本共産党の責任論はまだソ連社会主義への幻想に浸っていた時代でもあり、ファシズムへの批判の鋭さに比してまったく無内容であり、 日本の戦後リベラルに繋がる限界の萌芽をみる。 福沢諭吉の評価については、彼の「惑溺」に陥らない思惟方法と価値意識、多元的価値の知性による試行錯誤の過程が文明だとという主張、「世の中と交際を多くし議論を捏ねくりまわし進歩の先陣を切って世の中をデングリ返す」という哲学等が取り上げられ、日本の思想史における彼の価値を発掘し重要性を再確認した丸山の功績と意義はとりわけ大きいものがあると思う。 話は変わるが、丸山の超国家主義の「超」たる所以を思想信条や道徳・宗教の「私事」、倫理的実態としての価値内容をも国家主権の支配根拠においたという当時の国体をベースにした政治体制の分析は独伊と比較して十分納得できる。
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断っておきたいが、本書を全面的にレビューはしない。例えば「超国家主義の論理と心理」を取り上げてしまったら、それこそ五千字以上の論文にならないといけないと個人的には思うからである。 先日5月3日の3年ぶりのリアル憲法集会に於いて本書の『「現実」主義の陥穽』(1952「世界」5月号...
断っておきたいが、本書を全面的にレビューはしない。例えば「超国家主義の論理と心理」を取り上げてしまったら、それこそ五千字以上の論文にならないといけないと個人的には思うからである。 先日5月3日の3年ぶりのリアル憲法集会に於いて本書の『「現実」主義の陥穽』(1952「世界」5月号)を話題にしていた。久しぶりに再読したくなった。今年はサンフランシスコ体制(安保体制)70年。正に70年前、丸山眞男は(軍隊の復活に反対している丸山に対して)「現実的でない」という言葉をよく使われたらしい。 現在日本の閣僚のほとんどが参加している日本会議が、「ウクライナは現実を突きつけた」と言っているらしい。 丸山眞男は、「現実的ではない」「現実を直視しろ」という主張には3つの特徴がある、と言っている。 ①現実=既成事実に屈服しろ、という事に他ならない。それは容易に「現実だから仕方ない」に転化する。 ②問題は多面的なのに、一面だけを強調する。 今回でもNATOへの批判は多々ある。例えばギリシャはNATOの戦車の動きを2週間止めた。ベルラーシでは、ロシアの戦車を止めるため、鉄道の信号システムを遅らせた人々がいる(その人たちがどういう処分を受けたかは明らかではない)。そういうことは報道されない。 「現実たれ、というのはこうした矛盾錯雑した現実のどれを指しているのでしょうか。実はそういうとき、ひとはすでに現実のうちのある面を望ましいと考え、他の面を望ましくないと考える価値判断に立って「現実」の一面を選択しているのです」 ③「現実的」と呼ぶのは、たいていは支配勢力。反対する人たちは、「観念的」「非現実的」とレッテルを貼られがちだ。「なんといっても昔から長いものに巻かれてきた私たちの国のような場合には、特に支配層的現実即ち現実一般と見做されやすい素地が多いと言えましょう」 そこから丸山は、1952年の情勢について滔々と述べて、再軍備すべきという主張がいかにリスクが多いかを明らかにする。 現代も、「現実を見よ」という勢力の次の言葉は、「だから改憲するべきだ」「だから日本も核兵器をシェアするべきだ」「敵基地攻撃能力を持つべきだ」という主張を次々と発するようになった。選挙を睨んでの発言であることは明らかである。 長いものに巻かれてはいけない。
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日本の極端国家主義の特徴は、精神的な権威と政治的な権威が分かれていないこと。この極端国家主義が、国民を永きにわたって苦しめ、戦争に駆り立てたのだ。教育勅語で国家が倫理を押し付けるなんてけしからん。国家は宗教や信仰、思想に中立であるべきだ。▼慎ましやかでないし、むき出しの権力でもな...
日本の極端国家主義の特徴は、精神的な権威と政治的な権威が分かれていないこと。この極端国家主義が、国民を永きにわたって苦しめ、戦争に駆り立てたのだ。教育勅語で国家が倫理を押し付けるなんてけしからん。国家は宗教や信仰、思想に中立であるべきだ。▼慎ましやかでないし、むき出しの権力でもない。偉そうなのに小物。それが日本的な政治。東条英機などがその例だ。 ※過度な一般化。歴史上の短期間の現象や特定の政治家の特徴を強調しすぎており、複雑な全体を一面的に切り取っている。 ※日本特殊論。ここが変だよ日本人。日本人はこれこれの特徴をもつと指摘するのは喝采され、外国人がこれこれの特徴をもつと指摘すると「差別」「偏見」になる。 ※反体制バイアス。 現実主義けしからん。「国際情勢など、現実を見れば、再軍備が必要だ」はだめ。再軍備反対。現実は所与であると同時に、日々造られていくものだ。「現実だから仕方ない」がファシズムに対する抵抗力をなくさせた。 ※「現実主義」が何を指すのか不明瞭。「現実主義」は、国際政治学の「リアリズム」のことではないらしい。 憲法9条擁護。「国際情勢がきな臭くなったから改正」はダメ。制定された当時から米ソ対立は予見できていたはず。にもかかわらず、非武装国家を選んだことにこそ、画期的な意味があった。p.264 ※平和主義の理想を誤って追求することがかえって戦争を引き寄せる。 各世帯にピストルを1つづつ配給すれば、権力や暴力にたいして自分の自然権を行使する心構えが根付く。これで「自衛権のない国民は何もできない」という再軍備派の言葉の魔術も効かなくなる。p.393 ※外国のプロ軍隊に、素人市民がピストルでは応戦できない。国家は国民の生命・財産を守ることを約束したのなら、軍事力の放棄(第9条)は国家の責任放棄であり、社会契約に違反する。 現行憲法によって保障されている権利の実感を失いたくないという保守感覚、これをもう少し政治的に昇華して、組織化する方向に努力すれば、もっと広汎な大衆を動員できるのではないか。p.378 ※現行憲法9条によって国民の生命・財産が危険に晒されており、これを変えなければいけないという変革感覚、これをもう少し政治的に昇華して、組織化する方向に努力すれば、もっと広汎な大衆を動員できるのではないか。
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丸山真男の論稿から代表的なものを掲載。50年代の第二次世界大戦の記憶がまだまだ生々しい頃の論稿において、日本における責任の所在のなさ(最終的に円の中心に天皇がいる)、現実を既定のものとして受け入れてしまう姿勢を論じていることに、時代を感じつつ、しかし今もアクチュアルに感じる議論が...
丸山真男の論稿から代表的なものを掲載。50年代の第二次世界大戦の記憶がまだまだ生々しい頃の論稿において、日本における責任の所在のなさ(最終的に円の中心に天皇がいる)、現実を既定のものとして受け入れてしまう姿勢を論じていることに、時代を感じつつ、しかし今もアクチュアルに感じる議論が展開されている。
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丸山眞男セレクション (平凡社ライブラリー ま 18-1) (和書)2012年09月27日 12:28 丸山 眞男 平凡社 2010年4月10日 数ヶ月前に、柄谷行人さんの講演を聴きに行った。その時、丸山真男さんの話題が出た。デモについてでしたがなかなか面白い話だった。そして...
丸山眞男セレクション (平凡社ライブラリー ま 18-1) (和書)2012年09月27日 12:28 丸山 眞男 平凡社 2010年4月10日 数ヶ月前に、柄谷行人さんの講演を聴きに行った。その時、丸山真男さんの話題が出た。デモについてでしたがなかなか面白い話だった。そして最近、片山杜秀さんの本を読んでいて又、丸山真男さんの話題が出た。柄谷行人や浅田彰以上の影響力を持った知識人だという話でした。 そうか今まで一冊しか読んでいない。佐藤優さんのお勧めで読んだ一冊きりだ。そしてあまり意味が分からなかったときた。それで入門編を兼ねてこの本を手に取った。そしたらなかなか面白いではないか!苅部正さんが嵌るのもわかるわかると言う感じになった。 なかなか面白く今、丸山真男を読むのは意義深いことだと感じる。
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「超国家主義の論理と心理」をはじめとした彼の代表的な文章をうまくまとめてあります。丸山眞男を持ち歩くのにとても良い本。 安保闘争を知っている世代はまさに体験として彼を知っているのだろうが、私は彼を原体験として知っているわけではなく、大学の授業で習ってはじめて知った。 しかし、昨今...
「超国家主義の論理と心理」をはじめとした彼の代表的な文章をうまくまとめてあります。丸山眞男を持ち歩くのにとても良い本。 安保闘争を知っている世代はまさに体験として彼を知っているのだろうが、私は彼を原体験として知っているわけではなく、大学の授業で習ってはじめて知った。 しかし、昨今の日本の政治家の発言を聞いていると、氏が示した戦前の日本戦争に突入していった特殊性が根本では解消できていないことに気づく。 例えば、国家、国体を区別できない政治家。また、国家を「形式的秩序」としてとらえられない政治家。だからこそ「教育勅語はいいところもあった」などというのだろう。そういった、一級品の戦前の日本の課題の分析を読み解くことで、「超国家主義」の彼の指摘は、単なる過ぎ去った「昔の日本」への指摘ではなく、むしろ今日にその課題が残り、解消されず、再生産されているという我々の危機を知ることができる。 是非はあるかもしれないが、戦前、戦中、戦後にわたる彼の分析力と明快な文章は一度読んでみたほうがいいと思う。
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丸山真男の著作(講演も含む)集。 政治的な「思惟方法」について、その在るべき姿が模索される。 日本の伝統的な思惟方法の問題点として、際限のない「無責任」(これは、日本において、中核・機軸となる思想が欠落していること、自由な主体的意識が生まれていないことに一因を帰する)や、「現状...
丸山真男の著作(講演も含む)集。 政治的な「思惟方法」について、その在るべき姿が模索される。 日本の伝統的な思惟方法の問題点として、際限のない「無責任」(これは、日本において、中核・機軸となる思想が欠落していること、自由な主体的意識が生まれていないことに一因を帰する)や、「現状追認」(「現実」という言葉が「既成事実」と同義に用いられ、現状の盲目的受容がなされてきた日本の政治にありがちな風景)といった点が、様々な著作において、微妙に形を変えながら指摘される。 講演録である『政治的判断』では ・政治的な責任というものは徹頭徹尾結果責任である ・政治から逃避する人間が多いほど、専制政治を容易にする ・選挙とは、いわば「悪さ加減の選択」であって、ベストを選択するプロセスではない ・「政局」とは「政界」と同義であり、「政局不安定」だからといって「政治的に(あるいは国民生活が)不安定」ということには必ずしもならない などとして、政治的な思惟方法の理想形を、具体的に提示する。 日本政治の腐敗や政治的無関心等が日々問題視されるが、根本的解決の兆しはうかがわれない。 そうした問題を考察していくに当たり、本書から得られるものは大きいといえよう。
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初めて丸山眞男の文章に触れた。難しい言葉を使ってるようで分かりやすい、面白い文章だった。第二次世界大戦期の日本人の精神その他についての彼の考えが目から鱗。こんな教授に出会いたかった。ほんのわずかだが自分がこの世に生を持った時間と彼がこの世に魂を残した時間が被っていることに感動。
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日本政治思想史と政治学の知見をもって戦後思想をリードした丸山眞男。その思考の特徴を示す代表的な論考を集め、丸山再認識への最良のエントランスを提供する。編者による鮮やかな丸山論収載。
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「日本軍国主義に終止符が打たれた八・一五の日はまた同時に、超国家主義の全体系の基盤たる国体がその絶対性を喪失し今や始めて自由なる主体となった日本国民にその運命を委ねた日でもあったのである。」(丸山[1946=2010:80]) 丸山眞男は戦後すぐに記した『超国家主義の論理と心理...
「日本軍国主義に終止符が打たれた八・一五の日はまた同時に、超国家主義の全体系の基盤たる国体がその絶対性を喪失し今や始めて自由なる主体となった日本国民にその運命を委ねた日でもあったのである。」(丸山[1946=2010:80]) 丸山眞男は戦後すぐに記した『超国家主義の論理と心理』の末尾を以下の一文で締めくくる。その3年後に記された『軍国支配者の精神形態』の末尾はこうだ。 「これは昔々ある国に起こったお伽噺ではない。」(丸山[1949=2010:184]) 以後この調子が続く。ここに丸山の失望を読むことは簡単だ。が、もし失望してしまったのであれば、トゥホルスキーのように口をつぐみ、唖者として暮らしたであろう。そうならなかった丸山は何を期待し、何を実践したのだろうか。『超国家主義の論理と心理』で丸山は次のように言う。 「「新しき時代の開幕はつねに既存の現実事態が如何なるものであったかについての意識を闘い取ることの裡に存する」(ラッサール)のであり、この努力を怠っては国民精神の真の変革はついに行われぬであろう。」(丸山[1946=2010:59]) 二度あることは三度ある。では、同じことを繰り返さないためにはどうすればよいか、どうすべきか。それは、徹底的に「認識すること」あるいは「対象化すること」である。この姿勢を丸山は生涯貫き通した。であるがゆえに、丸山は日本人の思考の癖を極めて的確に認識し得た。では、われわれ日本人はどうか。そうではないだろう。ここに丸山を読む意義がある、と私は思う。 『「現実」主義の陥穽』にて、丸山は、我々日本人がこれこそまさに「現実」だ、と考えるその「現実」とは何か、ということを考察し、その落し穴を明らかにする。はじめに、丸山は「現実の所与性」を挙げる。現実とは本来一面において与えられたものであると同時に、他面で日々造られるものであるにも関わらず、日本人は前者のみに着目してしまうこと、それが「現実の所与性」が意味することだ。2点目に、「現実の一次元性」を挙げる。これは、現実の一つの側面だけが強調される、ということだ。たとえば、6割の日本人が、憲法改正に賛成しており、残りが反対していたとしても、後者を無視し、憲法改正が「現実的」である、と考えがちである、ということだ。丸山は以上2点より、次のように言う。「その時々の支配権力が選択する方向が、すぐれて「現実的」と考えられ、これに対する反対派の選択する方向は容易に「観念的」「非現実的」というレッテルを貼られがちだということです」と。 以上より、丸山は国民が公平な判断を下すために、つまり現実を認識するために、以下3つの条件が充たされている必要がある、と言う。 1. 通信・報道のソースが片よらないこと 2. 異なった意見が国民の前に公平に紹介されること 3. 以上の条件の成立を阻む、もしくは阻むおそれのある法令が存在しないこと さて、衆議院を通過した「特定秘密保護法案」であるが、これはどうみても、3に該当するだろう。何をもって「秘密」とするのか、それが明確に規定されていないため、たとえば、TPP問題、たとえば、原発問題等に関して、重要な情報が「秘密」として指定された場合、どうなるかは、火を見るより明らかであろう。政府から与えられた「現実」を受け入れることが「民主主義」であるという構図を知らない「現実主義的」主権者にはなりたくないですね。
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